組織的病気に陥った厚生労働省の受動攻撃性

今回、厚生労働省の問題について扱うのだが、これまでのように気軽に論じられない気がする。ヤバさが違うからである。厚生労働省はすでに組織として健全な状態ではないと思う。多分、このまま放置していると取り返しのないことが起こるだろうし、すでに起きているかもしれない。そしてそれは政府だけでなく社会全体に広がるだろう。というよりもう広がっているかもしれない。






その病理とは受動攻撃性である。受動攻撃症に罹患した組織には2つのことが起こる。それはサボタージュと怒りである。そしてその2つの症状のために組織は中から崩壊する。そしてサボタージュによって引き起こされた怒りもまた新たな受動攻撃性を生む。そうして組織は中からどんどん壊れてゆくのである。

まず、心理学用語としてのPassive Aggressionについて見ておきたい。これを日本語で受動攻撃性と言っている。この状態になった人はわざと反抗的な態度をとるのだが、その態度が表向きは反抗に見えないのが受動攻撃性の特徴である。わざと無視して見せたり、すぐには気がつかないような嫌味をいうのが典型例だ。

この記事(英語)によると受動攻撃性を防ぐ手段はなく、できるのは無視することか関係を切り離すことだけなのだそうだ。切り離せない場合は毅然とした態度をとるべきだというアドバイスをする記事もある。表立って社会との摩擦があればそれを治療する口実が作れるのだが、受動攻撃者は表向きは何事もなかったかのように振る舞うので、別の軋轢が生まれるまで対処できないのである。そして症状は大抵相手の方に出る。

こうした受動攻撃性がなぜ生まれるかはよくわからない。組織のトップではなく中間管理職的な人に現れやすいとする人もいる。彼らは表立って反抗することはないので攻撃が表面化することは少ない。が、わからない形でサボタージュを働く。やるべきことをせず、内側から組織が弱体化する。自尊心が低く不安にさらされているからこうなるのだという人もいるが、今では人格障害とは見なされず行動様式の一つとされているそうだ。

受動攻撃者は明らかに不満を持っているのだが、自分からはそれを口にしない。相手が怒って問題行動を起こすのを待っている。行動を起こすのは相手なので非難されるのも相手だ。

また「受動的攻撃行動をする目的は、こういった行動をして“正気を失わせてしまう”ことである。」とスコット・ウェツラー博士は説明する。博士はモンテフィオーリ・メディカルセンターの副所長で、「Living With the Passive-Aggressive Man(受動的攻撃性の人間と共に生活する)」という本の著者でもある。「あなたは今起こっていることは実際に起こっている事とは違うと教えられ、意思疎通をすることを控えてしまうことになる。何が起こっているか知っていても、彼らはそれを否定するのだ。」と博士は述べる。

受動的攻撃性の人と付き合う秘訣(ハフィントンポスト)

のハフィントンポストの受動攻撃性の記事を見て「安倍政権」について想起した人は多いだろう。森友加計学園問題では明らかに問題行動が起きているにもかかわらず安倍政権はそれを隠し続けている。しかし、重要なのはそこではない。政府は「問題行動を起こしている」ことを隠していない。麻生副総理を見ているとわかるがニヤニヤ笑って問題発言を繰り返すことで「多少の無茶は許される」という万能感を得ている。しかし政権運営に失敗し二度と首相になれそうもない麻生さんにはそれしかできることがない。

国民は最初は苛立つがやがて「政治に関わっても仕方がない、選んだのは我々だ」と思うようになる。それが受動攻撃者の狙いだ。国民の無力感は政権にとっては勝利なのである。「一度は俺たちを政権から追い落としたくせに結局お前らは無力だったではないか」という彼らの高笑いが聞こえるようだ。

東京新聞の記事によると厚生労働省は野党に対して「嘘の手紙」を書いて承認が証人喚問に来られないと偽装したそうだ。嘘をついたのが問題だと誰しもが思うのだが、実はポイントはそこではないのかもしれない。この嘘は本人に確認すればすぐにバレてしまうという点が実は彼らの狙いなのだろう。すでに立憲民主党はいきり立っている。しかし、そこで世間は立憲民主党に「でも今回も問題を解明できないんですよね」と言う。自らの運命を政治家に握られていて何もできない官僚たちを癒すのは野党の苦痛に満ちた表情だけなのだ。

総務省統計委員会の西村清彦委員長が多忙を理由に国会審議に協力しない意向を示したとする文書を、総務省職員が西村氏に無断で作成し、野党に示していたことが二十五日、明らかになった。西村氏は不快感を示し、石田真敏総務相は衆院予算委員会で陳謝した。

「統計委員長 国会に協力しない」 総務省、無断で文書作成(東京新聞)

これをこっそりやれば嘘はバレなかっただろう。ここまでは通常のサボタージュである。しかし、それをすぐにバレる形でやることで「お前らのいうことは聞かないよ」という攻撃性を誰かに向けている。おそらくそれは野党ではなく観客席にいる国民だろう。厚生労働省には損害はない。「組織的隠蔽が疑われるが組織的隠蔽とまでは言えない」としてごまかしてしまえばいいからだ。明らかに無茶苦茶を言っているが、厚生労働省は「それでも国民は厚生労働省に頼らざるをえない」と思っているだろうし、選挙で争点を作りたくない政治家も自分たちを守ってくれるはずだと考えるだろう。それは彼らが唯一手に入れられる勝利なのだ。韓国にとっての竹島みたいなものである。

安倍晋三という人が無力感から受動攻撃性を国民に向けていることは間違いがない。彼は小泉純一郎元首相に祭り上げられて政治家になりトップに立った瞬間に国民と自民党の身内から「首相の器ではない」と拒否された人である。怒りを持ってもそれほど不思議ではない。だが、安倍首相は自らの受動攻撃性を認めないことで、世の中にある受動攻撃性に満ちた人たちを解放してしまった。いったん「蜜の味」を覚えた組織はそれを手放さないだろう。

それではなぜ厚生労働省はこのような受動攻撃性を身につけたのか。ここにもやはり長年受けつづけた自己否定という原因がありそうなのだが「加害者」である国民はそれを忘れている。

「伏魔殿」厚生労働省との闘いという記事を見つけた。書いたのは長妻昭さんだ。短い内容をいくら読んでも厚生労働省を粛清したり征伐をしたりした様子はないのだが、少なくとも外向けには「伏魔殿」呼ばわりをしているわけで、恨まれても不思議はない気がする。ただ、この伏魔殿という言い方も自動化された言い方のようだ。つまり、それ以前に伏魔殿という言葉が使われていたのである。

民主党時代の前の安倍政権時代から片付かない年金問題の犯人探しが行われていた。2007年9月の厚生労働大臣記者会見ではすでに「市町村こそが年金問題の伏魔殿である」という言い方がされている。当時盛んに犯人探しがされており、それに関連して伏魔殿という言葉が使われていた可能性がある。ちなみにこの「伏魔殿」発言をしたのは、安倍第一次政権改造内閣の厚生労働大臣である舛添要一さんのようだ。

記者:増田大臣に調査を依頼される際に市町村が伏魔殿だという表現をされていたと思うのですが、実際に刑事告発をされていないのが68件、処分がされたのが22件。この数字自体はどういうふうに受け止めましたか。

閣僚懇談会後記者会見概要(2007.9.21)

官僚は多分、旧民主党系の人たちに恨みを向けることで自分たちの無力感を直視しなくて済む。当然改革は進まず政府は内側から腐り続ける。そしてこの問題の一番厄介な点は受動攻撃を向けられた我々国民が「もう日本の政治にはよくなる見込みがないのだ」と考えてしまう点だろう。すでにそういう気分は蔓延しているのではないか。受動攻撃性を持った人には関わらないのが一番良いのだが、厚生労働省に関わらなくても良い人は多分それほど多くない。

しかし、この問題の一番のポイントは多分「自分たちの無力さに直面しないためには誰かを怒らせるためにサボタージュするのが一番だ」というような空気が全体に広がってしまうことだ。誰かが怒って声をあげているうちはまだ対処ができるのだが、いったん火が消えてしまうとそれは対処不可能になる。急性症状が消えて慢性化するようなものである。そうなったらもう取り返しがつかない。

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野党がだらしないから安倍政権が続くという事実について

しばらくぶりにTwitterをみていて「野党がだらしないから安倍政権が続いている」というコメントに怒っている人がたくさんいた。これについて考えたい。






さて、この野党がだらしないことについて、今回は3つの原因を考えてみた。これが変えられれば「確かな政党」が作れると思う。

  • 野党が経済政策を出せないこと。
  • 有権者の政治への関心が薄いこと。
  • 継続的な政治活動ができる母体が作れないこと。

1つ目の原因は「野党が経済政策を出せない」ということである。これは田原総一郎さんが朝生で主張しており大塚耕平議員がうつむいて聞いていた。ちなみに大塚さんは日銀の出身で経済がわかる。

野党の中にも経済政策ができる人がいる。前回「正解」の話をしたとき、日本人は正解を導くフレームワークが作れないと書いたが、枝野さんは予算委員会の質問で、中間所得層が減っていることを統計から導き出し「これが問題である」と言っていた。つまり、枝野さんも正解が作れる人なのである。大塚さんも枝野さんもそれができるのだが、なぜかそれが全体に広がって行かない。なのでそれをそのまま内閣にぶつけるしかないわけだが、安倍首相と麻生副首相にはもう経済政策には興味がない。枝野さんの質問に紙をひらひらさせながら「その質問いつ終わるの?」という表情だった。

まだ政権運営をしたことがない茂木さんと河野さんはそれなりに真面目に聞いていたので、この首相経験者二人には「思っている通りには行かない」という深い諦念があるのだろう。つまり、問題はアイディアではなく周囲を巻き込んでアイディアを展開するリーダーシップなのだが、安倍さん、麻生さん、枝野さんには官僚どころか自党の政治家たちにアイディアを広げてゆくだけの力がないようだ。

このリーダーシップのなさにも「正解マインド」が関係してくる。枝野さんが対抗策として経済政策を打ち出したとする。これを野党政治家はいったん「安倍首相に勝てる」として受け入れるだろう。しかし、それを実行する段階になって後から「いやそれは都合が悪い」と言い出すに決まっている。彼らは正解は暗記できるがそこに行き着く過程には興味がないので、各論で反対し始めるのである。こうして改革は内側から潰されるのだ。

我々は自分を除く有権者はバカだと思いたがる。確かに経済政策の理解は十分ではないと思うのだが、かといって「自分たちの損得勘定ができない」とも思わない。つまり、自分たちの生活のスコープについてはきちんと判断ができているのではないかと思う。民主党政権3年の失敗を見て「どうせ変化をしても混乱するだけ」ということもわかっている。だったら動かなくなるまで放置しておこうと思うのが有権者側から見た精一杯合理的な対応だということになるだろう。こちらは正解がないから放置しているということになる。これが野党がだらしない第二の原因である。やってみて何も変えられなかったと諦めて嘘に走った政権の裏には、どうせ政治家には何もできないという国民の諦めがある。民主党はテレビ政党なので「視聴率が悪い政策」は受け入れないのである。支持率が悪くてもやがて理解されるだろうなどとは思わないのだ。

このため、野党には「政治に自分たちのルサンチマンをぶつける対象にしたい」という人たちだけが引きつけられる。彼らを外から見て「安倍打倒を訴えている人たちは本当は何がやりたいのだろう」と考える人もいるようだが、ルサンチマンにとりつかれた人たちにはそんな声はもう届かないだろう。

支持者たちが自分たちの内心を初めて爆発させているという様子がわかるつぶやきが定期的に流れてくる。「安倍打倒のシュプレヒコールをあげて私は本当はこれが言いたかったんだ!と涙が出た」という人たちがいるのである。内心というものを持たずに(正確には持っているがそれに気がつかずに)大人になった人たちが憎悪に導かれて初めてそれを解放した瞬間だ。

内心を個人にぶつけると嫉妬の感情としか見られないのだが、社会正義に彩られると「大義」を持つ。つまり、個人がやっとの思いで解放した内心は解放された瞬間に集団的な正義に食われてしまうのだ。いったん内心が噴出すると今までしつけられてきていなかった分だけ暴走するというのはユングの中年の危機さながらの話である。つまり多くの日本人にとって内心の発露は暴れ馬さながらの劣等機能であり、日本勢たいが中年の危機に苛まれているとさえ言える。

このため枝野さんたちが建設的な議論をしたくても、有権者はついてこない。有権者たちが求めているのは現状維持かあるいは暴走した内心に彩られた破壊衝動である。野党はこの「壊してしまえ」という衝動を持った人たちを引きつけておくために次から次へと新しい疑惑を解明しなければならない。幸か不幸か「何もできなかったしそもそも何もやりたいことがなかった」今の政権には暴走した内心の餌になるものがたくさんあるのだ。

これが最後のだらしなさにつながる。民主党は意見がまとめられず支持も得られないために分裂してしまった。この時、地元の事務所には連絡がこなくなり、今でも地方議会はバラバラのままである。2009年から継続的に応援し望みをつないできた人たちは分裂騒ぎの時に「ああ、自分たちのことはどうでもよかったんだ」ということに気がついたはずだ。この状態は今でも変わっていない。継続的にボランティア活動や寄付などをして野党を支えようという人たちもいたはずだが、彼らがいくら頑張っても野党は答えてくれない。2009年に民主党を応援した人たちはなんども裏切られている。消費税を上げなくていいという嘘に騙され、野党になってもみんなのことは忘れないといった嘘にも騙された。

民主党はマニフェストの粗末な扱いを通して「日本には政策ベースの政治は根付かない」という正解を作ってしまった。今度は「野党を継続的に応援しても何の成果も得られない」という正解を作った。だから、政党を応援する理由は2つしかない。利権の誘導を狙う人と暴れ馬になった内心をぶつける人だけが飽きずに政治を見つづけることができるのである。

立憲民主党はかなり難しい立場にあると思う。運動を盛り上げようとすると与党批判を繰り返す必要があるのだが、これはやがて左派ポピュリズムに行き着く。左派ポピュリズムというのは、矛盾と憎悪の原因を既得権益者に向けつつ、財政の安定を考慮せずとりあえずばらまくというやり方である。構造化された支持母体がないので利益分配のためにはとにかくバラマキをやらざるをえない。そして憎悪は破壊にしかつながらないので資本主義は内側から崩壊する。

残る道は非常に狭い。経済がわかる人たちが集まって「これが正解だ」という経済政策を調査から含めてやりなおさなければならない。なぜ調査からやり直すかというと政府統計が信頼できないからだ。国家機関から「正解」というお墨付きは得られないので、心あるジャーナリスト(本当にそんな人たちがいるかは疑問だが)を集めて信頼性の確保も自分たちでやらなければならない。左派ポピュリズム的な人気維持策をやりながら、裏で経済政策を作り、それが理解できるリテラシーがあるひとたちをリクルートしてきて議員や広報舞台として育成もしなければならない。こんなことが現実的にできる見込みは少ないが、それしか道が残されていないように思える。

政治の話題を含めたブログを書いていると「安倍批判をしないとページビューが下がって行く」ということに容易に気がつく。「日本人は<本質>を理解できていない」などと個人的には立腹しているのだが、冷静に考えてみると「アテンションを維持するためにはエンターティンメント要素も必要で、なおかつそれに振り回されすぎてはいけない」ということなのではないかと思う。つまり多くの人にとって<本質>とは政治家を叩くことなのである。

狭き門より入れなどと説教しても誰もついてこない。だが、世の中を変えたいなら自分たちだけは狭き門をくぐらなければならない。

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民主主義は改革と現状維持の間で揺れ動き、やがて人々を失望させる

最近、Quoraで中国や韓国について非難したい人たちの質問をよく見るようになった。






もともと批判封じのために回答を書いていたのだが、いったん回答を書くと中国や韓国に興味がある人ということになってしまう。すると「中国は人権抑圧国なのでくだらないですよね」とか「韓国はけしからんから断交すべきではないですか」と同じような質問がうじゃうじゃと湧いてくる。ついには中国人の留学生がきれいな日本語で民主主義にはいろいろな形態があると淡々と訴えるという展開になってきた。日本語能力も論理構成もあきらかに質問者たちより上で「ついに民主主義についても中国人に教えてもらわなければならない国になったのか」とさえ思った。

これは日本の議会政治や経済が行き詰っていて国民の間に肯定感が持てなくなってきていることと関係していると思う。そうなるとうまくいっていない国を探して自己肯定感を得たいのだろう。

それにしても、韓国が日本を攻撃するニュースを見る機会が増えた。背景にあるのは韓国の経済の行き詰まりである。韓国の失業率は上がっており、これが文在寅政権への不満につながっていることがうかがえる。そうなると反日カードが出てくるのはしかがたないことだ。李明博政権の末期もそうだったが、文在寅政権は早くも反日カードが必要な状態になっており、手軽なネタが必要な日本のテレビの格好の情報ソースになっている。日本のテレビ局も取材費用が限られており、お手軽で取材が必要のない反日ネタは、緻密な分析が必要な政府批判よりも「コスパが良い」のではないか。

しかし、アルゼンチン・ベネズエラ・1970年代のアメリカの状況を少し観察したあとだと、改革の失敗も取り立て珍しいこととは思えない。つまり、韓国だけがダメな民主主義国というわけではないのだろう。

長期政権は必ず時代について行けなくなるので、どこの国も揺り戻しとしての改革願望が起こる。日本が2009年にオバマ熱に浮かされて民主党政権を誕生させた時にも似たような気分はあった。しかしながら、こうした改革政党が政権に長く居続けることはできない。彼らは経済運営と政権運営に不慣れだからだ。このため高い確率で不完全燃焼感が生まれ、やがて有権者は失望する。

日本の民主党政権は社会主義者が官僚に騙されたような政権だった。経済について無知で不慣れな人たちは「予算なんか適当に書いておけばあとで官僚がなんとかしてくれるし、それでもダメだったらごめんと言えばいいんだよ」という官僚経験者の言葉を鵜呑みにした。そして野田政権が官僚と勝手に話し合って「ごめんなさい」とも言わずに消費税をあげたことで国民の信任を完全に失ってしまったのである。だが、安倍政権が悪夢と言っている時代を民主党が作ったわけではない。彼らには自民党の失敗を押し付けられたという側面もある。

例えば、前回見たカーター政権のスタグフレーションの原因は必ずしもカーター大統領が作り出したものではなかったようだ。長年のベトナム戦争の経済的負担があり、またアメリカの製造業も競争力を失いつつあった。多分、戦争需要がなくなったこともあり経済が不調に陥ったのだろう。しかし有権者にはそんな難しいことはわからない。だから、カーター大統領は国民から信任されなくなり、政権を失った。

韓国の中央日報は野党議員の痛烈な批判を取り上げている。韓国の場合、Jノミクスを掲げて「社会主義的な」賃金の引き上げを行ったのだが雇用は減り続けている。韓国人が仕事を取り戻すためには最低賃金の引き上げと同時に競争力の改善を行わなければならないのだが、長年「弱者の側」にいた文在寅とその側近たちにはどうすることもできないのかもしれない。

改革疲れのあとにくる政権はかつて人々が失望した政権の劣化版である。トランプ政権はオバマ政権の揺り戻しの結果できた政権だが、次々と敵を名指ししては「あいつらが悪いからあなたたちが得られるはずの利益が得られなかった」と言っている。これはブッシュ政権が中東を指差し「我々の敵はあそこにいる」と言ったのに似ているが、やり方は格段に稚拙である。

安倍政権の場合にはもっと悲惨だ。とにかく株価を上げ円の価値を下げ、あとは統計をごまかして悪い数字さえ出さなければ国民は納得してくれると思っている。だが、実際にそれを支えているのは有権者である。中でもこれまで政治がわからなかったという感覚を持つ人たちが「やっと政治が我々に近づいてきてくれた」として感激するのだ。

自分たちが生きている間だけ制度が維持できればよいと考えてしまう人たちにとってこの政権はとても都合が良い。だが、請求書はかなり大きなものになるだろう。予算委員会では万博招致にウキウキした自民党の議員さんが「いつ頃までに何の金を出すのかのリストを出せ」と言っている。兆円という単位の予算を扱う彼らには財政が厳しいという実感はないのだろう。

このことから俯瞰的に政治を眺めると、民主主義を運営するには、保守・リベラルをバランスよく成長させることが重要だということがわかる。ダイエットと同じで運動だけしていればいいわけでもないし、絶食すれば痩せるというものではないというのと同じである。だが、それは一度体を壊してみないとわからないことなのかもしれない。

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実は問題が大きい橋本聖子JOC副会長の「五輪の神様」発言

橋本聖子JOC副会長がオリンピックについて「ガバナンス、コンプライアンスで悩んでいる場合じゃない」といったことが物議を醸している。これはとても問題が大きいと思う。桜田大臣の「五輪憲章を読んでいない」よりも問題が大きい。






これについてQuoraで聞いたところ「超法規的措置を望んているのでは」という指摘があった。問題の本質を一番ついている発言だと思った。つまり、オリンピックは特別神聖なものであり、ガバナンスやコンプライアンスなどの細かなことに煩わされてはならないと考えているのだろう。JOCは現代の関東軍になったのだ。

戦前の関東軍は単独で無謀な戦争に独断で突入してゆくのだが、必ずしも日本をめちゃくちゃにしてやろうとは思っていなかったはずだ。むしろ、彼らは一貫して自分たちの行動は日本を守るための聖なる戦いだと感じていたはずである。戦前の二大政党制の元で議会は機能せず経済復興のための具体的なアイディアが出せなかった。そこで国民とマスコミは具体的な成果を出していた陸軍を支持し、軍も議会を無視し内閣を恫喝し続けた。

軍が崇高な目的を持っていたことも、具体的な成果を挙げたことも否定はできない。しかし、最終的に日本国民を巻き込んだ破滅の道を突き進み、国民をコマとしてしか認識できなくなってしまう。今、オリンピックで同じようなことが起きていることは、桜田大臣が「スター選手が病気になったらオリンピックが盛り上がらずに困る」と発言してしまうことも明らかである。裏ではもっと露骨な利権確保の動きがあるのだろう。蓮舫議員の一連のTweetを見るとオリピック予算の適正化を要求しても全く反応が返ってこないらしい。オリンピック利権に絡んでいる放送は一貫してこの問題を無視し続けている。

ガバナンスやコンプライアンスなどという「些細なことに囚われていては成果が挙げられない」という橋本副会長の止むに止まれぬ気持ちは本物だろう。だが、それはとても危険な暴走が始まっているという証拠にしかならない。彼らはすでに正気を失いつつあるのだ。

こうした歪んだ信仰心は自民党が政権を失い国家神道と結びついた時に生まれたものだろう。「自分たちの特権が失われた」と信じている国家神道の信奉者たちは「日本という特別な国」は国際的なルールや個人のわがままに過ぎない民主主義に拘泥されるべきではないと考えている。

失われたという怒りが人々から合理性を奪ってゆくという例は何も日本にのみ見られる現象ではないだろう。例えばトランプ大統領はメキシコからの移民がアメリカを滅ぼすと信じて国家非常事態宣言を出した。壁さえ作ってしまえば軍事費や麻薬対策費が必要なくなるという考えから対策予算を壁に振り向けようとしているようだ。これも「彼なりの正義感」の表れなのだろう。しかし、壁を作って国境を塞いだとしてもアメリカの諸問題がたちどころに解決することにはならない。トランプ大統領と支持者たちは正気を失いつつあるが、アメリカの民主主義にはセーフティーネットがいくつかあり法廷闘争へと持ち込まれようとしている。

ベネズエラの経済も大混乱に陥っている。このニュースを聞いた人は「マドゥロ大統領がさぞかし贅沢な暮らしをしてベネズエラを搾取しているのだろう」と思うかもしれない。しかし、ベネズエラの経済がめちゃくちゃになってしまったきっかけはむしろ正義感なのだ。金持ちに搾取されていた石油の儲けを国民に還元するというチャベス大統領の政策が後継のマドゥロ大統領に引き継がれたころから話がおかしくなったようだ。彼らも資本主義の面倒な仕組みを理解しようとしなかったことで、最悪の結果をもたらしつつある。

プロジェクトが大きくて難しいほど携わる人たちは「自分たちは良かれと思って崇高なことをやっている」と感じる。「崇高な闘争」に突入する過程で「神の崇高さ」のようなものを感じることがあり、それが全体を巻き込んだ破滅に至る場合もあるということである。人間の闘争本能は時に暴走するのである。

日本的ポピュリズムがそれほど過激に燃焼しないのは、左派的ポピュリズムに傾倒しそうなパヨクと呼ばれる人たちと失われた怒りを持っているネトウヨと呼ばれる人たちが別のセグメントを形成しているからだろう。神を持ち出してくるのはネトウヨ側だけだ。

現在の自民党政治の大元にあるのは被害者意識である。自民党の憲法草案はすでに「自分たちを政権から追い落とした天賦人権は憎い」というところまで来ている。これは安倍首相の言う悪夢の民主党時代に作られた。結局この一連の流れは「なぜ自民党政治が行き詰ったのか」ということを反省せず自らは自己憐憫に浸ったところから始まっていることになる。現在、国家プロジェクトは超法規的に行われるべきだと主張するところまで来た。次に来るのは神に選ばれた自分たちは選挙の洗礼を受けず国家を指導すべきだという狂った政治観だろう。そのためには統計を歪めて嘘をついても良い。なぜならばそれは正義の闘争を勝ち抜く正義の嘘だからである。

いずれにせよ次から次へと聞こえてくるオリンピック関連のデタラメな発言は、彼らが世間と決定的にずれ始めていることを意味していると思う。まともにオリンピックをやりたいなら外部から社会を知ったまともな人たちを連れてくるべきであろうし、それができないならオリンピックはやめるべきだ。だが、被害者意識から視野狭窄に陥っている人たちにこの声は届かないようにも思える。

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ポピュリズムとアルゼンチン型の没落

前回「トランプ大統領のアメリカがラテンアメリカ的なポピュリズムに陥っているのでは?」と書こうとしてやめた。アルゼンチンについてよく知らなかったからである。アルゼンチンの政治はポピュリズモとして知られており、一度これについて書いたことがあるのだが、おさらいのつもりでもう一度アルゼンチンの戦後の歴史について軽く調べてみた。途中で消費税批判が出てくる。今のままで消費税増税はしないほうがいいと、アルゼンチンの歴史を見て思った。






アルゼンチンは南米にある人口4000万人くらいの中進国である。南米ではブラジルについで豊かな国なのだそうだ。第二次世界世界大戦までは世界的にも豊かなことで知られていた。第二次世界大戦にほとんど参加せず、アメリカなどに肉を輸出しており富の蓄積ができたからだと言われているそうだ。

アルゼンチンは後進国ではないのだが、今では貧困率が32%にまで上昇している。必要以下の食料と日用品しか得られないという人たちが3人に1人もいる。これが没落型国家の問題点である。つまり社会的インフラは整っているが、内部に貧困を抱え込んでしまい政治がそれを解決できないのである。また、過去に数回債務不履行(デフォルト)を起こしており通貨には信頼がない。

アルゼンチンをここまでひどい状態に陥れた政治の正体が「ポピュリズム」である。ペロンという軍人出身の大統領が貧困層に手厚い福祉対策を行った結果、第二次世界大戦で蓄積した外貨を使い果たしてしまったのだ。アルゼンチンにとって地球の裏側で起きている戦争は金儲けの絶好の機会だった。日本が朝鮮戦争特需で経済成長したのと同じような図式だ。それを国内の産業育成に回せなかったのである。

第二次世界大戦が終わってもアルゼンチンは構造改革に着手せず、福祉に力を入れる。経済の構造転換の意欲がないままで手厚い福祉政策を手放せなかったことで、結果的に「貧困者が極端に多い」社会ができてしまった。その後軍事政権が民主化弾圧を行い、再民主化した後でインフレに見舞われた。コトバンク掲載ののブリタニカ辞典によると1989年には累積債務が国家予算の1/2になり6000%のインフレとなったそうである。

Newsweekは次のような分析を紹介している。構造改革を嫌い見かけ上のリーダーシップを好んだという点が日本と似ている。日本はサービス産業化に失敗し自民党主導の政治改革ができず、その後の民主党政権も大失敗したという歴史がある。その後生まれたのが見かけ上のリーダーシップを喧伝する安倍政権なので、この経緯がとても似ているのである。

結局のところアルゼンチンが何度も経済危機を繰り返すのは、財政規律が守られず、国民が変化を拒否していることが最大の原因である。

ちなみに前政権は自らに都合が良くなるよう経済統計の恣意的な解釈などを行っていた。こうした誤魔化しは長続きしないと思われがちだが、意外とそうでもない。結果的に自国が貧しくなっても、政治家による見かけ上の強いリーダーシップを望む国民は多いというのが偽らざる現実だ。

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2018/05/post-49_3.php

ペロン大統領そのものはそれほどひどい弾圧は行わず「バラマキ」に徹したようだが、そのあとの軍事政権は激しく民主化を弾圧したそうである。これを汚い戦争と呼ぶらしい。しかし内部に敵を作りそれを弾圧する手法も民主化運動を抑制できず、イギリスを敵にしたフォークランド紛争を起こしてそれが失敗したことで軍事政権は終了した。その後またバラマキ政治に戻りハイパーインフレを起こし、最終的に国の1/3が貧困層になるほど経済が疲弊した。つまり、バラマキができなくなると敵を作って不満を解消するという手法が取られるのだ。

もう一つ重要だと思うのは、アルゼンチンが自らが経済の中心にならず周縁として機能していたという点だろう。食料の供給地ではあったが、自らが大きな消費市場になることはなかった。このため中央の経済(この場合アメリカ)の動向に左右されやすいという特性がある。

日本は自動車や家電などの部品の供給国なのだが、自らも人口一億人以上の消費地であり、実はそれほど外需依存の経済周縁国ではない。これを支えていたのが豊かな中間層だ。しかしながら、安倍政権は消費税を増税し古い構造を持った企業を温存することにより豊かな中間層を破壊しようとしている。これは結果的に経済の周縁化を生み出すだろう。内需を捨てて外需を追求しようとしているからだ。消費税依存を支持しているのは「年金財政を崩壊させたくない」という構造改革して欲しくない人たちなので、アルゼンチンほどではないにせよ「緩やかなバラマキが経済の再活性化と構造改革を拒んでいる」ということになる。

人口と富の蓄積がアルゼンチンより多いので経済の崩壊には時間がかかるだろうが、このまま思い切った構造転換ができないと日本経済も数世代先にはアルゼンチン化することになるだろう。通貨は信頼されず、国内に貧困が蔓延するという世界が数世代後にやってくるのである。

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トランプ大統領の非常事態宣言

人を操るためにはいろいろなやり方がある。手っ取り早いのは危機を煽り立てて合理的な思考力を奪うことである。トランプ大統領はついにこの手法に手を染めたようだ。






非常事態を宣言してメキシコから押し寄せてくる移民を防ごうと言い出したのである。民主党などの議会はこれに反発しており法廷闘争も辞さないと言っているのだが、もし民主党が邪魔をすれば今度は民主党を指差して「この人たちが邪魔している」というつもりなのではないだろうか。こうしたやり方をポピュリズムと呼ぶ。これがもっと強くなり全体を通じて他者を抑圧し始めると全体主義などと呼ばれる。オバマ大統領の改革幻想からの揺り戻しでアメリカの民主主義はかなり危険な状態にある。

先日は、時代から遅れた人たちが支配権を維持するために政権に擦り寄って行き、政権の権限が増してゆくという仕組みについて見た。日本は明確なリーダーを作らず集団思考的に極限状態に追い込まれてゆくという特徴があるようだ。現在の状態を第二次世界大戦前に例える人たちがいるがこれは被害妄想ではない。第二次世界大戦当時の日本は集団思考的に解決策を持っていそうな軍部に頼り、そして破綻した。このように社会の中枢からなんとなくおかしくなってゆくのが日本型である。構造が単純なので「ウィルス」が浸透しやすいのだろう。

ところが欧米はリーダーが主導的に極限状態を作り出してゆくという特徴がある。では、この「危機を煽るリーダー」は誰にメッセージを送っているのだろうか。トランプ大統領の支持者の特徴についての心理学的研究では5つの要素を抜き出している。

  • 権威主義的性格
  • ソーシャル・ドミナンス・オリエンテーション
  • 偏見
  • インターグループコンタクト
  • 相対的剥奪

馴染みのない言葉がたくさん出てくる。まずソーシャルドミナンスオリエンテーションは「社会が階層的であることを好む」というような意味であり、権威主義とは異なっているが「関係がある」そうである。インターグループコンタクトは偏見と関係している。国境沿いの町に住んでいたり移民が多い地域に住んでいる人たちよりも内陸にいて移民と接触したことがない人の方が人種偏見を持ちやすいのだという。ここまでは前回見た「複雑性を扱えないし知らない保守」と同じような傾向である。ただ、一点大きな違いがある。それが喪失感だ。

最後の「相対的剥奪」は「自分たちがかつて得られていたものが得られなくなっている」ということから生じる怒りなのだそうである。つまり、彼らは失われたという感覚を持っているということである。

ここが日本と異なっている。日本人は既得権を抱えながら(あるいは抱えているがゆえに)時代について行けなくなった人たちが集団で政権や軍部といった大きなものにしがみつくことで、特定の核を作らないまま機能停止に陥ってゆく。彼らの動機は怒りではなく「このままの状態で村を保とう」という同一性保持の傾向だ。一方、アメリカではエリートたちは時代とシンクロできているが、ここから取り残された人たちが扇動者によって動かされてゆくという特徴があるようだ。均質性の高い日本と、多様性があるがゆえに格差が生まれやすいアメリカの違いと言えるだろう。

トランプ大統領が煽っているのはありもしない移民戦争なのだが、まだそのシステムには幾つかの防御壁が残っている。議会が独立して機能しているので民主党は法廷闘争をやりたいようだ。また各州が独立して動いておりここからも提訴の動きが出ているという。これが、単純な階層しかない日本と違っている。多様性がある程度アメリカを救う可能性がある。ウィルスが浸透しにくいのだろう。

一方、その陰で北朝鮮などの現実の危機は単にディールの材料とされ忘れられてゆく。トランプ大統領はどうやら文在寅と安倍晋三の区別がついていないらしい。「安倍首相が自分をノーベル平和賞に推薦した」としており、これが文在寅である可能性があるそうだ。安倍首相とトランプ大統領との強固な個人的信頼というのは、その程度のものなのかもしれない。もはやアメリカと一体的に動くことはリスク要因なのである。

日米ともに政府に権限が増すのと同時に現実の把握能力が失われて行く。その過程で起こるのが「議会と話し合いの軽視」である。民主主義はこういう状態にはとても脆い。どちらも背景にあるのは、複雑さに対応できる人たちとできない人たちの間にできる「格差」である。民主主義は共通の基盤とある程度の見通しを必要とするので分断した状態には耐えられないのだろうということがよくわかる。そして、一旦分断が表面化してしまえば我々一人ひとりにできることはとても少ない。

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「民主党政権時代は悪夢の時代」というのは言論の自由という人が首相をしている国

国会審議を見ていてもあまり面白いことはなさそうなので出かけようかと考えていたのだが、冒頭から耳を疑った。






安倍首相の「民主党政権時代は悪夢だった」発言の撤回を迫った岡田克也に対して、安倍さんが「それは言論の自由」と言い放ったのだ。「あんた本当に謝らない人だね」と呆れてしまった。それどころか品格を保たなければならない国会の場で民主党時代をさらに罵倒し始めたのだ。ついに壊れたかとすら思った。

言論の自由は民主主義と人権を擁護するためにある。理想の生き方を追求するためには、内心を他人に制限されることなく自由に話し合う必要があるからだ。だから言論の自由とは何を言ってもいいという意味ではない。加えて首相はリーダーだから難しい問題を解決するためにお互いに協力を呼びかける場面が出てくるはずである。つまり、品格を保つというのは「いざという時にお互いが協力できるような尊重し合う関係をメンテナンスする」という重要な意味がある。

だが、ネトウヨの人たちはこれを「何を言っても許されるはずだ」という理解で使う場合が多い。何かを発言すると誰かを傷つけてしまう可能性もあるわけだが「そんなのは構わない」というニュアンスで表現の自由を使う。例えば「在日朝鮮人は国に帰るべきだ」とか「アイヌ人などいないと学実的に証明された」とか「レイプされた女にも落ち度がある」という発言も言論の自由になってしまう。そもそも人権の一部である信条発露の自由のためにある言葉が、多数派が少数派を抑圧するために使われる。そして、その頂点にいるのが安倍首相なのである。

一方で、この民主党否定発言は安倍首相が切れるカードが少なくなってきているということを意味している。それは、外交、消費税増税延期、憲法改正議論、景気回復という実績である。

安倍首相はいろいろなペットプロジェクトを持っているが、これは自民党の政策を担う人たちからは白眼視され始めているようだ。いろいろ言っているが地方には金が回ってこない。夢みたいなことばかり言っていないで地方の支持者に金を回せというのだ。補助金で直接配るか公共工事のような馴染みのやりかたで地方に金を回せと言っている。諦めている都市の「無党派層」と違って地方の自民党支援者たちは上から目線で自民党に指示を送る。

この一環として消費税増税議論がある。つまり財源がさらに必要になるからさっさと国民を説得してあげてしまえというわけである。野党の一部には「ギリギリまであげると言っておいて選挙の時にあげないというのではないか」という懐疑論があるようだが、これは難しいのではないかと思う。すると選挙では大勝はできなくなるので、憲法改正議論も難しくなるだろう。憲法も自民党支持者にとっては首相のペットプロジェクトに過ぎない。憲法で飯は食えないのだ。

外交でも行き詰まりつつある。ロシアでは何も成果が得られなかった。プーチン大統領には二島をただで返すつもりはなく、安倍首相にも秘策はなかった。前回見たように、トランプ大統領は金正恩との親密な関係を演出しつつ、内政を優先して北朝鮮問題で大幅な譲歩をするかもしれない。北朝鮮から拉致問題で妥協を引き出すのは難しくなるだろう。迷走外交を繰り広げる日本は東アジアで取り残されつつある。

こんな中、安倍首相が頼れるのはもはや「民主党よりはマシ」という幻想だけなのである。安倍首相が民主党時代を思い出せと言っているのは、言い換えればもはやそれ以外に語れることがなくなってしまったということを意味している。国政は実はここまで停滞している。

一方で、旧民主党系の人たちにも「風が止まった」という実感があるようだ。ある地方の議員か候補者の人の「風が止まった」というTweetをみて、国民の間には「よくわからないがとりあえず今は動いているからあまり触りたくない」という気分があるのではないかと思った。国政は停滞しているが、とにかく動いている。これが民主党時代よりましだと思っている人が多いのではないだろうか。

スムーズに動いている車をみれば、誰でも車についてあれこれ言いたくなる。だが、ちょっと何かのボタンを押すと止まってしまい兼ねない車はできるだけ触らないようにしないと命に関わると思えてしまうのではないかと思う。

ただ、エンジンの中からは今までに聞いたことがない音がしており、なんらかまずいことが起こっているように思える。もう勇気を出して中を覗いてみるところにまで差し掛かっているのではないかと思える。

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正解学習型の学校教育が消費税増税論議を暴走させる

軽い気持ちで実質賃金も下がっているらしいので消費税増税はしない方がいいのでは?と聞いた。当然、延期すべきという答えがたくさんかえってくると思っていた。






回答は4つしかなかった。延期が3で延期しなくてもいいが1だった。世間の評価というのはその程度のものなのだと思った。つまり、それほど大きな消費税反対のうねりはないのである。

それよりも驚いたのは知識の断片化だ。反対派の意見は野党のコピペであり短いものだった。唯一の容認派は「外税方式にしたら増税になるが内税にすると物価上昇だ」と言っていた。SNSからの知識は恐ろしく断片化している上に、与党も野党も情報が欠落しているので(隠していたり、自分たちがわかっていなかったりといろいろだが)おそらく情報の受け手は自分なりの見方が再構成できないのだろうと思った。

消費税に対する意見を固定するのは案外難しい。財政健全化、地方有権者への分配、市場の安定という3つの要素のある方程式を解かなければならない。パラメータは膨大なので自分なりの仮説を作ってモデル化した上で膨大なニュースを処理しなければならない。つまり、問題を自分で作らなければならないのだ。学校に入ってから「先生が出す問題」ばかりを解答し続けてきた日本人にはこれができないのではないだろうかと思った。

学校では数学ができなくても「誰か難しい問題を理解している人がいるんだな」と思えばいい。だから消費税の問題も「まあ、難しいことは誰かが考えてくれているんだろう」と思えれば、それはそれで良いのかもしれない。

仮に消費税増税を延期してしまうと、今度はもっと大変なことが起こるのではないかという恐怖心もある。無駄を省けば消費税を上げなくて良いと言っていた野田政権も結局諸費税増税を回避できなかったし、安倍政権も一回延期したが今回はやる気のようだ。少なくとも政府にはシナリオがあってその通りに進んでいるはずであると思えばそれから先は考えなくても済む。

だが、本当にそうだろうか。実は軽減税率の還元を巡って不安なニュースがある。時事通信社が伝えている。

今回の増税では食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率も導入される予定。複雑な仕組みに反対していた業界側も渋々、顧客対応などの準備を急いでいる。そんな中でポイント還元という新たな負担要因が突如現れ、反感を増幅させた。
 「この政策、ちょっとおかしいよ。なぜ現場の声を聞かずに強行するんだ」。業界筋は憤りを隠さない。詳細な制度設計はこれからだが、強引に事を進めれば混乱と不満の拡大は必至。夏の参院選もにらみ拙速に実施を決めた政府・与党の責任も問われそうだ。

https://www.jiji.com/jc/article?g=eco&k=2019020300279

これは2018年のニュースではない。2019年の2月になってもまだ設計さえ始まっていない。クレジットカードの中の仕組みがどうなっているのかはよくわからないが、クレジットカード会社は総額さえわかればそれを銀行に引き当てて小売に渡してやればいい。ラベルは必要なので「何を買いましたよ」という名札はついているが、それをシステム的に「これは食品だ」など識別する仕組みにはなっていない。だからポイント還元の仕組みを作るということはクレジットカードシステム全体を基礎から再編することになるということを意味している。クレジットカード会社が「顧客が何を買ったか」を管理しなければならなくなり、そのためには小売店がいちいちそれをクレジットカード会社に報告しなければならなくなる。

例えば、顧客が「私は8%の食品を2000円分買ったはずだ」とクレームを入れてくるとする。それを処理するのは、小売店なのかそれともクレジットカード会社なのかという話になる。つまり、要件すら決まっていないのだ。

だが政府はそれを考えずに、産業界側でなんとかしてくれるだろうとして「投げて」しまったのだ。

前回まで何回か北方領土の話を観察した。安倍首相は「私が北方領土を取り戻す」ということを言っていたが専門家たちは「どう考えても無理なのだから何か秘策があるのだろう」と思ったはずだ。つまり、答えがあるから安倍首相はこう言っているのだろうと思った人が多かった。しかし、実際には答えなどなかった。安倍首相は「プーチン大統領が落とし所(答え)を用意して問題を出してくれている」と勝手に思い込んだだけだったのだろう。

日本人はこうして全体的になんとなく「誰かが答えを持っているだろう」と考えてふらふらと漂流を始めた。これまでの正解学習型の学校教育が暴走を始めていることを意味している。そして何かが起きた時我々はまたあの「想定外だった」という馴染みの言葉を聞くことになるだろう。

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米国の日本単独占領と北方領土

最近、安倍首相の外交交渉は敗北だったとTwitter上で面白おかしく呟いている。気晴らしとして呟いてはいるのだがこれ実は嘘だ。実は日本は最初から北方領土を請求できないから外交的には敗北のしようがないのだ。なぜ請求できないかというと、日本は交渉の当事者ではなかったからである。






「南クリルは戦争の対価としてソ連に与えられた」というのは有名な話である。陰謀論でもなければ隠された歴史の真実でもない。

ソ連が土壇場になって日本に侵攻した時にその戦果として北海道の北半分を要求したという話がある。大前研一が2012年に書いているのだが、大前は、アメリカはこの時に南クリルを戦利品として与えて「お引取り願った」と書いている。

つまり、北方4島はソ連が侵略したのではなく、アメリカが“戦利品”としてソ連に与えたわけで、日本は4島を失った引き換えに北海道の南北分割を避けられたとも言える。これは当時のアメリカの公文書に残っている明確な事実だ。

https://www.news-postseven.com/archives/20120614_116147.html

最初から戦利品であって契約の当事者はソ連とアメリカである。だから日本には実質的な請求権がない。文句をいうなら(技術的にはヤルタ階段の密約部分の無効性を国際世論に訴えることになるのだろうが)アメリカに言うべきだという話は確か橋下徹さんもTwitterで呟いていたように思う。

ところがまた別の話がある。ソ連はブルガリアとルーマニアにあるウランと日本占領を天秤にかけたというのだ。つまり、戦後の処理をめぐっては終戦後も取引が続いていたということになる。こちらもあまり知られていないようだが、特に秘密と呼べるよなものではないらしい。

この1945年12月のモスクワ外相理事会では、ソ連のルーマニアおよびブルガリア支配を承認するという対価を払って、アメリカは日本の実質上の単独占領の権利を確保する。これは通常われわれ日本人は意識していないことであるが、戦後日本の再出発は東欧諸国のソ連による支配という犠牲の上に成り立っていたといえるのかもしれない

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09060710/?all=1

ソ連は当初日本への参戦を渋っていたが、原爆という最終カードがなかった時点ではアメリカも単独で日本を敗戦にまで持って行く自信がなかったのだろう。ヨーロッパでソ連が勢力を拡大するのを恐れたイギリスは躊躇したようだが、アメリカは勝手にソ連に「日本のどこかを与える」という約束をしてしまう。ソ連が望んだわけではなくアメリカが渡したのだ。そのあと原爆が完成しソ連が日本本土に侵攻することはなかった。タイミングとしてはギリギリのタイミングであり、どっちの犠牲がよかったかと考えることすらはばかられる。戦争というのは本当に恐ろしい。

結果的に国後・択捉・歯舞・色丹を切り捨てることでアメリカの単独占領が実現したことになるし、広島・長崎がなく膠着していればもっと広い範囲がソ連に渡っていたかもしれないということにもなる。それは沖縄が捨て石になったことでも明らかで、軍部が終戦を渋っていたら北海道で沖縄陸戦と同じような悲劇が起きていた可能性があるということになる。

現在の日本の平和と統一的な一億人超の市場はこうした犠牲の上に成り立っている。いずれにせよ、ソ連とアメリカの間の取引によって日本はアメリカの縄張りになった。そのあと、東京上空を占領し、沖縄にも大きな軍事的足がかりを作り、日本全国に自由に基地が作れる「契約」を結び、さらにはアメリカ軍が何をやっても日本が取り締まれないという体制も整えた。日本の政権は「アメリカに刃向かったら東京の西側の空域から何をされてもコントロールできない」と常に銃を突きつけられていることになる。

自民党の政治家はこのことをよく知っているはずである。特に安倍晋三の祖父である岸信介はアメリカの温情によって戦犯指定を解除されそのあとも対米交渉を長くやっていた当事者でありこれを知らなかったはずはない。にもかかわらず、自民党政権は国内向けの説明として「北方領土は固有の領土」と言い続けていた。これは国内向けの嘘である。

国会で安倍首相が「固有の領土」と言えなくなったことから想像すると、ロシアは日本が「北方領土は日本の固有領土だ」という日本の主張を取り下げて、南クリルのロシアの主権を認めれば、2島返還(ロシアが温情で返還する)なり優先的な利用権を与えても良いとほのめかされたのだろう。これは沖縄や小笠原が返還されたのと同じ理屈である。つまり、彼が託されたミッションはロシアの説得ではなく日本国内世論の説得だったのだ。

安倍首相の仕事は日本の世論を説得することなのだが、これが面白くない野党は(知ってかしらずか)「これまでの主張を取り下げることは外交敗北である」というイメージを先に作り上げてしまった。だから「負けを認めたくない」安倍政権は何もできなくなり失敗が確定した。

実際にはこれが「安倍政権の外交敗北」の正体でなのであり、実は国内問題なのだ。安倍首相は国内世論の取りまとめに着手することすらできず敗北が確定してしまったということになる。憲法議論は自民党地方政策立案組の不満と反乱によってほぼ潰されたと考えて良いが、北方領土交渉でも、国内世論をまとめることはおろか説得に着手することすらできずに終わってしまったと考えるのが妥当ではないだろうか。

自民党の要求リストを突きつける岸田文雄とある予兆

今回は根拠がないのでちょっと短く行きたい。本予算関連の質問が始まったのだが安倍首相の表情が朝から何かおかしかった。でも「何があったのか」という報道は出ないと思う。






普通の自民党の質問は、安倍首相を讃えるコメントを自民党の議員に言わせ、得意げに安倍首相がそれを読むというのがお決まりである。午後はそうなっていて得意げになんたら5.0とか言っていた。

しかし、今回の岸田文雄の質問は質問というか自民党から官邸への要求リストのように聞こえた。安倍首相の顔は疲れ切っており、世耕大臣(解答者席)や小野寺元防衛大臣(質問者側)の顔もこわばっている。何か心配事がある感じなのである。一方で石破茂さんの顔はいつものようにニヤニヤして隣の何かの失言でちょっとだけ話題になった議員と楽しげにおしゃべりしていた。

岸田さんの質問はちょっとショッキングな内容から始まる。「これからも政府は税金を上げ続けなければならないから今回の消費税増税はちゃんとやれよ」というのだ。あからさまに自民党はばらまくカネが必要だからお前らが調達しろよと政権に迫っているのである。一方で企業が人材育成にかける費用をコストとして認めるようにも迫っていた(コストが控除されると法人税が下がる)ので、増税とはすなわち消費税を引き続き上げろということだ。

岸田さんたちが不満に思っているのは東京の一極集中化が是正できていないという現実だ。地方には不満が溜まっていてそれが政策要求という形で岸田さんにあがってくるのだろう。表の議論はなんとなく普通に進んでゆくのだが、裏では相当いろいろなことが起こっているのではないかと思った。嘘をつく子供(安倍さん)の動作はよくわかる。言い訳をしているうちに手の動作と声が大きくなり、同時に話すスピードが早くなってしまうのだ。だが、どんなに嘘をついても自民党のナカノヒトたちは納得していないのではないかと思った。安倍さんは焦ってどんどん喋りが早くなってゆく。

野党は自民党の党内基盤には全く関係がないので、安倍首相は彼らに嘘をつくことにそれほどのためらいはない。だが、地方は違う。彼らは裏ネゴを通じて安倍さんに「お前の言っている地方創生なんか絵空事だろう」と突きつける。そしてさらなる補助金や追加公共事業を要求するのだ。ファイナンスはお前らがなんとかしろと言っている。一方安倍さんは社長としてやりたいペットプロジェクトをたくさん持っておりそれを自慢しようとする。それにもお金は必要だが、岸田さんたちは笑って「そんなメシのタネにならないことはどうでもいいから」と聞き流すのだ。

すでに自民党は県知事選挙の候補者をまとめられなくなっている地域があり、これは国政選挙にも拡大しそうだ。読売新聞によると岸田さんはあからさまに二階幹事長に不快感を示したそうである。

自民党は村なので「岸田と二階のどっちが偉いんだ」とか「麻生と福岡県連のどっちが正しいんだ」などという話は全て安倍首相に持ち込まれるはずである。人事で二階さんの顔を立てたんだから、今度は政策で岸田さんの意見を聞いて顔を立てろみたいなことを言われたのかもしれないなどと勝手に想像した。そうでもしないとあのこわばった顔の意味がわからない。

表向きは和やかに議論を続けているが、彼らの緊張した表情が多くを物語っているように見えた。日本人は裏ネゴが全てで議会は単なる儀式(リチュアル)にしか過ぎない。それを探るのが新聞の役割だったわけで、いよいよ記者たちが大好きな政局の季節が始まったのかもしれないと思った。

ただ、村人が政局に夢中になっている間も、野党は統計偽装の問題を追求し、省庁は権益を手放すまいと自己保身に走り、そしてその裏で静かに「賃金上昇なき名目成長」が始まろうとしているように見える。どこかでバランスが崩れたときに何かが起こるはずなのだが、それは果たして国会議員たちが制御できるものなのだろうか?とも思う。

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