プログラマーとして幸せになりたかったら外国へ行け

面白い記事を見つけた。ニュージーランドで働いているプログラマーが残業がない労働環境を自慢している。プログラマーの粒が揃っていて無駄な作業が発生しにくい上に、給料が良いので残業をする必要がないのだそうだ。一応ブログとしては「日本でも同じような環境が作れる」と結んであったが、無理だと思った。
プログラマーの粒が揃っているのは、情報科学系の大学などを卒業してコードを書けることが採用の条件だからだそうである。ここにはかかれていなかったが、採用担当者がプログラムを読むことができるという前提なのだ。「何を当たり前のことを」と言われそうだが、実際にIT系の会社で働いている人はこれを笑えないのではないだろうか。
なぜこのようなことになってしまったのだろうかと考えたのだが、かなり根は深いように思える。もともと会社に「情シス」という部署は存在しなかった。企業業務が「電算化」されていなかったからだ。情シスで働く人は、趣味でコンピュータを知っているか、営業などをドロップアウトした人だったはずである。つまり、そもそもプログラムが書けない人が採用を始めてしまったために、今でもプログラマの質が判断できないのである。
バブル後期頃(まだコンピュータはパーソナルではなかった)になるとどういうわけか「このまま業務が拡大すると、プログラマーやSEが足りなくなる」ということがまことしやかにささやかれるようになった。そこで「誰でもいいから採用してしまえ」ということになり、文系の学生たちが大量に採用された。中には宴会を開いて学生を囲い込むような会社もあった。が、バブルがはじけると今度は「人件費を減らす経営者が偉い」ということになる。もし、あのままバブル景気が続いていれば、素人集団だった日本のIT技術者はプロ化できていたかもしれない。
バブル景気が崩壊するのは1991年とか1992年頃なので当時に人たちが中間管理職になっていたりするはずである。コンピュータ教育をまともに受けないで現場に放り出されたという人もいるだろうし、企業内SEも「フローチャートの書き方は……」くらいのことを会社に入って初めて習ったような人たちである。いきなり、海外で教育を受けたような人たちを採用するのは無理だろう。
つまり、本格的にプログラマとしてやってゆきたいなら、そもそも日本で教育を受けて日本の会社に勤めるのは不利だし、仮に才能があって独学で優れたプログラミング技術を身に付けられたとしても海外にリクルートされてしまう。つまり、日本の環境はプログラマには不利であり、その不利さは日を追うごとに拡大していってしまうのだ。
ここまで書いてくると「日本を軽蔑している」などと思われてしまうのかもしれないが決してそうではない。プログラミングそのものは日本でも学べる。PHPやMySQLなどを使ったアプリケーションなら組めるようになるだろう。しかし、開発環境を整えたり、標準的なプラットフォームを使って開発することはできない。また分からないことがあれば質問したり資料を調べて自己解決するのだが、やはり英語の方が情報が多い。このような自己解決能力を身に着けるためには、学校で基礎から教えてもらうか、実地研修を行う必要がある。今現場で何が使われているかを教えるためには教師がそれを知っている必要がある。
つまり、知識がネットワーク状になっているので、知識のあるところにどんどんと新しい知識が集約することになる。
製造業では核になる技術を韓国や中国に「売った」人が問題になることがある。これは核になる技術さえ持っていればそれなりの競争力を持てるということを意味している。だが、IT産業はプログラマ一人ひとりが自己解決力持っていることが求められているといえるだろう。
つまり、個人の努力ではどうしようもないくらいの開きがあるということになるので、間違った場所で努力しても無駄だ。だったら、プログラマとして生きて生きたいなら、海外の就職先を探した方が良いと思う。もし、日本で成功したいなら、何も作らないで組織の空気を読みながらパワーポイントでみんなを満足させるような職業を学ぶべきだろう。何も作らないし何も決めないということは責任を取る必要もなく、したがって絶対に失敗しない。
残念なことに、英語圏の先進国では技術系のビザが取りにくくなっているようである。アメリカファーストのアメリカも非移民ビザを制限し始めているし、オーストラリアも非移民系取得ビザの要件として英語などを加える予定のようだ。EUから離脱するとイギリスのビザも取りにくくなるかもしれない。

山本地方創生担当大臣の失言

しばらくぶりにTwitterを見たら、今度は内閣府特命担当大臣(地方創生・規制改革)が炎上していた。学芸員をガン呼ばわりしたらしい。話題に事欠かない内閣だなと感心する。
門司の出身ということで、もう九州から国会議員を出すのは禁止したほうがいいんじゃないかとすら思ってしまった。九州の男性は仲間内だと気が大きくなって荒っぽいことを言ってしまうのだろう。乱暴なことをいう人が男らしくて大物だという文化があるのかもしれない。
多分、本人に聞けば「ほんの軽口で悪気はなかった」とか「言ってみただけ」というのではないかと思う。地方創生大臣は組織間の調整なので利権に結びつくような「意思決定」がなく、故に何か言っても別に全体の意思決定には響かないと考えてしまうのかも知れない。
実際には大臣の発言はそれなりに「忖度」されるだろう。さらに実際にプロジェクトが成功するかは現場の細かな調整で決まるはずである。だが、山本大臣は自分の発言の影響力がよくわかっておらず、大臣としての役割も自覚していないのではないだろうか。山本大臣が大臣の資質に欠けることは明らかだ。
大臣ポストは名誉職化しており。これといった見識や実績がなくても年次で割り当てられる。これを改めて政策を実行したい人や実績のある人が大臣を勤めるというような選抜方法に変えるべきだ。さもないと、いつまでも舌禍事件はなくならず、そのたびに現場の人たちが「自分たちが切られてしまうのではないだろうか」という不安に晒されることになる。
確かに法に触れたわけではないので、議員辞職したり、大臣の仕事を辞める必要はないと思う。しかし、関係者の心を傷つけ不安な思いをさせたことは確かなので、罰として、今後大臣を辞めるまで、毎週支持者の集まりに行くのをやめて、学芸員の現場を見学するのを義務付けるべきではないだろうか。
だが「自分にはたいした影響力はない」と考えるのは何も山本大臣だけではない。例えば、安倍首相は北朝鮮にはサリンロケットを飛ばす能力があると国会で発言した。サリンがどんな毒物なのか日本人にはよく知られているので「北朝鮮は怖い国だ」という印象を付けたかったのだろう。しかし、そんなことが言えるのは「実は半島情勢は大したことにならない」と考えているからではないだろうか。もし、懸念があれば不用意な発言はできなかったはずである。
その証拠に、週末にはお花見パーティーを開催したようだ。つまり、北朝鮮の脅威をあおってはいるが、実際には「そんなことは起こらない」と考えていたことになる。この判断にはいくつかの根拠があるらしい。第一にアメリカは自国民を韓半島から退避させておらず攻撃の意思はないようだ。また、アメリカの艦隊派遣には相場観があり「これくらいだと脅しているだけ」ということが分かるとのことである。
だが、安倍首相は半島の情勢に影響力を持ってしまうという可能性を失念している。日本は国際的にも有数の軍事的プレゼンスを持っており近隣諸国への軍事的脅威になりうる。日本がアメリカと協働して(あるいは単独で)どう動くのかは誰にもわからないのである。
海外メディアは安倍首相の右傾化について興味を持ち始めているのだが、本人は「単なるドメスティックな支持者へのジェスチャー」くらいに思っているのではないだろうか。だが、一連の発言を外から見ると「再軍備を進めるのではないか」と捕らえられても不思議ではないような過激な発言になっている。それが逐一報道されているのだ。
つまり「どうせ自分たちにはたいした影響力はない」という認識から無責任に威勢のいいことをいうマインドセットを「居酒屋根性」と呼びたい。
山本大臣が「居酒屋大臣」であることは間違いがない。多分ネットで発言が炎上すればすぐに謝ってしまうのだと思う。また野党はすぐに「辞任しろ」と言うだろう。つまり、辞めたり謝ったりすれば問題はなかったことになってしまうのだ。だが、それでは問題はなくならない。繰り返しになるが、山本大臣は大臣を辞めるまでの間学芸員の働く現場を訪問し続けるべきだろう。
記者はこの発言を受けて「大臣は学芸員を何割削減すべきと考えるか」ということを聞き、それは内閣の一致した意見なのかということを確認すべきだろう。大臣の発言は政策を反映したものでなければならないのだから、それは当然のことで、これができないなら記者失格だろう。
人生をかけて働いているかもしれない人を公の場で屈辱したのだ。それなりの責任をとらせるべきだろう。

自民党と民進党に対する緊急意識調査

急に思いついて民進党に対する意識調査をやってみた。が、それだけでは公平じゃないな(まあ考えてみれば公平である必要なんかないのだが)という気になり自民党版を慌てて足した。

これを書いている時点ではまだ投票はクローズしていないが、全部で7票いただいた。前回アンケートをとった時には0だったのでかなり進歩したなと思う。ご協力いただいた方には感謝したい。
さて、結果なのだが「だいたいわかっていた」点と「たいへん驚いた」点がある。驚いたのはフォロワーの中に自民党支持者の方がいたことだ。このブログが政治ネタを多く取り上げるようになったきっかけは安保法制あたりなのでてっきり「反安倍」の人しかいないものだと思っていた。
さすがにベタな「他の政党よりマシ」との答えはなかったが「有事の際には仕方がない」という人が2名いる。消極的賛成を合わせると3名が自民党支持ということになる。
一方民進党を積極的に賛成している人はおらず「自民党に反対しているから」という理由で支持している人が半数おり、最初から嫌いだったという人が半数だった。こちらは答えられなかった人が1名いるようだ。
ここからまずわかるのは「今のテレビの世論調査はそれほど間違っていない」らしいということだ。まあサンプル数が少なすぎるというのはあるのだが、それでもこれだけ安倍首相の悪口を言っているブログの読者の半数近くが安倍政権を支持するわけだから、それ以外の人たちは推して知るべしだろう。
次に民進党を支持している人たちはいないという点である。民進党が支持されているのは「自民党をのさばらせておくとろくなことにならないから」という一点だけと言っても過言ではない。つまり民進党は自民党に反対だけしていれば良くて、独自に何か提案しても誰も聞いてくれないということになる。かといって、共産党と接近して変に左傾化されても困る。つまり「何もしないで牽制だけしてくれればいい」ということになる。
ちなみに今回は58回閲覧されたようなので、ほとんどの人は沢尻エリカ並みに「別に……」と思っていることになる。つまりまとめると次のようになる。

  • 自民党を支持している人が少数。
  • 有事だから仕方がないと思っている人も少数。
  • 自民党が暴走しているので誰かなんとかしてほしいと思っている人が少し。
  • 民進党はそもそも嫌いだよという人が少し。
  • そして、大多数は別になんとも思っていない。

自民党がなぜ支持されているのかはよくわからないが。これも自民党が支持されているというよりは「アメリカに近いからいざという時に守ってもらえるんじゃないか」とか「下手に体制を変えてしまって余計な混乱が起こるのは避けたい(あるいは面倒くさい)」と思っているのではないかと推測される。(※これは個人的に自民党がいいと思えないからそう考えるだけで、熱い気持ちのある人はぜひコメント欄に何か残してほしい)
従来の政治調査というのはいくつかの重要な仮説に基づいているのだが、この仮説が日本では成立していないのかもしれない。つまり、そもそも内面的な信条などないか、あったとしてもそれは政治とは関係がないところにあるのだ。

  • 仮説1:人には内面の政治的心情(あるいは信条)があり、それに基づいて支持する政党を決める。
  • 仮説2:人は対象物を「積極的に」選ぶのであって、消極的な理由で選択するのではない。

実際には、これといって支持する政党はないが、他に「不機嫌な選択肢」があり「それよりもマシな」何かを選んでいるのかもしれない。実際に政党支持率を出すと、自民党支持より無党派の方が多いという結果が出ることが多い。このような態度をどう呼んでいいのかはよくわからないが、当てずっぽうで書くと次の2つだろう。

  • 現在のまがりなりにも安定している政治が崩れてしまうのがいやだという人たち。
  • 自民党は暴走しているので「誰でもいいから」止めてほしいと思っている人たち。

「誰でもいいから止めてほしい」人たちに応えるには何でもいいから実績を作る必要がある。が、実績を作れないので(議席がないから当たり前なのだが)誰からも支持されない。政治家としてはやりたいことがあるので提案したくなってしまうのだが、それをやると却って揉めるという救い難い状態になっているのかもしれない。一方自民党も「アメリカに追従して経済だけやってくれればよかったのに」変にやる気を出した首相がわけのわからない提案なんか始めたからロクでもないことになったということになるだろう。
つまり、総論として日本人は「政治には期待していないし、できるだけ何もして欲しくない」のではないかという観察結果が得られる。

空気の読めない民進党が自民党を増長させる

長島昭久衆議院議員が除名されたばかりなのに、今度は細野豪志衆議院議員が代表代行を辞任した。発表した憲法試案が執行部に評価されなかったのが面白くなかったというのが表向きの理由らしい。ただちに議員辞職したり離党したりすることはないとのことである。
「なんで今なんだろうなあ」と思った。国民の関心は北朝鮮情勢に集まりつつある。アメリカが北朝鮮に戦争をしかけるとは思えないのだが、一応戦争ができるような体制は整いつつある。情報が錯綜しており予断を許さない状況であることは間違いがない。そんななかで「保守のみなさん」は内輪揉めですかと思ってしまう。この空気の読めなさは民進党の伝統芸のようになっている。
韓半島情勢が緊迫して難民が発生するような事態になれば、去年の夏に安保法制を作っておいてよかったということになるのは明白だ。テレビには自民党の議員が出てきて「アメリカとの間にもっと緊密な軍事的連携を取るべきだ」と訴えている。安倍首相は「北朝鮮はサリンを日本にばら撒ける能力があるんじゃないか」と仄めかした。正直何が起こるかわからない中では「アメリカと太いパイプがある自民党政権は安心だなあ」という印象になる。
そうなれば、護憲派はひとたまりもないだろう。「憲法は弾除けにならない」と思う人が増えるからだ。このところ、そもそも日本人が人権をあまり重要視しないのはなぜなのだろうかと考えているのだが、そもそも日本人は人権が守られているとは思っていないのではないかという結論に達した。あれは綺麗事であって、現実には警察に逆らうとろくなことにならないし、空気に逆らって自分の言いたいことをいうこともできない。だったらそういう不愉快な公共にはできるだけ関わらないで生きていこうという人が多いのではないだろうか。
それとは別に護憲派も信頼されていないのかもしれない。共産党はアメリカは軍事行動すべきではないという声明を出したようだが、なぜ中国や北朝鮮にも同じことを言わないのだろうかと思った。多分パイプがなく影響力を行使できないのだろう。
有事の際に「審議拒否いたします」というのは非常に具合が悪いのだが、執行部はまだ森友問題をやるつもりらしい。自民党が「国防に関わる真剣な議論がしたいのに民進党は週刊誌ネタを追いかけている」などと主張するのは必定だ。もはや国民から何の関心も持たれていない民進党だが、さらにその無関心は高まるに違いない。
森友問題は確かに怪しげな事件だったが結局追い込めなかった。ショーとして持たせるためには小出しに様々な情報が出てこなければならないのだが、2時間ドラマの後半1時間で何もイベントがない状態になっている。民進党はネタ元を抑えているわけではないので追加で何か動きがなければ何もできないだろう。さらに、北朝鮮問題が起きると情報発信者は米軍とのパイプを持った自民党になるので、民進党はさらに「蚊帳の外」ということになる。
様々な問題が次から次へと浮かんでくる中で、細野議員の憲法草案が話題になることはなかった。個人の考えは集団に取り入れられなければ(少なくとも日本では)なかったことと同じになる。国会で2/3を取ることができる見込みはなくマスコミもそれほど関心を寄せなかったのだろう。
結局、空気の読めない民進党が国民からスルーされるということになっている。これが結果的に自民党を増長させることになる。

焦点

Twitterから流れてくるバラバラのニュース。関連付けて考えるとかなり怖くなってくる。何もないといいけど。あと、この時期に審議拒否はまずいなあと思った。民進党も運が悪いとしか言いようがない。
河野太郎衆議院議員が韓国に向かう。

人工衛星が不吉な前兆を捉えたとのニュースが流れる。

トランプ大統領は中国となにやらお話し合いをしたことをほのめかす。

真の保守とは何か

真の保守主義という言い方が気になっている。いろいろ転がしていてふと「分配の議論」にするとわかりやすいのかなと思った。
いわゆる保守とか愛国と言っている人たちは、なんらかの定義を作って「誰にどれだけ分配するか」ということを決めているのだと思う。代表的なのがトランプ大統領だが安倍首相も「お友達への利益分配を優先すべきだ」と考えているようで保守と言えるだろう。
そう考えると、それに対峙する人たちをリベラルと言って良いとおもうのだが、リベラルの分配方式は社会構造に依存しない。アメリカでリベラルというと自由放任主義を指すようだ。つまり、分配にできるだけ政府の意意思を介在させないのがリベラルということになる。ネオリベという人たちもいるようだが、ここでは自由主義的リベラルといおう。
一方で市場原理による分配は勝ち組が負け組から収奪するということになりがちなので、あるルールを決めておいて理性的に従うというのがもう一つのリベラルである。多分、ヨーロッパの社会民主主義はそのようなリベラルなのだろう。彼らが従うルールがいわゆる「人権思想」や「民主主義」だ。
リベラルに共通するのは、彼らが成長を志向しているということではないかと考えられる。一方は競争により成長を加速させ、もう一方は分配によってすべての人が実力なりの幸福追求ができると考える。これは間接的に成長に必要な余力を多くの人に与える。その一方で保守主義は成長を前提としていない。利益を囲い込むのは、社会の総和として算出できる富の量は決まっており、それを他人でなく自分たちに分配することが政治の目標ということになる。
社会民主主義的リベラルと保守にも、社会がなんらかのルールを決めて資源分配するという共通点がある。民族がその単位になったりするのだが、民族を分解すると家族になるので家族主義的な政策があり温かみを感じさせる。
ところがこの暖かさは社会的搾取があって初めて成立する。搾取が目立たないのは周縁が地理的に隔絶されていて見えないからだ。グローバル化した保守ではこれが可視化されるので不都合なことが起こる。
日本は第二次世界大戦敗戦以前に多くの食い詰めた市民たちを南米などに移住させた。彼らを養いきれなかったからだ。しかし国内的には日本は天皇を中心とした家族であると主張していた。しかし日本の労働人口が減り始めると「社会保障は受けさせたくないが労働者は足りない」ということになったので、一度追い出した日系人を安い労働力で使えないかと考えるようになった。彼らはもともと日本民族なので、保守主義者は同胞を大切にすべきだが、利用することしか考えていない。かといって国内にいる韓国系の日本人は血統が異なるといって差別する。居住地主義でもなく、血統主義でもない。つまり民族といってもその場の場で都合の良いように使い分けているだけなのだ。
保守主義者にとっては人間は「仲間」「利用できる相手」「敵」の三種類しかいないことになるだろう。だが、仲間内にとってはこれはとてもありがたく居心地がよい制度なのである。
そう考えると、すべての政治信条は2つの質問で分類できることになる。一つ目の質問は「政府は分配すべきか、分配に介入すべきでないか」というものだ。もう一つの質問は「社会階層は固定的であるべきか流動的であるべきか」というものだ。
すると「政府は介入すべきではないが社会は固定的であるべき」という選択肢も生まれるわけだが、これは原理的にありえない。社会秩序を作った時点で介入が存在してしまうからである。
アメリカの共和党は自由主義的なリベラルと保守主義者の連合体ということになる。民主党は社会民主主義に近い分配政党だ。
この分類方法で分類すると自民党、社会党、共産党は保守政党ということになる。自民党と他二党の違いは利益誘導が「自発的身分」に流れるか「非自発的身分」に充当されるかという点だけだ。どちらも、法の秩序はあまり重視せず、それぞれの利権構造への富の誘導が政治の仕事だ。公明党も宗教組織への利益誘導だから保守政党ということになるだろう。
共産主義が「保守」とはめちゃくちゃに聞こえるかもしれないが、北朝鮮では王朝が作られて日本よりも固定的な身分制度がある。中国共産党も共産党員を優遇しており、農村では身分制度が固定化している。都市の身分制度を一部解放することで擬似資本主義が実現されているのだが、それを支えているのは植民地化した後背部の農村労働者だ。つまりいわゆる「リベラル」という人たちは保守政党以上に保守化しやすいということがいえる。
現在よくわからないのは維新だ。大前研一が志向したのは多分自由主義的なリベラル政党だったのだろうが(地方分権をテーマにしていた)大阪で自民党からの富の収奪を目指す人たちが政策をゆがめ保守政党化した。橋下徹元大阪市長は自由主義的なことをいうが、松井一郎府知事はかなり保守的なようである。
こう考えてみると民進党がなぜ崩壊しかけているのかがわかる。彼らは誘導する利益集団を持たないし、かといって利益再配分するためのルールを提示できなかった。せいぜい自民党の利益分配のリエンジニアリングを提案しただけである。つまり、日本ではすべての政党は保守化する運命にあり、それに失敗した政党は消えてしまうのではないかと考えらえる。
まとめると政党を作るためには代表するべき利益集団があるか、分配に関するルール(分配するルールを作らないというルールを含む)を持つ必要があるということになる。言い換えれば分配政策を定義するか、統治政策を定義しなければならない。ゆえに長島昭久氏のいう「リアリズム」は真の保守にはなりえないだろう。代表する利権構造を持たず、経済的な分配にも全く何の意思表明もしていないからだ。

長島昭久議員の独立宣言を読む

長島昭久衆議院議員が「独立宣言」と称した文章を発表した。一読したのだがよくわからなかったのでまずは整理してみた。
テレビニュースではこの話題は「政権選択選挙で共産党とは一緒にやれないので離党したが、都議会議員選挙に影響があり、民進党の執行部はたいへん怒っている」と説明されていた。多分一般には「共産党はいやだったんだろうな」くらいの理解をされるのかもしれない。こうした単純化が起こるのは、このステートメントがマニフェストになっていないからではないかと思った。


長島衆議院議員の政治家としての目的は「真の保守」を実現することだ。特に安全保障領域に強い関心があり「平和を志向しつつも、時には実力行使も必要」というリアリズムの立場を取っている。微妙なバランスが求められるので、真の保守を実現するためには、国民がじっくり話し合える(文中にはない言葉だが熟議する)環境が必要だ。真の保守政治家とは熟議の環境を作り出せる人のことだと定義できる。

ところが実際には国民の中には権力に対するルサンチマンを持った人たちがいる。それを具現化したのが共産党だ。悲しむべきことに民進党は共産党が先導するルサンチマンに影響されてしまった。結果、話し合いの環境を作るどころか口汚ない罵り合いに終始し、建設的なリアリズムの議論ができなかった。

参議院のような中間的な選挙であれば戦術的に共産党と組むというオプションもあったのかもしれないが、政策に関わるような意思決定は共産党とは一緒にはできそうもない。さらに、いたずらに人々の劣情に訴えかけて対立を煽るようなやり方も政治信条に反する。

現在の共産党に影響された民進党の方針は容認できない。だから、離党することにした。


左右対立は本当に存在するのか

この文章がややこしいのは現在の政治の混乱を左右対立に求めているからではないかと思う。左右対立が出てくるのは、政治信条の出発点が「保守」になってしまっているからだと思う。実際には自民党が保守とされているが、自民党の抱える保守政治家にも問題点があるので「真の保守」という表現になるのだろう。
リアリズム的な防衛の姿勢というのは(個人的に賛同できるかどうかは別にして)理解できるのだが、それは課題があって解決すべき問題点があるからだろう。だが、それを保守と結びつけようとした途端にわけがわからなくなる。保守には正体がない。
あるいは保守を「正統」という意味で使っているのかもしれないのだが、であればそれは日本では政権政党を指してしまうので真の保守は実質的に自民党だけということになる。特に都民は「本物の政治家は自民党員だけ」と考えている可能性がある。石原慎太郎元都知事も自民党経験者だし、そのあとは彼の後継者だった。小池百合子都知事が自民党籍をあいまいにしたままで選挙を戦ったのも多分「自民党にいた歴史」が政治家としての正統性のお墨付きになることを知っていたからだろう。
この混乱の原因は、日本でイデオロギーを元にした二大政党制ができなかったのはなぜかという課題について、政治家個人の考えがよくまとまっていないのではないかと考えられる。日本には単に「政党な政権」と「そこからあぶれたその他大勢」という対立しかないかもしれない。正統性が倒されるのは革命によってのみだが、革命の意味合いも西洋とは考え方が違っている。中国の革命はある王統が正統性を失って別の王統に変わることだ。

国民の政治に対するニーズは何か

次の問題は国民が政治に何を期待しているかという点だ。もしかしたら国民は政治(あるいは統治)には何の関心もなく、単に自分の短期的な利得を増やすことにしか関心がなく、あるいはエンターティンメントの一種として政治の揉め事を楽しんでいるだけの可能性もある。
これが別の意味のリアリズムだ。政治家は有権者の求めに応じたサービスを提供する人だと定義できるかもしれないし、あるいはこうした「堕落した有権者」がいるということを認めつつ、「方便」を使いながら「正しい方向に善導する」というのも一種のリアリズム政治だろう。
この文章をマニフェストにするなら、なぜ他でもない長島さん(及びそれに賛同する仲間)が、どのような具体的な戦略を持って、理想と現実の乖離を埋められるのかを提示する必要があったのではないだろうか。


その後の感想

その後テレビニュースをみて「なんか怒っていてストレスが溜まってそう」なことはよくわかった。小池氏に同調する発言が取り上げられており「勢いのあるところになびいたかなあ」などとも思えなくない。であれば、上記の分析はすべてあまり意味がないということになる。今後の行動によって、真の保守を目指していたのか、単に勝ち馬に乗ろうとしたのかがわかるのだろうが、これまでの民進党の議員さんたちの行動をみているとがっかりすることが多いので、あまり期待せずにみておきたい。

佐川さんが壊れた日

佐川理財局長がついに新しいシステムを発明した。理財局には一定時間がきたらデータが自動的に消えるシステムがあるのだそうだ。
この話の面白みを味わうために、パソコンがどうやって文書を記録するためにはどうするのかをおさらいしておこう。コンピュータは文書データとは別にそのデータがどこの番地に入っているかを記憶している。いわゆる「ゴミ箱をきれいにする」というのはこのアドレスを消して「ここには別のデータを入れていいですよ」と再宣言することを指す。Macの古いOSには確実にゴミ箱を空にするというオプションがある。これはアドレスを消すだけでなく、ファイルがあったところに意味のないファイルを書き込むのだそうだ。つまり、復元できないようにファイルを消す方法というのは存在する。
ということでシステム的には、文書の日付を洗い出して毎日「確実にゴミ箱を空にする」コマンドを実行すれば良い。簡単なスクリプトでは作れないがプログラミングとしてはそれほど難しいことではないだろう。このほかにもSSDを使うという方法もある。SSDはファイルを複数の場所に保存しているようで、いったんアドレスを消してしまうと、文書がバラバラになってしまう。これに暗号化を組み合わせると、ほぼ復元ができなくなるそうだ。
ということで「特別なシステムを構築した」というのは、技術的には対応可能で、多分それほどの費用もかからない。しかし問題はそこではないのではないか。
そもそも、文書は何のために保存するのだろうか。テンポラリの備忘録として保存しているという人もいるだろうが(例えばブログを書くためにアイディアをまとめたものはブログを書いたら必要なくなる)最終成果物は誰かに見せたり、後日検証するために必要だからとっておくのであろう。企業だと「言った、言わない」にならないために途中経過も含めて情報は残しておくはずだ。
理財局の職員が趣味で構築したのでない限り、予算を受けてシステム構築しているのだから、国会の承認を受けているということになる。ということは国会は「何かあったときに検証できなくてもいいですよ」と許可してしまったということになるだろう。つまり「勝手に何かやってもいいよ」という認可を与えていることになる。理財局が扱うのは債権を含む国有財産らしいので「国の財産をどう処分したのか途中経過がわからなくていい」などというお人よしの国会議員などいるはずはないし、本当にそんな制度になっているのであれば、それを設計した責任者を処分すべきだ。
もちろん、そんなことはありえないわけで、佐川さんはそれくらいの理屈もわからないほど追い込まれているということになるのだろう。多分、消えているのは過去の文書ではなく、佐川さんの理性なのではないだろうか。
サーバー型のメールサーバーだと、過去のメールを溜め込む不届きものがでてくることがある。自分のハードディスクスペースが占有されないために「ま、いいか」と思ってしまうようだ。このためメールを消してゆくという運用をしている会社はある。佐川理財局長はそのようなシステムを念頭に置いて「データが消える」と言っているのかもしれない。
しかし、そのようなシステムになっているとしたら、途中経過を文書にして残して置いておくべきだ。多分「メールが一定時間で消える」システムでも、別のメールデータが上書きされない限りはハードディスクの復元ができるだろうが、それはあまり意味のない議論ではないかと考えられる。国会というのはシステムがわからない人同士がわけのわからない議論をやっている場所なのだということがよくわかる。

現代でも国家権力が適当な理由をつければ社会的に市民を抹殺できます

共謀罪の審議が始まった。多くの人たちが「言いたいことを言えなくなるのではないか」と怯えているのだが、実際でもかなりめちゃくちゃなことが行われているようだ。危険性は2つあると思う。

  1. 国家が怪しいと思う人が逮捕される。これは法が平等に執行されるべきだという憲法に違反する。共謀罪はこれを加速させるだろう。
  2. 本当に凶暴な行為を働くテロリストが見逃されることになる。

Twitterで流れてきたのは「レンタカーを割り勘にしたら白タク容疑で逮捕された」というものだ。意味がわからなかったので調べてみたら「白タク容疑で逮捕されたが起訴できなかった」記事を見つけた。担当弁護士の書いた記事のようだ。それでも20日も拘留されたのだそうだ。
レンターカーを使って福島に原発を見に行ったが、レンタカーを割り勘にしたのでこれは白タクだろうということになったようだ。だがさすがに無理があるので起訴猶予となった。(記事は産経新聞)「起訴猶予」とは怪しいけど裁判にはならないので見逃してあげるというものである。
この人たちはほとんどが公務員なので地位は比較的安定しているのだろうが、一般の会社だったら容疑がかかった時点で「お前やったんだろう」ということになりマスコミから吊るし上げられて仕事を失っていたかもしれない。つまり、裁判が維持できなくても逮捕さえできれば社会的に抹殺することが可能なのである。
ただ、産経新聞の記事だけを見てもよくわからないことがある。弁護士の記事には新聞の切り抜きが添えられている。小さな字なのでよく見えないのだが、中日新聞のようだ。東京新聞も探してみたが該当する記事は見つけられなかった。地方欄で扱われたのみということのようである。
東京新聞には別の記事がある。加須市の職員は「中核派」だったというのだ。中核派も高齢化したなあと思えるのだが、中核派といえば暴力集団なのだから「普通の市民じゃないじゃん」とも思える。反原発派などというと今でもプロ市民扱いされるので「普通ではない左巻きの人たちがやっているんだろう」という印象もある。じゃあ、普通の市民が逮捕されることはないのだと思える。
だが、問題点はいくつかある。一つ目の問題はこの人たちが中核派だというのは国家が勝手にそう言っているだけであって、必ずしもそうとは言い切れないという点だ。裁判もないのだから「怪しい」だけで社会的に抹殺されることになる。弁護士は「新聞は警察発表を何の検証もしないで掲載している」と批判している。安倍首相に批判的なはずの東京新聞でさえ「あの人たちは中核派だったんだ。熱心にお仕事してたのに……」みたいな伝え方になっているほどだ。
次に、どの集団に属するかによって何が犯罪行為かが決まってしまうということになると(党派性にこだわる日本人にとっては自然なことなのかもしれないが)憲法が規定している「法の元にはすべての人は平等」であるという原則が崩れてしまうことになる。もし「計画段階」にまで拡大されると歯止めがかからなくなりそうである。
しかし、この話の一番恐ろしいのは、実はこれが国家体制の維持のために組織的になされた行為でもなさそうだという点だ。添付された記事の切り抜きを見てみると「警察・検察当局はテロを未然に防げなかった」と指摘されるのを恐れて、管内でテロ行為や準備行為が起こるのを過度に警戒しているという指摘がなされている。しかし警察・検察には大したインテリジェンス能力はない。すると「かつてのお客さん」を監視して、何かあったら騒ぎ立てることによって「お仕事してました」というポーズを取ろうとしていることになる。
テロを起こすような危険思想というのは、中核派のように高齢化しており警戒監視されている組織を選ばないだろう。つまり、無駄に市民や元活動家が逮捕される一方で、実際に何かしでかすような人たちが野放しになる可能性があるということである。
ここで「準備行為でも罰することができるようにしてやったのに、テロが防げなかったではないか」と言われかねないというプレッシャーが加わるわけで、現場の暴走は避けられないのではないか。
この一例だけでも共謀罪が危険なのは明白なのだが、民進党がこれを取り上げたという話はきかない。まあ、当事者たちからはアテにされなかったのだろうが、加須にも民進党の支部はあるのではないか。あの人たちはいったい何をしているのだろうか。

シリアに対する攻撃のこれまでのまとめ

アメリカがシリアに向けてトマホークミサイルを打ち込んだ。(リンク先はロイター)当初、最低50発以上と言われていたが70発にまで増えた結果、最終的に59発で落ち着いたらしい。60発打って、1発が海に落ちたそうだ。シリア政府は6名が亡くなったと伝えた。トランプ大統領は直後に記者会見し、この措置を人道的な配慮によるものと説明した。シリアでは化学兵器が使われて(シリア政府は関与を否定)国際問題化していたからだ。このニュースは従来「孤立的な政策」を維持してきたトランプ政権の大きな政策変換として驚きをもって迎えられた。
ロシアには事前通告していると報道されているが、NHKの報道では「今後ロシアとの関係がどうなるか」ということが懸念されているようだ。ロシアはのちに非難する声明を出しており、国連でもアメリカの事前通告のない攻撃を非難する演説を行ったそうだが、先進諸国を中心にアメリカへの支持があった。今後の成り行きが注目される。シリアはロシアの利権なので(シリア内にロシアの基地があり、アメリカと沖縄の関係に似ている)ここに踏み込んだという意味は大きい。これまでアメリカは敵対勢力を通じてアサド政権を攻撃しており、米軍がアサド政権を直接攻撃することはなかったとのことである。
また、習近平主席がアメリカを訪問中であり、こちらもなんらかのコミュニケーションがあったものと予想される。国連への通告が行われていたかどうかは不明だが、通告はなかったのではないか(つまりアメリカの単独行動ではないか)と考えられる。議会への通告もしなかった模様。今後、中国や北朝鮮との関係が変わる可能性があり、中国や北朝鮮が今回のニュースで刺激された可能性がある。このニュースが日本で大きく取り上げられたのは、アメリカの北朝鮮政策が日本の外交・安全保障政策に直接影響を与えるからだ。中国や北朝鮮がどのように受け取ったのかというニュースはない。
日本ではロシアとの関係が心配されているが、アメリカではトランプ大統領がこれまでの孤立主義的な姿勢を捨てて「人道的介入」に舵を切ったことに戸惑いがあるようだ。保守強硬派はシリア攻撃に賛成を表明しているが、人道的な立場から積極的な介入をすべきと考えていた人たちは態度を表明できずにいるようである。またオルトライトの中にもトランプ大統領がアメリカの外の出来事に「首を突っ込んだ」ことに失望する意見があるそうだ。国内政治が行き詰っているから外交政策を転換させ人気回復を図ったという見方もあり「サプライズだけがトランプの持ち味だ」というような感想もある。事前に何の相談もなかったことで議員の一部は反発している。いずれにせよ「何が起きるか読めないし、意図もわからない」というのが正直なところだろう。
識者たちは、バノン氏がNSCを離れたことで戦略的なオプションが増えたと捉えているが、トランプ大統領が戦略的に判断したと考える人は少なく、単に周りのインプットに従ってリアクションしているだけだという観測も出ている。かつて湾岸戦争ではイラクを悪者にするために様々な映像が使われたのだが(石油まみれの水鳥とかナイラ証言などが有名)、トランプ大統領が同じような手法を使って国民に印象を与えているのか、トランプ大統領も一般の国民のようにある印象を与えられて操作されているのかを評価しかねているようである。つまり、トランプ大統領は場当たり的に行動しており、何をやるか、やったあとどうするかが全く読めないというのだ。
案の定、安倍首相はトランプ支持をいち早く表明したが、事前には教えてもらえなかったようである。岸田外務大臣は事前通告がなかったことを認めはしなかったが否定もしなかった。安倍政権は「緊密な連携」などと言っているが、その内容は空虚なものだと言える。ヨーロッパのリアクションは今の所不明だが、化学兵器の使用に関してはシリアを避難していたようだ。ただし、外交による説得を試みていた勢力もありそうで、アメリカが大規模な軍事作戦を衝動的に行ったとすれば、そうした動きが却って潰されてしまった可能性もある。
中国が北朝鮮を抑えなければ、北朝鮮にも同じことをやるぞというメッセージになっていることは考えられるのだが、過度に反応した北朝鮮が予測不能な対応に出ることも十分に考えられる。不確実性が著しく増していることは確かなようだ。このため日経平均は続落した。また、アジアの株も下落しているそうだ。北朝鮮が刺激された結果日本への攻撃などという暴挙に出れば、トランプを支持した安倍首相への非難が集まる可能性があるが、日本国民のリアクションはまだわからない。