引きこもりつつある日本経済

野口悠紀雄先生が各種統計を概観した上で、法人税を下げても設備投資には回らないのではないかと言っている。市場が縮小傾向にあるために、国内で追加投資をしても過剰になるだけだからだ。代わりに金融商品への投資が進むだろうと予測している。
これを読んで「だから法人課税を強化すべきだろう」とは思ったのだが、もっと別の疑問が浮かんだ。
法人課税を正当化するためには、「企業は成長のエンジンであるべき」であり「企業の主な活動は生産活動であるべき」という2つの前提を置かなければならない。しかし、これは必ずしも自明の前提ではない。ある種のイデオロギーだ。
生産活動よりも資本を直接投資した方が効率よく資本を増やせるのであれば、企業は生産を諦めて資本家に転じた方が合理的だ。足元の市場が縮小しつつあるのであれば、その合理性はさらに強まるだろう。
企業が生産活動を諦めれば、より少ない人数で経営資源を管理できる。故に多くの人は失業するが、人件費を削減できるということでもある。もしくは、最低限の生産活動さえ維持さえできればいいので、最低限の投資(給与や生産性向上)で運営するのが合理的な選択になる。
企業が資本家化するということは、生産から手を引くということだ。ベンチャー企業がなければ国内には生産の担い手がいなくなる。
こうしたことは既に起きている。不調に喘ぐ東芝はテレビ事業を切り売りすることにした。インドネシアにあった工場を海外のメーカーに売るということである。これは技術的資産を手放し、将来の派生技術も手放すという事だ。もしかしたら、特許技術やブランドといった権利だけは資産として手元に置いておくのかもしれない。
資本家になったといっても企業の経営者は投資のプロではない。新しい技術への目利きなどはできないだろう。その為に金融家という人たちがいるのだが、日本の銀行は技術の目利きとしての機能を発展させなかった。彼らは新規事業の善し悪しを見分けられないのだから、企業への投資はされないだろう。そもそも生産者がいなくなるのだから、投資のしようがない。では、その資金は何に投資されるのだろうか。
かつては土地が投機の対象になっていた。土地は必ず値上がりするだろうという見込みがあったからだ。しかし、現代ではこうした見込みは成り立たない。人口が減少しているので、東京などの一部の都市を除いて土地の値段が上がる見込みはないからだ。縮小することが分かっている資産に継続的に投資する人はいない。
当然、非リスク資産とは国債なのではないかということになりそうなのだが、そもそも誰も働かない(働きはするだろうが、生産性は向上しない)のだから、高い収益は得られそうにない。
こうした条件下では「一生懸命働くだけムダ」だ。生産による収益の拡大はそもそも期待されていないからである。慈善事業ではないのだから、経営層は従業員が楽になるような生産性を上げる工夫はしないだろうし、そもそも優秀な能力に対して給与を支払うインセンティブも湧かないはずだ。がんばったところで所詮は資本そのものから得られる収益には負けてしまうからだ。生産を噛まさない方が効率がよいということは「労働はムダ」ということを意味する。
ということは、高等教育を受けてもあまり意味がない。スキルを磨くだけムダだということになってしまう。学歴が意味を持つのは官僚になるごく一部の人たちだけだろう。しかし、官僚が企業の生産性に寄与するわけではない。受験勉強は「地頭のよさ」を計るものであって、スキルを計るものではない。この世界で成功を納めるのは、資本家集団、官僚、人材派遣会社などだろう。共通するのは誰かを働かせた上がりで食べて行く人だということである。こうした人たちは生産性の向上には寄与しない。
もっとも、こうした世界が成立し得ない訳ではない。例えば、江戸時代にはほとんど生産性の向上が見られなかった。生産性とは関係がない武士階級が一番偉いことになっており、商人が蓄えた金は返って来ないことが多かった。また、労働の担い手である農家には生産性を向上させるインセンティブがなく、工業従事者の地位も低かった。イノベーションを起す必要がなかったのだ。
日本人をイノベーションに駆り立てていたのは外圧だ。海外から植民地化されるかもしれないという怖れが富国強兵政策のインセンティブになっていた。第二次世界大戦後は「戦争に負けたが経済では勝つ」という意地のようなものが経済成長を支えていたのかもしれない。敗戦の記憶が遠ざかり、他国から植民地化される怖れもなくなってしまった。そこで「経済は成長しなければならない」という意志が失われてしまったのだろう。
こうした状態を停滞と呼ぶのか安定と呼ぶのかは人によって意見が分かれるところだろう。

TPPは不平等条約

山崎雅弘という識者が「TPPは帝国主義時代の不平等条約に似ている」と呟いているのを見た。合意の内容の正文が英語なので、チェックするためには全部翻訳すべきだろうと主張しているが、この主張は間違っている。
この主張が間違っている理由は簡単だ。これは不平等条約に似ているのではなく、不平等条約だからだ。確かに、英文を翻訳すれば現在の内容はわかるだろう。しかし、合意内容にはあまり意味がないかもしれない。意味があるのは運用だ。ルールを決める人ではなく、解釈して運用する人が経済を支配するのだ。裁判も英語で行われるのではないだろうか。
数の上でも英語圏が勝っている。アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダが参加している。これにシンガポールが加わる。
とはいえ、これが「日本に対して不平等」とはならない。英語ができる日本人が、英語ができない日本人を支配することになるだろう。日本にいる外資系企業と同じだ。新自由主義的には「英語も能力のうち」ということになるのだろう。
この事があまり問題にならないのは、日本人が多文化圏での経験を余り持っていないからではないかと思われる。公用言語ができないことで、経済活動から学術まで排除されかねないという経験をしたことがないのだろう。多数決や民主主義というのはとてもフェアに聞こえるが、言語的に排除された人からみるととても不平等な制度なのだ。
特に現在意思決定の頂点にいる人たちは言語の大切さというものを理解していないものと思われる。
官僚は自分たちの子供には英語を学ばせつつ、英語話者の代理人としてこの国を取り仕切れるだろうと考えているのかもしれない。大元が曖昧であればあるほど解釈できる裁量は大きくなるからだ。一方、ドメスティックな環境に慣れきった自民党の政治家たちは指導者の地位から滑り落ちてしまうかもしれない。経済的な重要政策を東京で決められなくなってしまう。
だから自民党の議員たちは「農業で補助金を」と要求する前に「日本語で交渉しろ」と言うべきだった。そこまで長期的なことは考えられなくなっているのかもしれない。
不思議なのは、右派の人たちが反対しなかったことだ。普段は「日本精神の大切さ」を唱っているのだから、こうした国際交渉ができる場では、しっかりと日本語を公用語として認めさせる運動をするべきだった。だが、右派の親玉と見なされる安倍首相がTPPを推進しているので、反対に回れなかったのだろう。
いずれにせよ、右派の人たちが「日本の伝統云々」という主張は割り引いて考えた方がよさそうだ。彼らは権威に乗って威張ったり、半島系の人をバカにしたいだけで、日本の伝統がどうなっても知った事ではないのではないかと思われる。
いずれにせよ「日本語にしてくれないと、どこがヤバいのかチェックできない」という主張は間違っている。運用が始まればどっちみち意思決定から排除されるのだ。文字が読めないのに「証文には金返せって書いてありますよ」と言われたら従わざるを得ないのと同じだ。裁判になっても言葉が分からなければ泣き寝入りするしかない。
だから反対するなら「不平等条約みたいだ」というのではなく「不平等条約だ」と言い切った方がいい。
なお、蛇足だが、アメリカはスペイン系移民に浸食されつつある。連邦レベルでは英語は公用語ではないので、いつのまにか「日本人もスペイン語を勉強しなければ出世できない」という時代が来るのかもしれない。TPPのスペイン語国にはメキシコ、ペルー、チリがある。

最低時給1,000円について考える

「最低時給を1,000円にする」と安倍首相がぶち上げたというのがニュースになっている。よく聞くと2020年代の中盤までに1,000円を目指すということらしいので、たいしたニュースではなさそうなのだが、それなりにインパクトがあった様だ。
自称経済学者の池田信夫氏は「そんなことをすれば製造業は日本を出て行くだろう」と歌舞伎役者のように見栄を切ってみせた。この人は、現在経済の中枢にいる「変わりたくない」経営者層をお客にしているのだろうなあと思った。一方で電波利権を叩いたり、反原発の人たちを「立憲主義を無視している」などと批判している。さしずめ、居酒屋の扇動者といったところかもしれないが、確実に今の空気を反映している。変わりたくないのだろう。
一方、本物の経済学者は、賃金の抑制が消費の低迷に影響をあたえているのだと指摘する。野口悠紀雄氏の観察によると、人件費の抑制が企業の収益の源泉になってしまっているだそうだ。ただし、野口先生は「政府が介入して給与を上げろ」とは主張していない。企業が新陳代謝すれば、高付加価値の産業が出てくるだろうと信じているようだ。
「ブラックバイト」の項目で見たように、最低賃金依存が顕在化しているのはサービス業だ。例え最低賃金が上がっても、サービス業が日本を出て行く事はない。もっとも、サービス産業の経営者が一律に最低賃金の引き上げに反対しているというわけでもない。参議院議員の松田公太氏は引き上げに賛成のようだ。コーヒー屋が付加価値型の産業だということもあるだろうが、よく考えてみると「自分のところの賃金が上がると、競合社の賃金も上がる」わけだから、競走条件は変わらない。却って付加価値勝負になることが予想される。経営や扱っているサービスに自信がある人ほど、人件費の高騰は怖くないのかもしれない。
確かに、人件費が高騰すれば、製造業は日本を出て行くかもしれない。しかし、出て行くとしたら原因は市場が縮小してゆくからだろう。需要のない市場でモノを作っても仕方がないからだ。例え出て行ったとしても、効率が悪い企業は淘汰されてしまうだろう。
効率の悪さはITに対する取り組みに顕著に表れている。今でも10年以上前のプログラムを使い(例えばグループウェアの代わりに、メールでやり取りをしている)、手書きのFaxがコミュニケーションツールになっているが、西洋諸国からは驚かれる事も多いそうだ。しかしながら、日本にいるとこうしたことは「当たり前」に感じられる。競争に強くなるという意味では、積極的に海外に出て行くのはよいことなのかもしれない。ただし、グループウェアの導入に消極的な人たちが英語を学習して海外に出て行きたがるという理論には信ぴょう性がない。
ただし、一部の人が考えているように、最低賃金の引き上げがすべての問題を魔法のように解決するということはなさそうだ。
第一に、人件費が高騰すれば、人件費をかけない方向で競争が進む可能性がある。小売業の現場では、品数を減らしコンテナのままで陳列することで従業員数を減らしたスーパーマーケットというものが登場している。加工食品ばかりで生鮮品が少ないのだが、遠くに行けない高齢者や安い食品を買いたい人たちが利用している。新型ディスカウントストアとかハードディスカウンターなどと呼ばれるようだ。これが消費者にとって必ずしも好ましい様態かどうかは分からないが、人件費が上がれば、企業はそれなりに対応するだろう。
次に、最低賃金の引き上げは貧困対策にはならないらしい。ある研究による、最低賃金の引き上げは、新規就労者(若年層)や主婦パートなどの就労機会を奪う効果があるのだという。たしかに、最低賃金のモデルとされるヨーロッパでは若年層の失業率が高い。だから、最低賃金引き上げを「政府支出のない福祉政策だ」と考えるのは正しくない。もし池田先生が本気で最低賃金について勉強していれば、この線で引き上げに反対すべきだったかもしれない。(と書いたら本当にこの線で反対を始めた。お前らのシゴトがなくなるぞという書きぶりだ。そもそも、実行する気がないお偉いさんの発言で振り回されるのは下々なのだということを痛感する。)
最低賃金の引き上げは、低賃金労働に依存する生産性の低い産業や経営者を淘汰する政策だと考えるべきだろう。低い生産性に張り付いていた人的資本がより生産性の高い分野に移動する可能性があるからだ。問題はそれが自然に起こらず、政府が強制しなければならないという点かもしれない。
この件で一番割を食ったのは民主党かもしれない。自民党に政策を「パクられ」て、集票に有効なカードをまた一つ失ってしまったからだ。かといって、民主党がかわいそうだとも思えない。もともとは2009年のマニフェストに掲載されていたのだそうだ。政権についている期間が3年もあったのだから「やる気がなかった」わけである。
自民党、民主党ともに「最低賃金で働くような貧乏人で情報リテラシーも低いだろうから、言うだけ言っておけば、ほいほい投票してくれるだろう」という姿勢が透けて見える。

アルバイトという名前の戦争

NHKでブラックバイトの特集をやっていた。最低賃金に近い給料で働かされるのに、正社員並の責任を負わされる。サービス残業はあるが、残業代は出ない。売れ残りの買い取りノルマがあり、売上げが落ちれば「連帯責任だ」ということで給料を引かれる。にも関わらず時間的制約がきつく、次第に大学の授業にも出られなくなるのだという。学生たちは「社会とはそういうものか」と諦めてしまい、新しく入ってきた学生にも同じような働き方を強要するのだという。
もちろん辞めてしまうことはできるのだが、辞められない。一つには経済的に困窮しており「新しいバイトがないと生活してゆけない」という事情がある。それに加えて、心情的にアルバイトに縛り付けられてしまう。自分が抜けてしまうとバイト仲間や店長たちに迷惑がかかるのが予測からだ。「仲間を捨てて逃げ出せない」というのだ。
この話を聞いて「戦中の日本のようだな」と思った。もともと上層部が状況を見誤ったまま始まった第二次世界大戦は、当初の予測通り負け続きになった。しかし撤退することはできないので、各地の部隊にしわ寄せが行った。十分な補給を受けられなかったので、戦死者の多数を占めるのが餓死者だったそうだ。戦況がさらに悪化すると「他人を犠牲にする」作戦が始まった。犠牲の代表例が沖縄(本土を守る為の捨て石にされた)と特攻隊だった。
日本のサービス業も同じような状況にあるようだ。つまり、負けかけているのだ。で、あれば何と戦争をしているのかが気になるところだ。大日本帝国軍の場合は、戦力に勝るアメリカ軍という存在があったのだが、現代日本の場合、戦う相手は同じように困窮した軍隊なのだ。複数の負けかけている軍隊が膠着戦を行っているのが日本の特徴だと言えるだろう。つまり「内戦状態」にあるわけである。
こうした状態から逃れる為には、生産性を上げなければならない。生産性を上げる為には高度に教育された学生が必要である。しかし「優秀」(だがお金がない)学生たちが単純労働に従事せざるをえないために、こうした高度な人材を育てる事ができない。故に企業にはノウハウが溜まらず、内戦状態が温存される。
「内戦とは大げさな」という方もいるかもしれない。しかし、これはやはり戦争だろう。敗戦直前の日本にも学徒動員があり、優秀な科学者になるはずだった学生たちを爆弾代わりにして敵艦に突撃させたりしていた。戦況が逼迫していた当時に「学生を無駄にしないでしっかり勉強させろ」などと言えただろうか。
なぜ「勉強させろ」と言えなかったのかといえば「負けたら大変な事になる」という意識があったからだろう。一種のパニック状態だが、パニックの最中にある人たちは、自分たちの状況がよく分からないものなのだ。同じように、現代の戦争の指揮官たちは「事業から撤退しては大変なことになる」と考えているはずだ。
なぜ、こうした状態に陥ったのだろうか。実は、これはとても簡単な問いだ。「戦争に勝つ為の技術」が10年単位で移り変わるのに、本社にいる人たちの世代交代に30年から40年かかるからだ。これは、本社側に終身雇用的な体制が残っているためだろう。こうした人たちが「撤退」し、技能を更新することができれば、技術の世代交代は進みやすくなるはずである。構造はとても簡単だが、実行は難しい。現代の日本でいったn正社員層から脱落した人は、非正規雇用の安い労働力になるしかないからだ。で、あれば他人を犠牲にしてでも生き残るしかないのである。
日本政府は「一億総活躍」を目指しているが、サービス業界で内戦が続いている状態では、これが「一億層玉砕」に変わるのは時間の問題だ。しかし、こうした状態を放置している。国から成長機会を奪うという意味では「国家的犯罪に加担している」のだといえる。

経済の砂漠化を防ぐ為には何かを失う必要がある

保育士の給与は低く家庭が持てないと言われる。母子家庭では高い割合で貧困が発生しているらしい。このような話を聞くと「日本にはお金がないのだ」という感想を持ってしまいがちだ。しかし、それが事実と異なるというのもよく知られた話だ。日本の企業は300兆円もの「内部留保」を抱えており、日銀には240兆円の当座預金が眠っている。これを人口で割ると450万円になる。
こうなった理由はいろいろ考えられる。一つ目の理由は企業が国内で稼がなくなったという事情がある。企業は海外子会社からの「あがり」で収益を得るようになっている。ニュースでは貿易収支は赤字だが、経常収支は黒字という言い方で伝えられる。つまり、日本は過去に蓄積した財産を海外に投資して、エネルギーや食料を買っているということになる。企業経済から社会経済への「水路」がなければ、社会経済へ水が流れてこなくなる。
しかし、国は法人税の負担を減らし、その分を消費税で取るようにシフトしている。黒字の経済を太らせ、赤字の経済から徴集しようというのである。そうしないと、企業が海外に流出してしまう懸念があるのかもしれない。
その一方で企業は社会的な支出を抑えるようになった。事業単体で見ると、赤字経済にかけるコストは減らす必要がある。そこで、人件費をカットしている。正社員を減らすことで会社は各種社会保険料の支払いを免れる。また、子供を産んだ女性を正社員から非正規雇用に置き換えるということも行われている。その分の負担は社会が負うことになる。黒字経済は赤字経済へ水が流出するのを抑えようとしているのだ。
人口構成もこの傾向に拍車をかける。高齢者は企業経済から離脱し、赤字経済から収入を得ることになる。年金は税金支出で支えられており、その原資の半分は国民からの借金である。高齢者(海外に会社でも持っていない限りは)は黒字経済から切り離されている。
企業は存続しなければならない(ゴーイング・コンサーン)から、コストを抑える意思決定には合理性があるように見える。ここで忘れられているのが「再生産」機能である。「再生産」のコストは、誰かが負担しなければならない。黒字経済はこれを赤字経済に付け回ししようとしている。そこで、再生産の費用が「投資」なのか「負担」なのかという問題が浮上してくる。
別の例えを考えてみたい。森の木が落葉する。この葉っぱが「無駄」だと考えて拾い集めてどこかに置いておく。するとどうなるだろうか。しばらくの間、森の樹には何の影響もないだろう。下に生える植物に影響が及ぶだけである。樹は高いところで十分に光合成ができるからだ。
ところが、しばらくすると事情が変わってくるだろう。落ち葉は分解されて地上に栄養をもたらしている。これが取り去られることで、地上に循環する養分は減って行く。最終的には地上からは養分が失われ、土壌は砂漠化するだろう。砂漠化した土壌では樹は育つ事ができない。皮肉なことだが、落ち葉という「死」がなければ、森は失われてしまうのである。「死」が大げさだと思えば「手放す事」だと考えてもよい。樹には落ち葉を分解する能力はない。それは地上に「委ねる」しかないのだ。
すべての物事は「相」を成しているに過ぎない。現在の経済学はこうした「相」のスナップショットを取ることはできても、全体を一括して捉えることができない。
再生産という言葉にはどうしても社会主義的な臭いがして好きになれないという人もいるかもしれない。逆に再生産という言葉を聞いて「マルクスは」と飛びつく人もいるだろう。そこで全く別の死を考えてみたい。
アメリカではイノベーションという言葉が好んで使われる。日本でも安倍首相が使ったりする。しかし、このイノベーションという言葉は、古い企業の「死」を意味する。これを創造的破壊とかディスラプティブ・イノベーションと呼んだりする。しかし、古い企業の死は喪失を意味するのではない。古い企業にいた社員は新しい産業に雇用され、古い企業が抑えていた資金は新しい企業に改めて利用されるのだ。日本でイノベーションが起きないのは当たり前だ。それは古い企業を壊す事ができないからである。
つまり「手放す」ことが豊かさを生み出すことになるのだ。こうした思想はもともと東洋的なものだと考えられるのだが、意外と忘れ去られているのかもしれない。

アメリカの高い生産性とカスタマーサポート

日本はサービス産業の生産性が低い。これをアメリカ並にしなければ日本の成長はないだろうと言われる。では、アメリカ並になるというのは具体的にどのようなことを意味するのだろうか。
アメリカの銀行は口座維持手数料を取る。最低限の預金金額が決まっていて、それを下回ると毎月手数料を支払わなければならないのだ。バンク・オブ・アメリカはある時、「口座手数料がかからない」画期的な口座を作った。ところが、それが儲からないと見切りをつけるとそのサービスを廃止した。ネットには「ある日突然別の口座に切り替わってしまった」という苦情が殺到したらしい。説明をせず、広告も打たず、一方的にサービスを打ち切ってしまったのである。
どういうわけか、僕の口座はそのままだ。5,000円位のお金が預けてあり、ネットバンキング経由では口座にアクセスできる。しかし、質問をしようとすると「その質問ではチャットサービスはご利用いただけません、メールによる問い合わせもお受けしておりません」などと言われる。緊急の要件か利益が上がる質問(例えば投資口座の開設など)でなければ受けてくれないらしい。アメリカに行って店頭でクラークと話せば解決するかもしれないが、1回話すごとに1000円程度の料金を取られるはずだ。
これに比べると日本の銀行はまだ親切だと言える。親切だということはお金がかかるということでもある。その証拠にシティバンクは日本のリテール部門から撤退してしまった。日本には大勢のお金持ちが住んでいる(意外なことに世界でも有数の富裕者の多い国なのだ)のだが、日本の個人客は利が薄い、あるいは手間がかかりすぎると判断したのだろう。
IT業界も似たようなものだ。
Yahoo(米国)のメッセージサービスがつながらない、とカスタマーサポートにメールで連絡した。問い合わせ窓口があるなんて親切だなと思ったのだが、甘かった。オペレータはよくメールの内容を読んでいないのだろう。パスワードをなくした時の対応を記録したテンプレメールが送られて来た。「いや、違いますから」と返信すると、別の担当者がメールを返してくる。「ヘルプを読め」という。これもテンプレートだろう。「ヘルプは読んだ」と返信したところ「パスワードをなくしたときの回復方法」が再び別の担当者から送られてきた。無限ループだ。最後には「Yahooはメッセンジャーに対するサポートは行っておりません」というメールが送られてきた。
Yahooのオペレータは問題を解決する必要がない。その時に受けたメールに返信しているだけだ。解決せずにお客が怒っても気にする必要はない。その怒りは別の誰かが処理するはずである。多分、カスタマーサポートスタッフはアメリカの人ではないだろう。自分たちの対応がブランドイメージを毀損するという意識はないはずだ。彼らの成績は「一定時間以内にどれだけのメールを裁いたか」だけで計られるのではないかと思う。機械の部品なのだ。
Facebookも似たようなサービスを展開している。こちらは一般者用のカスタマーサポートはない。コミュニティで解決しろという。どういう人が解答しているのかは分からないが、多分ボランティアなのではないかと思われる。不具合について質問しようとすると「不具合はFacebookに登録しろ」というので試してみたが、リンクが壊れているようで、質問が登録できなかった。多分、炎上でもしない限り、自分が作ったプログラムの不具合を知る事はできないはずである。
日本人から見ると「ひどい」と思えるほど低いサービスレベルだが、アメリカ人は日常からこうした世界に住んでいる。これを避けようとすればお金で解決するしかない。日本並のサービルレベルを求めて戦ってはいけない。
顧客の疑問は解決しない。はまったらそこで終わりである。解決策は「そのサービスに関わらない」ことだけだ。だから、競争がないと困るのだ。企業内でも次々と新しいサービスを作って、古いものを勝手に引き上げてしまう。ストレスがより少ないサービスができたら、古いサービスは単に潰れてしまう。それで終わりである。
日本はアメリカ企業の後追いをしているので、10年後には似たようなことになっている可能性が高い。一方で高い競争が導入されているかはわからない。だから、10年後の日本のサービスは「代わりはないが著しく不便」ということになっているかもしれない。
現在の日本人は高いお金を出してサービスを買っている。例えば携帯電話会社の窓口に行くと、大勢の高齢者が機器の操作方法を聞きに来ている。スパムメールが来るからなんとかしてくれというものもある。携帯電話会社の窓口は嫌がらずに使い方を教えてくれる。顧客が安いサービスを使っていても「それは対応しません」というスタッフはいない。別の見方をするとこうした人たちをガイドするために、若い層は高いスマホ代金を払ってあげているのだといえる。
支払いの多寡に関わらずみんながサービスを受けられるのが平等なのか、自分の必要なサポートレベルに応じた料金を支払うのが平等なのかというのは意見が別れるところだろうが、現在の日本の方がアメリカより日本の方が社会主義的だということだけは確かだ。

鏡の国の経済政策

ヨーロッパで面白い動きが出ている。中央銀行のマイナス金利が常態化しつつあるのだそうだ。経済が不安定化してデフレへの懸念が増す中で、先進国通貨建ての資産への人気が高まっている。人気が高まると民間投資が抑制され、通貨高になる。中央銀行はそれを嫌い金利をマイナスにしているのだそうだ。投資家たちは「手数料を払ってもよいからお金を借りてください、使ってください」と国に頼んでいることになる。今までの常識が反転する鏡の国の世界である。お金を使ってもらうのに支払いが必要という世界だ。
企業や個人に投資するよりも国にお金を貸し付けた方が安心だという認識があるのだろう。こうして金利は下がり続け、ついには0を割り込んでしまったのだ。
先進国の中央銀行は経済を減速させない為に通貨の供給量を増やし続けてきた。ところが発行したお金は必要な人たちのところには回らず、一部の人に滞留し、安定資産に向かう。オックスファム・アメリカの調査によると、1%の富裕層が世界の富の半分を抱えており、その額は年々増えているそうである。「1%の最富裕層、世界の富の50%余り保有へ-オックスファム」
投資の不振は日本でも起きている。ここ数年のアベノミクスで企業の儲けは随分増えたといわれているが、企業は儲けを投資に回さない。流通されずに死蔵されている通貨は単なる紙切れにしか過ぎない。実際には紙切れですらなく、電磁的に記録された記号のようなものだ。企業が蓄えている利益余剰金(内部留保)の総額は300兆円を越えるそうである。
日銀の当座預金にもお金が積み上がっており、日銀はそれに利息をつけている。その額は2015年3月時点で200兆円だ。いわば電磁的な記録の桁が増えているだけなのだが、それがどうしてインフレ期待を引き起こすことになるのかはよく分からない。
円高で国民の資産や給与はドルベースで40%減価した。その一方で企業と銀行は500兆円を越える金額を死蔵している。これは日本のGDP1年分に相当する。蓄積された富の量は増えた一方で、企業の投資は伸びず、給料も増えない。人々の消費意欲も縮小したままである。
本来、お金は使われない限り利益を生まないはずだが、デフレが予想される世界では現実世界に投資をしても損をするだけだ。だから企業は現金を保有する。利息はほとんどつかないが損をすることはないだろう。銀行も現実世界に投資するよりも日銀に預けた方が(わずか0.1%ほどの利息のようだが)儲けが出る。リスクを冒してベンチャー企業に投資するようなことは起こらないだろう。
企業は自己保身のために現金(もしくは債権かもしれないが)を貯め込む。給与や投資として市場にお金が回らないので、消費者も消費を控える。すると市場はますます縮小し、悲観的になった企業はますます利益を貯め込むようになる。政府は将来を悲観する企業の頼みを受け入れ、法人税ではなく消費税から税収を得ようとする。すると、消費はますます冷え込む。
まともに考えれば、通貨供給量を増やしてインフレを期待し、将来の税収アップを目指す政策はすでに破綻しているといえる。オックスファムの統計を見ても(あるいは見なくても)トリクルダウンが起こらないのは明白だ。
鏡の世界でも、投資や消費を活発にし、インフレを起す為に必要な政策はいくつもある、という識者もいる。Bloombergのウィリアム・ペスク氏は富を蓄積した企業に課税する方法を提案している。(Japan Needs to Think Different) いわゆる「内部留保」に課税し投資(これは給与支払いを含む)を促進するという政策だ。このアイディアは政府でも検討されているらしいが、政府は「さすがに社会主義的過ぎるだろう」と逡巡しているようだ。
ペスク氏は投資に回らない形で直接消費者にお金をばらまくという制度も提案している。日銀が資金提供者となるデビットカードを作って直接消費者にばらまくのだ。このカードは消費には使えるが、貯蓄はできない。1年経つと消えてしまうからだ。この提案は常識はずれで実現性が薄いように思えるが、形を変えて実現している。
政府の地域振興券は政府支出が原資になっていて、一定期間を過ぎると紙くずになる仕組みだった。政府はプレミアムを支払って「今すぐお金を使ってください」と国民に頼んだわけだ。国民はそれに熱狂し各地の引換所では長い列ができた。一部では奪い合いのような騒動も起こったようだ。
そう遠くない昔、政府は国民に「貯蓄をするように」と説得していた。預貯金は開発の資金になったからだ。ところが現在では政府は「お金をあげるから消費をしてください」とお願いしなければならない状態に追い込まれている。そればかりか税金を徴収するのではなく、政府が(正確には中央銀行だが)が国民にお金を払うべきなのではないかという議論さえ起こるようになったのだ。

ヒラリー・クリントン氏がTPPに反対する

Twitterを見ていたら、ヒラリー・クリントン氏がTPPに反対していた。要旨はざっとこんな感じ。

為替操作の禁止が盛り込まれているかや製薬会社にばかり有利になり患者が置き去りになっていないかなどを注意深く見ていたが、これまで知りうる情報ではTPP合意には賛成できない。

TPP合意はアメリカに仕事をもたらし、給与を増やし、国防に利するものでなければならない。この数年間、アメリカ人は裏切られ続けてきた。被害者はアメリカの勤労家庭で、必要な支払いができるほどの給与がえられていない。共和党はアメリカの競争力を削ぐような反対ばかりしている。オバマ大統領の提案した、インフラ・教育・クリーンエネルギー・イノベーションに対する投資に反対し、最低賃金を上げたり、労働者の権利を守ったり、職業訓練に投資したりすることを拒んだ。結果、アメリカの競争力は削がれ労働者は必要な保護を得られなかった。貿易の恩恵は消え、ネガティブな効果ばかりが募った。

私は、かつて私が国務長官時代に推進していたように、強くて公平な貿易合意が可能だと信じている。オバマ大統領とチームのハードワークには感謝しているし、これまでの歩みも知っている。しかし、現在の合意が望まれるような高い水準に合致しているとは思えない。

自由貿易に反対しているのではなく、要するに「もっとアメリカに有利な合意を」ということらしい。中段ではTPPに反対しているのか共和党に反対しているのかよく分からなくなっている。製薬会社に有利すぎるのではという批判を日本ではよく聞くがアメリカ人にも反対している人がいるというのは面白い。

アメリカの給与水準はかなり高水準でヨーロッパの大抵の国よりも高い。にも関わらず「まだ足りない」と思っているという点が興味深い。失業率もヨーロッパと比べると格段に低い。ヒラリー・クリントンはスペイン語での情報発信にも力を入れているようなので、経済発展に取り残されたと感じている層に働きかけているのかもしれない。支持基盤の労働組合がTPPに反対しているという報道もある。
大企業の経営者層はTPPに賛成しているが、一般庶民は不安を募らせているという図式は、日米に共通するものらしい。トリクルダウンなどと言っても、黙っていて恩恵が振ってくる訳ではないので、どのようにして分配させるかということを真面目に考えるべきなのかもしれない。
「十分な暮らしができるほどの給料が得られていない」という不満は本来ならば大企業に向けられるべきだが、代理として共和党や貿易協定(および相手国)が非難の対象になっている。これは「将来が不安だ」という感情を自民党や「戦争をするかもしれない」安倍政権に向けているのに似ている。
一方で「公平なルールならば必ずアメリカの利益になるはず」という思い込みはアメリカ特有のものだと考えられる。シボレーが売れないのは日本政府が妨害しているからというトランプ氏のコメントにも見られる考え方だ。日本人はソニーのテレビが売れないのはアメリカ政府が陰謀を巡らせているからだとは考えないだろう。英語の「It’s not fair」というのは、自分たちに有利ではないくらいの意味なのかもしれない。

日本の経済の実力と給与

「日本人の所得が下がったのは大企業が分配しないせいだ」などと言われることがある。また、為替レートが下がったために日本人は貧しくなった(あるいは、製造業に有利になった)などと言う人もいる。しかし、いろいろな分析をする前にまず実際の数字を確かめてみたい。
最初のグラフは2014年の名目GDPと2013年の購買力平価でみたGDP(どちらも一人当たり/出典はwikipediaから世界銀行の数値を引用した。)をプロットしたものだ。名目GDPが高くてもその国の物価が高ければ豊かだとはいえないだろう。
gdp一目りょう然なのは、産油国か金融センターの国(スイス・シンガポール・香港)などが超先進国クラブを形成しているということだ。日本より名目GDPが低くても物価が安く購買力が高い国がある。この図で見ると、台湾人は日本人よりは良い暮らしをしている。
日本は、イスラエル・イタリアとともに、ぎりぎり「先進国クラブ」の仲間入りを果たした。先進国クラブといっても、いくつかのグループがある。例えばオーストラリアは極めて経済が好調のように見えるが「オランダ病」にかかっていると言われるそうだ。資源が豊富で労働力が少ないために給与が高騰し、製造業が逃げ出しているのだそうだ。ヨーロッパの先進国とカナダは1つのまとまりを作っているのでこのあたりが一つの目標だと言えそうだ。
EUの中でもスペイン・ポルトガル・ギリシャは先進国クラブから脱落した。この中にはロシアや韓国が入っている。いわゆる「中進国」と言えそうだ。
さらに後進国の固まりが3つある。中国やインドなどがここに位置する。しかし、両国は人口が大きいので国として経済規模では日本と肩を並べる。
さて、国としてはぎりぎり先進国クラブ入りを果たした日本だが、給与の面ではどうなのだろうか。世界の平均年収というデータがあったので、購買力平価ベースのGPD(一人当たり)とプロットしてみた。
incomeこちらは残念なことに先進国クラブから脱落してしまった。イタリア・日本・イスラエル・スペイン・大韓民国・スロベニアが1つのグループを作った。
wage韓国は経済成長を続けており中進国から先進国へと移行しつつある。一方でスペインは1990年以降に住宅バブルが起きて2012年に崩壊した。失業率が20%を越えて、若年失業率は50%を越えているそうである。日本も資産バブルを経験しそのまま経済成長が止まった国であり、一人当たりの給与は下がり続けている。
ここから分かることは多くないかもしれない。どちらのグラフも一直線上に並んでいる。つまり、為替レートや労働分配率といった数字にはあまり意味がなく、結局のところ1人あたりのGDPを増やさなければ豊かにはなれないということである。そのためには、労働生産性が高い(つまり儲かる)セクターへと労働者を移動したり、労働生産性を上げるための投資(例えばITなど)を積極的に行うしかないということになる。
暮らしを良くするためには地道にがんばるしかないのだ。

景気対策のためには消費税を毎年上げろ

アベノミクスの異次元の金融緩和政策はインフレを起すのに失敗した。全く教訓が得られなかったのかといえば、そんなことはない。明確なルールさえ提示すれば動くのだ。キーになっているのは「限定」だ。
第一に、消費税増税による駆け込み需要が起きた。これは消費者に「今買い物をしないと後で損をしますよ」という明確なメッセージを送った。企業は大幅な需要の増加が臨めるので設備投資をし、消費者は値上げを予想して買いだめした。つまり、消費税の増加は人工的で強制的なインフレを起したのだ。ここから得られる洞察は簡単だ。つまり、毎年消費税を上げれば、人々は消費を活性化させるかもしれないということだ。
もし、インフレが人々を幸福にすると政府が考えるなら、政府は毎年のように消費税を増税すべきだ。4月に増税すれば、毎年3月には大規模なセールが開催できる。
もう一つの成功した政策は地域振興券だった。これも売る場所を限定して割引を行うというものだった。割当数が限られているので市町村役場や地域振興券売り場には多くの市民たちが殺到し「もっと売れ」と罵り合いも起きた。銀行では頼まれていた分をこっそり懐に入れる職員まであらわれる始末だった。
地域振興券は割安の通貨のようだが、実際の原資は税金だ。つまり、人々は期限が来たら紙切れになってしまう「二流通貨」を、自分たちの負担で喜んで買い入れたのである。これは、出かけて行って地域振興券を買えば、それで2割を稼いだような気分になったからだろう。
これほど人気があるのなら、給料や年金を地域振興券にして配れば良い。つまり、期限付きの通貨Aと貯蓄用の通貨Bができることになる。例えば、給与を通貨Aを100円貰って、貯蓄したい人だけが通貨Bを90円分貰うのだ。通貨Aで収益を得た企業も期限内に投資をせざるを得ないので、儲けを設備投資に回ることになるかもしれない。
消費者は<賢く>消費するのだが、その賢さはその人が持っているフレームによって左右される。ゲームのように期間を限定してやれば、かなり設計通りに動いてくれるようだ。
逆にいうと、そうまでしないとモノが売れないほど、消費意欲は減衰している。それが政策のせいなのか、マインドの変化によるものなのかはよく分からない。人々は外からの動機付けが強くなればなるほど、内発的な動機付けを失って行くものなのかもしれない。
ところで、長期に渡って消費税増税による値上げが起こる事が予めわかっている場合、駆け込み消費が増えるのかという疑問は残る。消費者が将来の可処分所得の減少を予想すれば、買い控えが起こることだろう。住宅や耐久消費財などの分野では特に影響が顕著になるのではないかと思われる。
企業も消費者も買い物を控えるのだから、政府だけが大きな支出の担い手になるだろう。政策判断の比重が増えるので、企業は利益を誘導しようとして企業献金などの支出を増やすかもしれない。これは汚職の源泉になるだろう。企業は市場に働きかけるよりも政府に働きかければ潤うので、国際的な市場競争力を失うに違いない。
結局のところ、暮らし向きがよくなる希望がなければ、日本人の消費意欲はますます減退し、企業は国際的な競争力を失うだろうという月並みな結論に落ち着いてしまった。