前原代表のいうAll for Allはどうやったら伝わるのか(あるいは伝わらないのか)

前原代表が今度の選挙ではAll for Allという概念を有権者にわかりやすく伝えたいと語っていた。前原さんのことは嫌いなので「お前には無理だろ」などと思ったのだが、思い直してどうやったら伝わるのかということを考えてみることにした。が、それを考えるためにはAll for Allとは何かということを考えなければならない。

All for Allというのは前原さんのような多様性が許容できない人がリベラルが多い政党で擬態するために作った言葉のように思える。多様性というのは裏返せばまとまりのなさなので、これを全体に奉仕させるためにはどうしたらいいのかと考えてしまうのだろう。元になっている概念はラグビーなどの全員が一つの目標に向かって勝利するというものだろう。だが、政治というのはスポーツではないので、社会は必ずしも一つの目標に向かって勝たなければならないということにはならない。

ゆえに前原流を突き進んでゆくとやがて論理は自己破綻するはずだ。これが自己破綻しないのは前原さんが自己抑制して理論を自死させてしまうからだ。

本来多様性を認めるということは闘争からの脱却を意味する。かといって、多様性は単なる混乱を意味するわけでは、実はない。この「認知の問題」が実は多様性と全体主義を分けている。

かつてファッションには流行というものがあった。流行にはシーズン限りのトレンドの他にスタイルと呼ばれる大きなまとまりがあった。例えば「渋カジ」とか「竹の子族」などというのがスタイルである。実際にはすべての人が渋カジだったわけでもないのに、渋カジがスタイルが成立しているように見えたのは何故なのだろうか。

多分、スタイルというものは多様にあったが、メディアがそれを捕捉できなかったからだろう。アパレルメーカーがースタイルを提案し、多くない数の雑誌がそれを伝えるというのが、かつてのやり方だったからだ。このためメーカーは数年前から形や色からなるトレンドを提示した上で一年かけてじっくりと製品を準備することができた。

ところが、このトレンドやスタイルは徐々に消えてゆくことになった。たいていの場合これは「消費者がアパレルから離れて行っている」と理解されているが、実はメーカー主導ではないトレンドが可視化されるようになったことが原因となっている。

ところが、実際には別のことが起きている。トレンドは存在する。現在はゆったりめで長めのものがトレンドである。だが、スタイルは多様化している。スタイルとは文化的背景を持った選択の偏りのことである。それがその人の体型の偏りと重ね合わされることで「その人らしさ」を作り出す。スタイルは多様化しているのだが、ファッション好きの人はそれほど困っていないようだ。

これを理解するためにはマスコミュニケーションとインターネットの違いを知らなければならない。インターネットにはタグ付けとフォローという2つのまとめ方がある。トレンドより下位のマイクロトレンドが日替わり・週替わりで出ては消えているのだが、これはタグによってまとめられ検索可能になっている。さらに、ファッションコミュニティにはスタイルを持った人たちがおり(インフルエンサーなどと呼ばれる)彼らをフォローすることで、そのスタイルを捕捉することが可能である。情報という観点から見ると、階層型からネットワーク型へと変容しているということになるのである。

アパレルメーカーはすべてのマイクロトレンドを追うことはできないし、すべてのスタイルを網羅することもできない。彼らがやるべきなのは、いくつかのスタイルを提示することと、今あるマイクロトレンドを捕捉することである。かつての糸問屋から発展した商社は苦戦しているようだが、ファストファッションはここに特化して、捕捉したトレンドを短いリードタイムで製品化できるようになっている。

一方で価値観を押し付けて凋落したアパレルメーカーもある。アメリカでは、背の高い体育会系の若者がメインストリームなのだが、アバンクロンビー・アンド・フィッチはこのメインストリームを大衆に押し付けて大炎上した。ある一つの価値観を固定してしまうとすべてのその他の人たちを敵に回してしまうということがよくわかる。政治世界でこれと同じことをやって大炎上しているのがトランプ政権であり、自民党も同じことをしている。もし「多様性を無視して、みんなのために同じ価値観を持とう」などと言い出せば民進党も同じ程度には炎上するだろう。

このようにファッションのトレンドが一見消えて見えることと、政治が一つの価値観を押し付けてくることには共通の根がある。それが「バラバラさ」に対する理解の違いである。

かつては、保守中流という大きなマスがあり、そのカウンターとしてリベラルと呼ばれる人たちがいたのだが、こうした括りはなくなっている。それは渋カジがなくなってしまったようなものである。だが、わかりやすいファッションスタイルがなくなったからといっても人々は裸になったわけではない。たいていの人は何か服を着ている。中にはスタイルのある人もいるが、多くの人は「なんとなくユニクロを着る」というあたりがスタイルになっている。同じように政治的な意見を全くもっていない人はいないのだが、こうした人たちは無党派層としてひとくくりにされ、マスコミや政党から無党派層呼ばわりされることで、そうした自己意識を<洗脳>されているのだ。

成功したアパレルは製品中心のファションメーカーから多様なスタイルやトレンドを捕捉して素早く製品化する企業に変化した。つまり、みんなが漠然と持っているスタイルやトレンドをまとめて提示するサービスを提供しているのである。多様性を扱うということは、相の変化を伴うということになるだろう。

自民党は一つの物語に有権者を押し込んで行くという政党なので、多様な声を聞いてそれを政策化できるようになれば実は簡単に対抗ができる。問題は政治の世界に多様性を扱う成功したモデルがないということだ。

与野党は、狭いコミュニティの中で有権者に受けようとする政策を探している。これはアパレルが自分たちの頭の中だけで「どのような服が売れるだろうか」と考えているのと同じことであり、現在では自殺行為である。

例えば、政治家は地盤の他の専門分野を持ち、専門分野の情報を受発信することができる。関心のある人がそれをフォローすることができればコミュニティができる。政党はナレッジのネットワークなので、これを組み合わせればいろいろな分野で問題解決ができるソリューションネットワークのようなものが容易に作れる。

色々とわけ知り顔で書いてきたが、こうしたことはSNSの世界では当たり前に行われている。その証拠にTwitterで様々な専門家をフォローしている人は多いはずである。そうすることで例えばベネズエラの現在の状況がわかったり、トランプ政権の動向を日常的に捕捉することができる。

前原民進党政権は多様性を扱えないことで崩壊してゆくはずだ。共産党という「隣にある異質」とすら協業できないのに、その他の雑多さと協業できるはずなどないからである。

こうした多様性(雑多さ)を受容できない人は大勢いて、Twitter上でのたうちまわっている。彼らは与えられるストーリーなしに社会の複雑さを許容できないゆえ、多様な価値観が飛び交うTwitterが許せないのだろう。そのため自分の捏造された価値観からの逸脱を攻撃したりブロックしたりするのではないかと思う。こうした人たちをひきつけて内部崩壊してゆく道を選ぶのか、それとも多様性を受容してより多くの価値観に触れることができる社会に進んでゆくのかという選択肢を、我々は持っている。

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前原民進党に投票するというのはどういうことなのか

今回は前原誠司衆議院議員が新しい民進党の代表なったと仮定して、前原民進党に投票するというのはどういうことなのかということを書く。もちろん私見が入っているし未確認の情報も多いので信頼する必要はない。が、一応過去の発言などを読んで構成した。いろいろと忘れていることが多いのだ。

前原さんのポリシーは一貫している

前原さんの過去の発言には一貫性がある。前原さんはアメリカのジャパンハンドラーと呼ばれる人と仲が良く、アメリカで講演活動もされている。アメリカとのパイプが太いことは、北朝鮮情勢が緊迫化するなか、肯定的に捉えることができるかもしれない。

例えば、前原さんは過去に「日本の軍事産業を武器市場に積極的にアクセスさせるべきだ」と主張している。つまり、ジャパンハンドラーの人たちの主張を日本で実現するためのリエゾンになっているのだ。大げさに「CIAの工作員である」というようなことをいう人がいるのはそのためである。同じように見られている人には長島昭久衆議院議員がいる。この人も憲法改正論者だ。

ジャパンハンドラーと呼ばれる人たちは、軍事産業を儲けさせるためにアメリカを戦争ができる体制にしておきたい人たちだと言え、必ずしもアメリカそのものではない。そのためには同盟国にシンパとなる政治家を抱えておく必要があるのだろう。

前原さんは、憲法第9条についても踏み込んだ発言をしている。これは特に隠された野望というわけでもなくご本人のサイトで堂々と主張している。つまり、首相の権限を強くしてアメリカと軍事的に協力できる体制が作りたいわけである。主な首相は首相公選と一院制であり、首相の権限強化と自衛隊の正規軍化だ。一方で、世界情勢が平和を希求するのは「単なる理想主義で全く受け入れられない」としている。

これが「現実的な歴史観に沿った国家観」なのか「単なるスポンサーを引き付けるためのポーズなのか」というのがよくわからないというのが正直な感想である。

アメリカの軍事産業が潤うためには常に敵が設定されていなければならない。この地域での敵は中国だ。つまり、ジャパンハンドラーの人たちの主張を正当化するためには、中国がアメリカに対抗して世界の覇権を握ろうとしているというストーリーが必要だし、世界平和に向けてみんなが努力しているという図式はあまり好ましいものではない。

さらに付け加えるならば、アメリカの軍事産業が潤うことが政治的目標なのだから、日本の国力を上げたり、平和外交に力を入れることはポーズとしての意味はあるかもしれないが、あまり意味がない。つまり、子育て支援をして国力を高めたり、競争的な産業を作って日本を経済的に世界で戦える国にするということには力を入れない可能性がある。できればそういうことにお金をかけずに、アメリカに貢献する国を作った方が都合がよいからだ。

安倍政権にとって経済政策とは「増税しないためのいいわけ」程度の意味合いしかない。選挙に有利だからである。だからアベノミクスにはどこかおざなりさがある。一方、前原さんのみならず、民進党右派の人たちの経済政策がどこかおざなりなのは、日本を植民地的に見ているという理由によるものなのかもしれないと邪推してみたくなる。

アメリカとは何か

さて、一番の懸念はジャパンハンドラーと言われる人たちが日本を武器産業の顧客程度にしか見ておらず、いわば植民地の総督のような視点で日本を見ているという点にあると思われる。が、それ以外にも懸念はある。

つまり、ジャパンハンドラーがすなわちアメリカなのかという問題である。オバマ大統領は少なくとも表向きは軍事ではなく外交によって世界の問題を解決したいという理想主義的な政策を推進していた。トランプ大統領は全く反対に利己的な理由からアメリカは世界の警察官をやめるべきだと言っている。

冷戦期にはソ連がアメリカを攻撃するかもしれないという潜在的な脅威があったが、市場が一体化してしまったために、大規模な戦争をして世界経済を混乱させる動機はない。にもかかわらずアメリカの軍事産業が冷戦期のように軍事産業が予算を獲得し続けるためには、ある程度対立をでっち上げる必要がある。つまり、いわゆるジャパンハンドラーはアメリカそのものではないと言える。

このことは、日本の防衛政策を考える上では実はとても重要な視点ではないだろうか。アメリカは太平洋の覇権から解放されたがっているかもしれない。すると中国が覇権を握ることになり、韓国、沖縄、グアムなどに基地を置いておく理由はなくなってしまう。日本はある程度アメリカの軍事政策にフリーライドしているために(核兵器は持っていないが、アメリカの核の影響下にある)日米同盟への過剰な期待は視界を曇らせる可能性が高い。

例えば、安倍政権はアメリカから高価なミサイル防衛システムを買おうとしているが、これは却って日本の軍需産業の空洞化を招くかもしれない。日本は技術開発には関与せず、単なるアメリカのお客さんになってしまうからである。アメリカのセールスマンであるトランプ大統領は喜ぶかもしれないが、これが国益に叶うのかという議論は必要だろう。だが、前原民進党がこれをチェックすることはないだろう。

前原さんの従米の度合いは安倍首相よりも強い。が、どちらもアメリカと中国が直接結ぶ可能性を全く失念している。実は日本には憲法上制約からどのくらい協力してくれるかわからない。そんな国と結ぶより、一党独裁で決断が早い中国と結んだ方が手っ取り早い。米中が直接手を結ぶというのは日本にとっては悪夢以外の何物でもないのだが、少なくとも打ち手を考えておく必要はある。

政権を取った時、共産党は邪魔になる

前原さんは共産党との共闘には否定的である。これについて深く考える人はおらず、単に「共産党が嫌いなんだろう」と考えがちである。しかし、過去の発言をみると、実は軍事的な拡張と繋がっていることがわかる。特に政権をとった時には、中国を敵視して軍事的に拡張しなければならないので、軍拡路線に反対する共産党は邪魔な存在だ。

仮に前原さんの思惑通りに民進党が政権を奪還した時に、共産党や社会党のせいで、前原さんの従米的な政策を邪魔する可能性が高い。前原さんは菅政権時代に「日本の武器輸出を解禁したい」という方針を主張していた。これが政権に取り入れられなかったのは社会党の反対によるところが大きいのだそうだ。つまり、アメリカの利益に沿って行動するためには政権に共産党がいては邪魔なのだ。

親米・従米路線が悪いわけではない

このように書いてくると「従米は戦争への道である」という理由でこの人はこんな文章を書いているのだなと思われるかもしれない。が、政治家が特定の産業のために働くというのは必ずしも悪いことではない。特定の国の利益のために結ぶのは問題だが、アメリカの場合は仕方がないかもしれない。日本には親米の政治家が大勢おり、これを否定することは、残念ながらできない。

問題なのは、そういう意図を隠している点にあるだろう。日本の左翼運動というのは、多くの場合反米運動になっている。原子力発電所はアメリカの思惑によって日本に設置されているのだし、反戦運動も反ベトナム戦争運動が源流の一つになっているのだろう。これは反米というよりも、アメリカによって日本の意思決定の幅が狭まっていることに対する反発だと言える。

つまり、従米路線を取ること自体は、有権者の支持さえ得られれば必ずしも悪いことではないのだが、支持者は自分たちで集めなければならない。

阿部知子議員などは「共産党との共闘しないというのはデマだ」などと言っているようだが、実は前原さんとコミュニケーションが取れていないか、知っていて党員を騙していることになり、罪が重い。

これまでも「あれ、民進党(民主党)がおかしいな」ということはいくつもあったが「安倍政権を崩壊させるためには戦略的に必要」などといって我慢してきた人は多いのではないだろうか。前原民進党の民進党支持者は引き続きこうした認知的不協和に苦しむことになるだろう。

まとめ

これまで書いたことは、もちろんこれは個人が、過去の発言などから想像しているだけなので、信頼していただく必要はない。だが、過去の発言から見る限り、支持者の期待とは全く違った方向に政策転換が図られるか、やはり党内左派をまとめきれずに迷走する可能性が高い。

さらに、軍事・外交以外の政策はおざなりになる可能性が高いだろう。八ッ場ダム問題を迷走させ、普天間の基地移転問題を途中で放り出したという「前科」があり、プロジェクト管理能力や現状把握力は必ずしも高くない。逆に党内反発を抑え込むために「思い切った措置」をとり、これが暴走する可能性が高いのではないだろうか。

前原民進党を応援するならこうしたことを踏まえた上で「それでも自民党政治を暴走させないためには抑止力として必要だ」という割り切りが必要である。

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100円均一のリーディンググラスと老眼鏡の違い

年齢がいくと近くの小さな字が読みにくくなる。図書館など公共の場所では老眼鏡を借りることができるのだが「え、そんなに若いのに老眼鏡なんか使うんですか」などと真顔で言われることがある。さらに小さい字が読めないからカードの裏面の注意書きを読んでくれなどというと露骨に嫌な顔をされたりする。老眼というのは老人のものだと思われているのだと思うが、とても傷つく。

そこで老眼鏡を使ってみようということになるわけだが、最近では100円均一でもリーディンググラスと呼ばれるものを売っている。老眼という言葉に抵抗がある人でも気軽に手に取れるようになっているのだろう。だが、100円のものを使うと却って目に悪いのではないかなどと思える。

100円均一のものには明らかな欠点が2つあった。一つは焦点距離だ。目に問題がない時にはあまり気にしなかったが眼鏡には焦点距離というものがある。今は普通の老眼鏡を使ってパソコンに向かっているのだが焦点距離の幅が広く30cmから70cmくらいまでは対応している。別のものを試したところ50cmはきつかった。ものによって焦点距離に違いがあるようだ。

ということなので、老眼鏡なりリーディンググラスを買う時にはあらかじめパソコンや読書の環境などでどれくらいの距離で文字を読んでいるかを知っておいた方が良いと思う。

いずれにせよ100円均一のものは焦点距離が狭めに設定してあるようで50cmだとちょっとつらい。リーディンググラスということで読書の距離に特化しているのだろうがパソコン画面などだと30cmは少し近すぎる。例えば21インチモニタだと50cmは離れている。

もう一つの問題点はフレームの問題だ。100円均一はつるが安い作りになっているようで耳に当たる感覚がある。が、これは安いので仕方がないなという感じだ。

100円均一の老眼鏡はポリカーボネートでできているので傷がつきやすいのだと思う。だが普通の老眼鏡でもガラスに傷が入ったりすると見にくくなる。だが傷が入ったとしても100円なので気軽に交換することができる。さらに、店員に邪魔されることがないので、自分の度数がどれくらいなのかということを心ゆくまで試すことができる。眼鏡屋さんに入ると検眼されたり、たかそうなものを押し付けられそうな懸念があるので、自分で勝手に眼鏡が探せる気楽さは捨てがたい。

なお、本格的な老眼鏡は5000円くらいから手に入るようだ。1500円くらいで遠近両用のものを売っているのだが、レビューを読む限りでは境目が不自然で使いにくさもあるらしい。

いずれにせよ頻繁に着脱が必要になるので、できれば100円均一にはリーディンググラスチェーンのようなものをおいて欲しいと思う。

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日本人と古代の朝鮮半島利権

沖ノ島について冗談めいたエントリーを書いたことがある。沖ノ島は朝鮮半島(釜山)との直線距離にあったので、利権化されていたのではないかという他愛もない説である。世界遺産登録された結果検索が増え、このブログの中でも多く読まれる記事になってしまった。

いい加減な記事なのだが、本当に日本人はまっすぐに朝鮮半島を目指したのかという疑問がある。そもそもなぜ日本人は朝鮮半島にどんな用事があったのだろうか。

実は日本人は古くから朝鮮半島との間を行き来していた。3世紀の魏書弁辰伝には、弁韓は鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していたという記述があるという。記述を読むと倭人が朝鮮半島に住み着いて鉄を採掘していた可能性すらあるという。

一般的に「倭」が日本だとされているので、日本人がわざわざ半島に渡って鉄を採掘していたということになる。

鉄を持っていると、農業生産が上がり武器も作ることができる。つまり、国力が増して周囲の国よりも大きくなることができる。つまり、当時の勢力にとって、鉄は必要不可欠な戦略物資だった。

ただ、この弁韓は巨済島の奥にあたる地域で釜山からは離れている。対馬からは巨済島が近いので、対馬・壱岐・松浦郡・糸島郡・那の津がメインストリートだったことがわかる。魏志倭人伝でもこのルートを通って邪馬台国に渡っている。いずれにせよ沖ノ島を通るルートはせいぜい秘密の裏ルートくらいの意味合いしかなかったのかもしれない。

最初「日本人が朝鮮半島に鉄を取りに行った」と書いたのだが、この認識は正しいのだろうか。

中国大陸には華夏と呼ばれる集団と越と呼ばれる集団があり、それぞれ別の言語を話していたとされる。これらの民族が混成されて漢族と中国語という概念ができてゆくのだが、今でも北京の人と広州の人たちはお互いに理解ができず、遺伝子的にもばらつきが多い。越の人たちが住んでいる地域を百越と呼ぶ。この百越の人たちのことを倭と呼んでいたようだ。

倭人はもともと長江周辺で稲作をしていたのだが、華夏の人たちに押し出されるように南下し、その一部が朝鮮半島から日本列島にやってきたと考える人たちがいる。DNA解析をするとこの説が裏付けられるそうだ。百越は中国南部からベトナムにかけて広がっていて、オーストロネシア系の言語を話していたと考えられている。

この説をとると倭人は中国人だということになってしまう。つまり中国人が日本にも住み着いたということになってしまうのである。これがおかしな話なのはなぜだろうか。それは倭人が列島にきた時代には中国という国もなければ、日本という国も存在しなかったからである。

面白いのは中国から見た文明や国という考え方である。倭人はどうにか意思疎通が可能な人たちだったらしい。が、その外側には全く意思疎通ができない人たちが住んでいる。そして意思疎通が可能な人たちは時々中国の都にやってきて地方の文物をお土産に面倒な挨拶をしている。例えば外国人がいきなりやってきて「朝貢」という概念を説明しても笑われるだけだろう。つまり、当時の北部九州の支配者たちは、中華圏の文明をある程度理解していたということになる。

つまりある程度文明化してから列島に渡ったと考えた方が自然なのである。

いずれにせよ、日本人というのはかなり曖昧な概念で、あとから作られた可能性が高い。このことは日本人の後進性を表しているというわけではない。朝鮮半島も似たような状態だった。

魏書弁辰伝には韓と濊という2つの概念がある。このうち濊は北部からやってきたツングース系かツングース系とモンゴル系の混成民族だという説が一般的なようだ。現在の韓国人はツングース系とは言えないのだから、残りの韓が現在の朝鮮民族なのかという風に思いたくなるのだが、実は朝鮮民族がどのように成立したのかということもよくわかっていないようである。中国が京畿道あたりまでを支配していた時代にはその南にある漢に服属しない地域を韓と呼んでいた。が、北部にも服属していない領域がありそこにはツングース系の人たちがいた。これらが混成して現在の朝鮮人・韓国人ができたと考えるのが自然なのだろう。

韓の南に倭があったとされていて、この倭の領域が半島の最南端を含んでいるという説がある。つまり倭人は対馬海峡と朝鮮海峡を挟んで北部九州と朝鮮半島南部を領域にしていた可能性がある。そうなると、今の日本と倭の領域はずれていたということになる。今の日本は東日本から北部の旧蝦夷地を含んでいるが、倭人がそこまで進出していたのかはよくわからない。少なくとも九州南部にはクマソとかハヤトなどと呼ばれる人たちがいがいたことがわかっており、倭人の領域ではなかった。

中国の人たちにとって意思疎通が可能だったのは邪馬台国までだ。今どこにあったのかよくわかっていない邪馬台国より向こうは「何があるのかよくわからないし、記述する価値もない」ということになっている。だから日本列島の人たちの祖先が倭人だったのか、それとも倭人と地元民の混成だったのかということはよくわからないし、仮に地元の人たちがいたとしても彼らが何系統の言語を話していたのかということもよくわからない。

いずれにせよ、この時代には中国という枠組みもなかったし、朝鮮・韓国という枠組みもなかった。日本という枠組みもなかった。だから、誰が日本人なのかということを考えても無意味なのである。

では、日本人はいつからどのような理由で日本という枠組みを自明のものとして捉えることになったのだろうか。弥生時代の倭人は稲作と鉄文化を持っていた。稲は種籾として持ってきて日本列島で育てることができたが、鉄がどこにあるのかわからなかったために朝鮮半島南部に権益を持ち採掘していた。ところが5世紀か6世紀ごろになると日本でも鉄が作れるようになった。日立金属のウェブサイトに次のような記述がある。

今のところ、確実と思われる製鉄遺跡は6世紀前半まで溯れますが(広島県カナクロ谷遺跡、戸の丸山遺跡、島根県今佐屋山遺跡など)、5世紀半ばに広島県庄原市の大成遺跡で大規模な鍛冶集団が成立していたこと、6世紀後半の遠所遺跡(京都府丹後半島)では多数の製鉄、鍛冶炉からなるコンビナートが形成されていたことなどを見ますと、5世紀には既に製鉄が始まっていたと考えるのが妥当と思われます。

九州に接続する地域で国産の鉄が取れるようになった。それでも貨幣は中国から輸入する必要があったが、秩父地方で胴が発見される。国産の和同開珎が発行されたのは708年だそうだ。このようにして日本の経済は徐々に大陸から独立してゆく。

さらに、外交戦略上の失敗もあった。朝鮮半島南部には新羅と百済という2つの国ができるのだが、ヤマト王権は百済に肩入れする。だが、百済は新羅との競争に負けてしまったので、ヤマト王権は半島への足がかりを失ってしまった。

すると、半島や大陸との交易は外交の一環ということになるのだが、朝貢していた国が傾くと外交も途絶えがちになった。さらに、航海技術が発展し民間貿易をする人たちが出てくると、わざわざ偉い人たちが危険な海を超えて物資を持ち帰る必要がなくなった。こうした事情から日本の政治は内向的になり、半島の事情にも疎くなってゆく。このようにして次第に列島の西部を版図とする日本という枠組みが作られたのではないかと思われる。当時の東部はまだ未開の地で国という概念はなかった。

日本史が混乱するのは、明治時代に西洋から国民国家という概念を輸入したからだろう。国民国家という概念が自明に成り立つためには、もとから国の領域に単一のまとまりを持った人たちが住んでいなければならない。日本人はそもそも単一のルーツを持った血によってまとまった民族集団だという幻想が生まれることになったのだろう。国会議員の中には神話を基に日本人意識を高めるべきだなどと発言する人もいる。

皮肉なことにこの考え方は日本に支配された朝鮮半島にも持ち込まれた。日本列島にいる人たちが単一民族だとすれば、そこから独立するためには朝鮮民族も単一のルーツを持つべきであるという理由から、半島の南部にいた系統不明の人たちとツングース系と思われる北部の人たちの混成だったというような学説が支持される余地はない。代わりに朝鮮民族は5000年の歴史を持っているという自意識が作られた。

韓国人にとってみれば、北部の歴史は満州と同じツングース系の民族が住んでいたということは中国の一部だったということを認めることになりかねない。この議論は高句麗論争と呼ばれているそうだ。また、南部に倭人の拠点があったということは日本の支配権を正当化することになりかねない。代わりに対馬はもともと朝鮮の領土だったなどと言っている。

いずれにせよ、中国大陸から朝鮮半島を経て日本列島まで、なんとか意思疎通ができる人たちとそうでない人たちがいたのだということはわかる。これらの人たちが同一言語を話していたとは考えにくく、今よりも緩やかで多言語的な共同体があったのではないだろうか。

現在の感覚で見ると、韓国は飛行機でゆくちょっと遠い場所だが、距離だけで見ると実はそれほど離れていない。佐賀県の唐津市から距離をとってみるとこんな感じになる。

感覚的には佐賀から宮崎や鹿児島に旅行するのと同じような感じなのだが、言葉が通じない人たちが住んでいた可能性を考えると九州南部の方が危険だった可能性すらある。地図感覚も現代になって作られたものだということがわかる。

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現代版「二つの祖国」は悲劇なのか喜劇なのか

小野田紀美という自民党の議員が左派の人たちから攻撃されている。父親がアメリカ人でありなおかつアメリカで生まれているためにアメリカ国籍を持っていた。選挙に出るまでアメリカ国籍を保持しており二重国籍状態にあったという。この人が自分は二重国籍を捨てたが、捨てていない議員はスパイなのではないかと言っているのだ。

この発言は彼女の政治的センスのなさをよく表している。と同時に自民党の閉塞感をかなりよく示す指標になっていると思う。

戸籍開示の問題は実は出自を知られたくない人たちの問題と意味合いが大きく、二つ以上の国の伝統を引き継いでいる人たちの問題はそれほど大きなものではない。ゆえに、この議論を二重国籍の問題だとすると本質を見誤る可能性が極めて高い。つまり小野田議員が提起した問題は実はそれほど本質的なものではない。

蓮舫さんはアジア系なので黙っていれば日本人とそれほど区別はつかない。が、小野田さんのように外見が違っていると日本人としては認められにくいかもしれない。安倍自民党は「内と外」を明確に区別するようになってきているので、小野田さんの属性(女性でハーフ)はあまり有利には働かないだろう。だからこそ、小野田さんはことさらに日本人性を強調する必要があるのだろう。

この件を見ていて、山崎豊子の『二つの祖国』を思い出した。正確にはNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』として知られている。日系アメリカ人がテーマになっている。アメリカはドイツとも戦ったのだが、ドイツ系のアメリカ人が敵性人種として扱われることはなかった。なぜならばドイツ系のアメリカ人は大勢いて、なおかつ顔がメインストリームの白人系だったからだ。例えば、アイルランド人とドイツ人を外見から見分けることはできないし、ある程度混血も進んでいるのだから、ドイツ人だけを分離することはできない。しかしながら、日系アメリカ人は顔が他の人たちと違っていたために、他の人たちとは違った境遇に置かれた。

彼らは財産を奪われて劣悪な環境に収容された。さらに愛国心のテストなども行われて、パスしなければさらに苛烈な環境に追いやられたのだそうだ。つまり、容姿が違っているためにスパイ扱いされて、人権を抑圧されたのだ。このように扱われたのは日本からの移民だけだった。

小野田さんはこうした日系の人たちと直接つながりがあるわけではないのだが、日米の両方の文化を受け継ぐ人が軽々しく「スパイ」と言ったのは実はとても軽率なことだったのである。実際にスパイ扱いされて人権を抑圧された同胞が、日本人にはとても多いのだ。保守の人たちが血を大切に思うのなら、海外同胞の歴史にも興味を持つべきだろう。

日米は敵対していたので、日系人には日本人であることを選んだ人たちとアメリカ人であることを選んだ人たちがいる。アメリカ人であることを選んだ人の中にも、血のつながりがある人を人間として扱うべきだと考える人と新しい統治者として振る舞った人たちがいる。ドラマはこうした人たちを丁寧に描いているのだが、そのうちの何人かは悲劇的な最後を迎える。内面と外見が必ずしも一致しないことが登場人物たちを終生苦しめ続けたということになっている。

だが、当時と現在では状況がまるで違っている。日本とアメリカは戦争をしているわけではない。台湾と日本も戦争はしていない。にもかかわらず、なぜ小野田議員はことさらに日本人であることを強調しなければならなかったのだろうかということをずっと考えていた。それは、実は日本人が外国に囲まれていないからなのではないかと思った。

つまり「今ここに危機があるから」スパイを懸念しているわけではなく日本人としてまとまれるものがないから、ことさらに外国を警戒するような発言が出るのではないかと思うのだ。つまり、外国人は蔑視の対象として存在するわけで、平民の下に被差別階層をおいたのと同じような構図なのではないだろうか。

例えば、ドイツとフランスは国境を接しているので、ドイツ領内に「自分たちはフランスの影響を受けた外見を持っている」と考える住民が多くいる。東側はポーランドと国境を接しているのでスラブ系の影響を受けたドイツ人がおり、さらにその東方には支配階級だったドイツ人という人たちもいる。。つまり、ドイツ話者という自己意識は必ずしもドイツへの忠誠にはつながらないのだが、それが特に大きな問題になることはない。Wikipediaにはこのような記述がある。

  • 「ドイツ人、それがどこにいるのか私にはわからない」(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
  • 「我々をドイツ人として纏めようとする事は無駄な努力である」(フリードリヒ・フォン・シラー)

ドイツ人ですらドイツ人の定義がわからないのだが、厳然として隣の国と違った言葉を話すまとまった人たちがいる。つまりドイツ人は存在するのである。これが本来の民族意識なのだ。

国家の存亡という点だけに着目すると、多分ヨーロッパの方が切実なはずだ。国境を接していて領土の取り合いもあった。

一方、日本は外国と国境を接していないので、いったん純化欲求が起こると仮想的な分だけ競争が苛烈になるのだろう。まずは、外見が外国人風の人がはじかれれ、さらに血統の良い人が残るという感じなのかもしれない。

そもそも、日本の保守が何を保守するのかということが曖昧だ。保守の人たちが考える日本の伝統はm明治維新期に海外から入ってきた一神教の要素に「汚染」されているのだが、これを日本の伝統だと信じている人も多い。が、本当の伝統を知りたいなどとは思わないようである。本来の関心事は集団ないの序列であり、その序列に都合が良いように物語を作っているだけなのだろう。

アメリカは日本と戦争をしていたからこそ日本的なものを排除しようとした。だから日系人はことさらアメリカに忠誠を誓う必要があった。ところが日本はどことも戦争はしていないし、外国から今すぐ侵略されるという懸念があるわけでもない。にもかかわらず、なぜこうした純化欲求が起こるのかよくわからない。

外国に囲まれておらず、日本性というものが漠然としているからこそ純化欲求が起こるのではないかと思うが、政治がその役割を見失っておりまとまりを持つためにありもしない日本性というものが妄想されているのかもしれない。もともとの目的意識がない運動なのだから、当然その純化欲求は迷走するだろう。その迷走ぶりは外から見ると喜劇でしかないわけだが、必死でしがみつこうとする当事者たちはある種の必死さや悲劇性を感じているかもしれない。

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なぜ安倍真理教の人は平気で嘘がつけるのか

面白いツイートを見つけた。こういうのは本当に調べ物の役に立つ。


実際に薬物を投与されている可能性もあるわけだが、人は脳内で薬物を利用している。それが脳内ホルモンである。そこで嘘つきとホルモンで検索をすると、イスラエルの学者らによる研究について言及している記事を少し見つけた。要約すると次のようになる。より詳細なまとめもある。

  • オキシトシンという親密さと関係しているホルモンがある。
  • このホルモンが多くあると、チームのために平気で嘘がつけるようになる。
  • が、個人の利益のために嘘をついているわけではない。

オキシトシンは愛着を感じると多く分泌されるが、外から投与することもできる。そこで、オキシトシンを投与してチームプレイのゲームをさせたところ、投与したグループの方が嘘が多かったということである。

つまり、安倍政権の人たちは組織のことを大切に思っていて仲間を守るのに必死になっている可能性があるということになる。伝統的な日本の価値観ではむしろいい人たちなのだろうということだ。若干問題なのは彼らが嘘をついているのが日本国民だということだけだ。彼らは「一般の人たち」を守るために嘘をついているのだが、安倍政権を攻撃する人たちは「敵」に見えるのだろう。が、身内を守ろうとすればするほど、敵が増えてしまい、結果的に何も言えなくなってしまうということになる。

いずれにせよ組織防衛のために嘘をつく人は、嘘についてそれほど罪悪感を感じていない可能性がある。それは仲間を守る良いことであって、決して悪いことをしているつもりはない。悪いのは、親密な関係を崩そうとしている敵であり、彼らにとっては朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などは、もはや一般紙ではなくテロリストと同列の破壊者なのかもしれない。

このような事情を含んで共謀罪関係の話などを聞いていると、彼らの心理が少なからず見えてくる。今、共謀罪が「一般人」を対象にするかということが問題になっているが、彼らにとっては政策の批判者であったとしても敵なのだし、自分たちの仲間を大切にするために、国民の財産を処分することもよいことなのかもしれない。つまりもはやニュートラルな一般人というものはありえない。敵と味方なのだ。

逆にテストステロンを投与されると嘘をつかなくなるという研究もあるそうだ。こちらは男性的な競争に影響しているので、内部の同調性は少なくなるのだろう。

まあ、この研究が直接安倍政権の嘘と関連しているかどうかということはわからないわけだが、いずれにせよ「倫理」で政治を語らない方がよいのかもしれない。何が「善いか」というのは人によってこれだけ変わり得るからだ。

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大麻と共謀罪

共謀罪は政権に悪用されるだろう、が

テレビでニュースを見た。共謀罪法案への反対を訴える学生っぽい女性が「このままでは日本はめちゃくちゃになる」と言っていた。顔が歪んでいたので本当に心配しているのだろう。政治家が一般の市民にここまでの不安を与えるというのはとても罪深いことだなと思った。と、同時に日本が共謀罪で無茶苦茶になることはないだろうとも思う。
日本人には独特の政治的姿勢を持っている。まず、理論や理屈などにはあまり関心を持たない。しかし、利益を独り占めすることだけは「絶対に許さない」ので「自分の利益を削っても相手を困らせよう」とする。もしかしたら(というよりかなり確実に)共謀罪法案は政権によって悪用されるだろうが、多分大方の日本人は法的安定性などというものはそれほど気にかけておらず、誰がが捕まったとしても「何か悪いことをしたに違いない」と思うだけだろう。
日本人はあまり論理を気にしないといわれても「自虐的だ」と思われるだけかもしれない。ここで極端な事例について考えてみたい。

絶対に吸ってはいけない大麻

田中聖という歌手が大麻取り締まり法違反容疑で捕まった。捕まった途端に「大麻は絶対にいけない」とテレビで連呼するいわゆる「識者」の人たちが多かった。しかし、のちに「あれは自分の車ではないから所持していたかどうかは証明できない」ということになり、無罪放免となり、拳を振り上げていた識者たちは「なんだかがっかりだ」というようなコメントを出した。一つだけ言えるのは、彼らは大麻がなぜ悪いかを知らずに、田中さんを叩いていたのだということである。
スポニチによると松本人志は次のように言っている。

松本は田中の逮捕について「警察の勇み足的な部分もあったのかな」と感想を述べたうえで、「このニュースで、大麻って吸っていいんだ!と思わせてしまった。変な暮らしの豆知識を与えてしまった」と指摘。「(極端に言えば)後輩とかマネジャーとか知り合いに大麻を持たせておいて、吸わせてもらったらいいわけでしょ?そんなことを教えてしまったなと。逆に、吸ってなくても自分の指紋なりが付いた袋から大麻が出てきたら、俺逮捕されちゃうんだ!っていう、何とでも落とし込めるのもちょっと怖い」と法律の抜け穴に首をひねり、「おかしい、矛盾してるわ」と納得いかない様子。「大麻はあかん!って言っていた我々がアホみたい」と釈然としない表情だった。

もともと日本では大麻は禁止されていなかった。これが禁止されたのはGHQの要請によるものと言われている。理由は単純で、アメリカでは大麻が禁止されていたからである。ではなぜアメリカで禁止されたのかということなのだが、タバコ産業のロビーイングの成果であるという説がある。さらに日本の輸出産業を壊滅させる目的だったと指摘する人さえいる。これらの説の真偽のほどはともかく、常習性のある薬物のうちで大麻だけが禁止されてしまった。
一方、同じ有害植物であるタバコは政治家に守られている。健康への被害が深刻だということはわかっていて、西欧先進国では軒並み厳しい規制がかかっている。ハフィントンポストのこの記事を読むと、自民党の及び腰や世界標準のズレがわかる。

内心の自由ならぬ「内肺の」自由

いずれにせよ、日本で大麻を吸っていいのは、日本では麻はありふれた植物だったからだ。つまり、どこにでも自生する可能性がある。ということでわざわざ吸う人はいないにしても、雑草として燃やした時に空気を吸い込んでしまうことがあり得るのだ。つまり大麻は吸っても罪にはならないことになっているのにはそれなりの理由がある。共謀罪風にいうと「普通の人が共謀罪の対象にならない」というのが嘘なら「普通の人が大麻を吸うことは絶対にない」というのも嘘なのだ。松本さんが「大麻って吸っていいんだ」という認識を持ったとしたら、それはとても正しい。大麻は誰の肺からも検出される可能性があるが、表沙汰にならないのは大麻の抜き打ち検査が行われることなどないからである。
大麻は自生している。北海道が90%を占めるそうで、もともとは国策によって広まったそうだ。国策だったのは、大麻が有効な輸出品だったからである。つまり、絹などと同じ位置付けだったのだ。アメリカはナイロンなどの化学繊維を生産していたので、日本から輸出される安い自然繊維を脅威と感じていたのは間違いがない。いずせにせよ、北海道には今でも大麻が自生しており、これを刈り取って捕まる人が時折いるという。

大麻、タバコ、酒のうちなにが一番罪が重いのか

大麻が健康に被害をもたらすことは間違いがない。が、これはお酒も同じである。もしお酒が禁止されていたとしたら、みんな隠れて飲むことになるだろう。当然質の悪い密造酒ばかりになるだろうし、密売ルートに関わるうちにもっと「ヤバいもの」に手を出す可能性も高い。さらに、中毒症状を起こしても医者にかかることはできず(かかると捕まるので)中毒症状は増して行くことになるに違いない。実際にアルコール中毒というのはかなり深刻な状態なのだが、禁止しろという人は誰もいない。管理したほうが、結果的には健康被害が抑えられることがわかっているからだ。
タバコ・酒・大麻の中でどれが一番罪が重いだろうか。大麻で健康が蝕まれるとしても(健康によいという主張をする人もいるようだが)それは自分だけの問題である。鎮静効果があるので「ダウンした」気分になるそうだ。お酒の場合には気分が高揚して相手に乱暴を働くことがある、家庭内暴力の多くにお酒が絡んでいるのはそのためだ。周りに迷惑をかけるという意味ではお酒の方が罪が重い。さらに、タバコも周囲を巻き込む。副流煙被害によって健康を害する人が出てくるのだ。ゆえに他人に迷惑をかけるという意味ではお酒やタバコの方が罪が重いと言える。
にもかかわらず、大麻がこれだけ厳しく規制され、タバコは年齢制限こそあるものの野放し状態になっている。論理的にはまったく説明ができないが、それを気にする人はいない。日本人は論理をそれほど重要視せず「法律違反だから悪いことだ」と考えてしまい、単純に「悪い人は排除しよう」と思ってしまうからである。
大麻の場合には警察のお仕事になっているので、これを解禁すると警察で仕事をなくす人がでてくる。だから、解禁できないのだという説さえまことしやかに囁かれている。一方で、タバコが野放しになっている理由も中小の飲食店がタバコを吸う場所を提供するということで成り立っているからだろう。結局、現状が誰かの利権につながっていて、それを変えることが難しいというだけの話なのだ。

政治について語ることが悪いことになる時代がやってくるかもしれない

共謀罪もこれと同じようなことになるだろう。警察にしょっ引かれたからあの人は何か悪いことをしたに違いないということになるだけで、一般の人たちはさほど関心を持たないはずである。なぜならば、そもそも政治に参加しようなどという気持ちはないからである。
多分、共謀罪の一番の問題は、内心に踏み込んでしまい法的体系をめちゃくちゃにしてしまうということだと思うのだが、多分国民にとって一番大きな問題は「政治について話すことは悪いことだ」という意識が定着することだと思う。それは大麻を吸うような場所に出入りするのは悪いというのと同じ話だ。タバコを吸う喫茶店に出入りしても社会的に抹殺されることはないが、大麻を吸う場所に出入りするのは「ヤバい」ことなのだ。と同じことが政治にも起こりかねない。
これはいっけん政権にとって都合がよさそうに思えるが、日本人は誰かが利権を独り占めすることだけは絶対に許さないので、誰も政治に関心を持たないが、バッシングだけはひどくなるという状態が生まれるのではないだろうか。誰も政治については表立って話さないが、バッシングの時だけは一致団結するというような社会になるのかもしれない。
 

日本人を褒められますか?

最近、毎日のようにQUORAに投稿している。日本関係のことだとあまり調べ物をしなくても書ける。レコメンデーションシステムがあり、書き込んだのと同じトピックの質問が送られてくる仕組みになっているので、同じようなものを回答し続けることになる。Upvoteというシステムがあり「良い答えだ」とおもったらupvoteしてもらえるので、ちょっとした励みにもなる、また、英語でこれは何というのだろうということも調べられるので、ノンネイティブとしては英語の勉強にもなる。割といいことが多い。
外国人の日本についての質問には幾つかの特徴があるのだが、韓国人や中国人と比較して日本人はどう優れているかという質問が多い。どうやら三カ国がお互いに対抗意識を持っているということはうっすら知られているようだ。だが、外国人から見るとみんな同じに見えるので、対抗しているのが不思議に思えるのかもしれない。
日本の膠着しているシステムについて愚痴っている投稿などもあるが、わざわざ外国人に愚痴っても仕方がない。こうなると日本人を褒めたいわけだが、日本人を褒めるのはなかなか難しい。三ヶ国の違いがわからないと褒めたり貶したりということができないからだ。いろいろなやり方があるだろうが、日本人の特徴として次のような項目を利用している。

  • 人間関係が比較的フラットである。
  • 優しくて穏やかで相手の気持ちを思いやる。
  • ものの言い方が控えめである。

さて、これを使って日本人を褒めるわけだが、日本人を褒めて韓国人をけなすのは大人気(おとなげ)ないので「どちらもいいところがありますよね」などということになる。ポリティカル・コレクトな答えだが公共空間では無難な線だろうし、説得力が増す。
つまり、日本人は控えめな言い方をするが、韓国人は開けっぴろげで正直であると書くと受け入れてもらいやすいように思える。これは、日本人と韓国人には違いがあるがどちらが優れているというわけではありませんよということだ。つまり、どちらにもいいことがあるわけだが、同時に日本人の美点はよくない出方をすることがありますよということでもある。
日本人は直接的な言い方を好まず、あまり自分の本心も打ち明けない。これを控えめという言い方もできるが、友達になっても距離があるという言い方もある。これに悩んでいる外国人は多いらしい。つまり、日本生まれで日本人の血統を持っていないと「日本人扱いしてもらえない」と感じている人はかなり多いらしいのだ。アニメやその他の日本文化が好きで日本にやってきたのにいつまでもお客様扱いされているという不満を抱えている人もいるし、アジア人の中には外人扱いすらしてもらえないと嘆く人もいる。
いずれにしても、もし「日本素晴らしい!」と思うのだったら、外国語で日本について説明できるようにしておいたほうがよいだろうし、そのためにはある程度仕組みを理解する必要がある。そのためには、日本人は近隣諸国の人たちとどう違っているのかということを知らなければならない。
日本人の中で日本すごいと言っているうちは「四季がきれい」とか「民度が高い」とか言っていればいいのだが、例えば四季がある国は多いし、民度って一体何なんだということになる。民度が高いというのは結局「中国人がお行儀が悪い」と言っているにすぎないので、厳密にいうと日本人の利点ではない。
結局「美点」というのは比較で成り立っているので、日本が好きといいたい人たちは中国や韓国のいいところを学ぶべきなのだということになる。

ダイエットについて真面目に考える

しばらく運動ができない時期があり67kgくらいあった体重がピーク時には84kgくらいいった。しばらく「もういいや」と思っていたのだが、写真を撮影するとあまりにもひどかったので、再びダイエットしてみることにした。
以前に食事を変えて(炭水化物を抜く)三ヶ月程度で10kgほど痩せたことがあった。炭水化物を抜いて1kmくらい歩くというのをしばらく続けたのだ。だが、今回は食事を変えたりということはできなかった。

やってみたこと

まずは体重計に乗ることから

太ってくるとそもそも体重計に乗るのが嫌になる。まずは現状の把握が重要だが、体重計に乗ろうと思うまでに数日かかったと思う。が、とりあえず乗ってみた。これまでの最高が80kgくらいだったのでそれを少しオーバーしている。ちょっと絶望する。

とりあえず最初の一歩を踏み出すことが大切

時間がないとか食事を自分でコントロールできないなど、制約がある人も多いと思うのだが、まず開始してみることが大切だと思う。とりあえず1時間くらい歩くことにした。ガラケーにある万歩計を使う。計測してみるとだいたい7000歩という値が出る。これでだいたい一ヶ月に1kgくらい減らすことができた。この状態が半年くらい続くと6kgくらい痩せることができる。
しかし、1kgくらい減っても体型にそれほどの変化は見られない。あまり成果を気にしないことにする。

内臓脂肪を減らすためにお酢を飲む

内臓脂肪を減らすという触れ込みのお酢を飲むことした。知っている人がお酢を飲んで胃を荒らしたという話を聞いていたので、りんごなどで調整されているものを買ってきた。だいたい一週間くらいで一本飲むのだが価格は近所のスーパーで265円(Amazonで買うとちょっと高い)である。体重は減っているものの、それほど劇的に変化がわかるわけではない。

もともと一番右側の穴で締めていたベルトが一番左の穴になった。半年でこれを左から3番目まで縮めたのだが、最後の1つが落ちなくなった。

よく見ると右の穴の隣に筋がついているが、無理して締めていて付いた筋だ。締められるけど、ちょっときついみたいな状態である。

どうも「内臓脂肪大作戦」はここで効果が落ちついてしまったわけだ。お酢を飲んで運動するというのに効果がないわけではないのだが、作戦を切り替えなければならない。

停滞してからやったこと

体重の減少そのものは76kg近辺で止まった。半年強で8kgくらい痩せたことになるが、まだ少し腹が出ているという状態だ。

筋トレする

ちょっと体が動くようになってきたので、筋トレを始めた。しかし、あまり張り切り過ぎると続かないことは容易に予測できるので、腕立て伏せ3回(胸の両側、上、下と部位が3つある)で10回づつ行うことにした。あと腹筋を3種類やる。普通の腹筋(足を上げることで腰を床につける)、足を上げ下げして下腹を刺激する、ひねるというものをやることにする。スクワットをやっていたが面倒なのでやめた。時間にして10分もかからないので、やっててもあまり意味がないのかなあと思う。
行ける人は時間を作ってジムに行ったほうが良いと思う。スウィッチが切り替わるのでまとまった運動ができるからだ。が、マシーントレーニングも考えものだなあと思った。とりあえず重りを動かしているだけだと「どの筋肉に効いているのか」をわざわざ考えない。

写真を撮影する

ダイエットというのはなかなか思うように効果が出ないので、写真を撮影することにした。ちょうどファッションに興味があったのでファッション投稿サイトで反応を見ながらやってみることにした。しかしやってみると、頭が大きく脚が短い。これを補正するために画角を調整する人もいるようだが、ポージングでなんとかやってみることにした。ファッション雑誌を真似てみるわけだ。

気がついたこと

世の中にあるダイエット本にはさまざまなアプローチがあるのだが、それぞれこうした要素について言及はしていても全体については書いていない。だから、あるダイエット法をやったからといって、それがすぐさま劇的な効果を生むということはないわけだ。最初はベルトの穴が減ったりして嬉しいわけだが、だんだん数字が動かなくなると「もうやめちゃおうかなあ」という気持ちになる。そこで数ヶ月でやめてしまうと「効果がなかった」ということになってしまうのだと思う。
だが、実際には8kgほど痩せている。これの効果を実感したのは4kgの荷物を背負った時だ。背中にずっしりくるわけだが、これの倍を身につけていたことになるわけで、かなり大きな負担だったことがわかる。だから、諦めずに続けることが重要だ。

体重が減ることとスタイルが改善することは実は似ているが違う

停滞を破ったのは実はあまり脂肪燃焼とは関係がない行動だった。ということである程度守備範囲を広げておくのは重要である。
写真撮影をしているうちに姿勢が気になりだした。脚が短く、頭が大きいからだ。日本人だしモデル体型でもないから仕方がないよなと思ったのだが、サイズなどを計測してみる。すると実はそれほどひどいものでもないのである。姿勢が悪いんだなあと思った。
そこで最初は脚と胸で姿勢を維持しようとした。すると腰に無理がかかったようで左腰を痛めた。痛くてしゃがめないほどである。左腰に負担をかけないようにして(というよりかけられない)姿勢を補正するためにはどうしたらいいかを考えた。
そこで上半身を持ち上げてみる。するとウエストが細くなる。さらに下腹部に力を入れて下腹部を引っ込めた。これで下腹が凹む。さらに年齢が行っても太っていない人の肩甲骨がTシャツ越しにわかることに気がついた。これを真似てみると胸をかなり反り返した感じになる。その状態で入らなかったパンツを履いてみたところすんなりと着ることができた。つまり知らず知らずの間に体が緩んでいたのである。
下腹部を出したり引っ込めたりすると腹式呼吸になるのだが、これをしばらくやるとさらに2kg弱痩せた。さらに最後の一穴が無理なく締められるようになった。
そういえばこれを利用したロングブレスというダイエットもあったなあと思った。ロングブレスダイエットは「息を吐き切る」という点に特徴があり、きつければきついほどいいという印象があったのだが、実はそれは本質ではなかったようである。下腹で呼吸するということがよくわかっていなかったのだ。そう考えると丹田呼吸という本も幾つか出ていて「いろいろつながっているんだなあ」などと思う。
体脂肪率が減ったわけではないので、排水がよくなっただけという可能性もあるが実際に体重が減ったし、ベルトも縮まった。これでいいんじゃないだろうか。

最初の行動が無駄になったわけでもなさそう

このように三段階でダイエットしてみた。最初にやっていたことが無駄になったのではと思える、しかし、第二段階以降を実行するためには、そもそもある程度内臓脂肪が減っている必要があり、なおかつ姿勢を保つための体力も必要である。体力がないにしても、少なくとも筋肉がどう動いているのかという意識を持たなければならない。つまり「無駄だなあ」と思ってやってきたことが実は効果があったということが後になってわかるのだ。
ジムで急激に体重を減らしてもやみくもにマシーンを引っ張っているだけでは「単に痩せた」だけで後には何も残らない。何をどう動かしているのかという意識付けが実は重要なようである。
例えば「お腹を引っ込めたい」と思っていても、実はお腹がどうなっているのかをよく知らない。実は腹筋は幾つかのブロックにわかれていて横にも広がっている。どこに何があるかわからないと力を入れることもできない。さらに腹部の上と下では効果的な運動すら違っている。このように筋トレはトレーニングそのものが目的なのではなく「そもそも筋肉ってどこについているの」かを確認するためにもできるわけだ。GQには次のような記述がある。

腹凹エクササイズは、腹直筋、内外腹斜筋、インナーマッスルである腹横筋をそれぞれターゲットごとに鍛えるメニュー。回数は各20回1~3セットを目標に、週2回からスタートしよう。まずは全メニューにトライを。続かない人は、各10回、週1回からでもいい。とにかく、挫折することは避けてほしい。

まとめると

  • 無理なく続けられることが重要。5分の筋トレだと特にやめる気にならない。歩くのも習慣にしてしまえば楽だ。これをライフスタイル化すると言ったりする。成果と結びつけてしまうと、
  • ダイエットにはいくつかのプロセスがある。停滞したらアプローチを変えてみるといいのだが、何をしていいのかよくわからない。しかし、体脂肪を減らすことから姿勢を正しくすることに変えてみるなどのやり方があるので、いろいろ手をつけることは重要なようだ。
  • すぐに効果がでない場合に備えて記録を取ってみる。体重計のように数字で測ってもいいが、ベルトの穴だったり、昔のスーツだったりといろいろな計測方法がある。複数の指標を持つことが重要なようだ。

当たり前のことがとても画期的に見えてしまう千葉市長選挙

千葉市長選挙が盛り上がっていない。現職に対抗する候補がいないのだ。一応、選挙期間中なので公平性のために書いておくと、共産党が擁立した候補と現職の一騎打ちということになっている。この様子を見て、もし自民党がまともだったら革新系の政党はなくなってしまうんだなあと思った。中央で共産党などの革新系がある程度の勢いを持っているのは、実は自民党のおかげなのだ。
千葉市の共産党側は、争点を「学校にクーラーを入れる」ことと「カジノをやめさせる」の2つに絞ったようだ。が、正直「なんでそれなの?」という思いはある。


一方で現職側は市民と一定のつながりをもっていて、いくつかのプロジェクトを走らせたい模様だ。主なプロジェクトには、市中心部の再開発、市役所の建て替え、海岸沿いのまちづくりなどがある。政治家としてまちづくりみたいな大きなことをやってみたくなったのかなあという懸念はある。二期目までの主な仕事は財政の立て直しだったからである。
千葉市長は選挙のたびに約束を立ち上げ、任期中に検証し、一応選挙期間中にチェックして、新しい約束を作るというようなサイクルになっている。この約束をマニフェストと呼んでいる。中央民主党が失敗した手法なのだが、政令市レベルだと一人で組み立てることができるので、これがうまく機能するのだろう。

このことから、共産党というのは今や自民党のおかげで成立している政党なのだということがよくわかる。つまりそれほど現在の政権政党の政府運営はひどい状態になっていると言える。だが政府叩きには2つの欠点がある。
一つ目の欠点は、あまり勉強しなくても政府を叩くのは簡単だということだ。財政の仕組みを勉強しなくても「福祉予算がないのは政府が無駄遣いをしているからだ」といえば、なんとなく立派なことを言ったような気になってしまう。共産党の候補の方は「市長と話をして大規模プロジェクトはよくないという思いを新たにした」と言っているのだが、思い込みが確信に変わってしまうのだろう。
だが、支持者にとってもっと深刻なのは「叩くこと」がもたらす一体感と陶酔感ではないだろうか。共産党をはじめとした野党4党は自民党の悪政を追求するのに夢中になっている。この運動には麻薬のような効果があるように思える。
共産党はモデルにする社会像を持たない。これは東側陣営が崩壊してしまったからだ。ドイツのような社会民主主義も根付かなかったので、核心陣営には政策立案能力がないのだ。それが露呈しないのは、実は自民党を否定さえしていればまともに見えてしまうからである。もし自民党が憲法を遵守しつつ都合の悪いところを変えてゆこうなどと考えれば、共産党はたちどころに崩壊してしまうかもしれない。
実際に自民党政権が安定したのは、憲法や国防といった問題を棚上げにして経済に集中したからだと考えられる。憲法や国防という大きな問題は陶酔感を伴った反対運動にとって「飴」になっているので、これを扱わないことで、若者たちは却って政治に興味を持たなくなっていったのだ。いったん陶酔したからこそ冷めるのも早かったということになる。
その他の革新系の団体も実はあまり選挙には乗り気でなくなっているようだ。原発をなくせなどいう運動は誰も興味を持たないので運動の中心にいられるのだが、市長が積極的にマニフェスト作りを呼びかけると「その他大勢」になってしまうのだ。
千葉市がこういう状態でまとまったのは、財政がかなりひどい状態に陥った上に自民党型の金権政治が「逮捕」という最悪の形で終焉したからである。その後バブルの処理を経て今の状態になった。
現在、国政ではかなりひどいことがまかり通っているのだが、このまま安倍政権が何年か続いた方がよいのかもしれないと思うことがある。やはり「あれはひどかったね」というのが浸透しないと状況は変わって行かないのではないだろうか。
現職の支持者の中には「マニフェストまで作って素晴らしい」などというつぶやきをする人がいるわけだが、実は当たり前のことをやっているだけのようにも思える。これが素晴らしく見えるのはある意味では自民党のおかげであると言える。つまり、自民党が内部から改革してしまうと、多分民進党を含めた革新系は総崩れし「安倍政権はいらない」と言っていた人たちも政治から「手を引く」ことが考えられる。
つまり、中央には自民党があるから革新政党がなくならず、革新政党が政策立案能力を持たないので、自民党が支持を集めるという奇妙な相互依存関係があるのだ。
国政に比べるとまともに見える千葉市政だが、当然問題もある。共産党がプロジェクト管理をまともに学んでいるとは思えないので、例えば市役所の建て替えが見積もり通りに行われているのかをチェックする人たちが誰もいないのだ。
なお自民党側は今回現職を応援しないが独自候補も立てないという方針で臨むようである。基本的に中央の勢いを地方に取り込むという形式の政党なので、中央がガタガタになると地方支部が衰退してしまうのかもしれない。もともと逮捕されてしまった前職を担いでいたという「前科」もあり、独自候補が立てられなかった可能性もある。