リベラルはポピュリズムの温床になる

今回の文章は思いつくままに一度書いたのだが、何が言いたいのかよくわからなかった。Twitterを見ながらいろいろ考えたところ次のような結論が得られた。が、感覚的にはいろいろ許容できないところがある。心情的には人権伸長という意味でのリベラリズムが勝利すべきだと考えているからだろう。だが、考察結果はそうはならなかった。反論や政党の主張などがある方はコメント欄を利用していただきたい。感情的な反論を避けるために掲載の権利はこちらで持たせていただくができるだけ多様な意見を残したいと考えている。

日本では安倍政権の嘘が庶民階層の暴走を防いでいる。嘘が解消しなければ、やがて不満がティッピングポイントに達してポピュリズムが蔓延する。その担い手は二つ考えられる。第一の候補は共産党を中心としたリベラル勢力だ。一方で、リベラルに支持が集まらなければ自然法則に従って均衡化が進行する。それがハイパーインフレである。資産フライトができない人たちは全ての資産を失うので結果的に貧富の格差が解消する。これは究極のポピュリズムである。

世界各国で民主主義の破綻が問題視されている。ここでいう民主主義の破綻とは複雑さに疲れた民衆が自ら民主主義を手放してポピュリストの独裁者に一任してしまうという事例である。南アフリカ・ブラジル・インドで懸念され、トルコにも同じような現象が見られるようだ。独裁化にはこれといったレシピはないのだが共通する幾つかの特徴も見られるという。経済が行き詰まった国では政治の汚職が蔓延し、それを疑問視した有権者が「民主主義を超越した」強い指導者を求めるのである。

経済が比較的好調なアメリカにも置き去りにされた人たちがおりポピュリズムの萌芽が見られる。選挙プロセスそのものが疑問視され国民の対立を煽る主張で知られるトランプ大統領が当選した。だが、アメリカには経済的に豊かで民主主義を守りたい勢力がおり、それなりに民主主義的な防衛手段も準備されている。最近では17の州とワシントンDCがトランプ大統領を訴えた。地方自治がしっかりしており、ある程度司法もそれに応えていることになる。

日本には「安倍政権がファシズムになるぞ」と脅す人たちがいる。見ていると共産党や社民党といった左派の人が多い。だか、彼らは民主主義的なプロセスが信頼できないので「デモによって民意を反映させよう」という気持ちの強い人たちであり、結果的に独裁化の要件に当てはまってしまうという逆転現象が起きている。

この勢力は韓国で起きた政権交代を支持しているようだ。背景にはオアク政権の汚職体質に対する庶民の怒りがあったのでポピュリズムの要件を満たしている。民主主義や自治の歴史が短い韓国ではこうした非民主的な政権交代が起こるのだが、同時に軍事独裁を経験しているので、独裁化に対する拒絶反応が強い。この微妙なバランスが独裁国家と韓国の違いなのだろう。

また経済政策を無視したバラマキもポピュリズムの特徴だ。これは左派政権を模倣した山本太郎の政策によく表れている。裏にいるのは小沢一郎なので「政権のためにはイデオロギーを利用する」という意味ではよりポピュリストに近いかもしれない。幸いなことに小沢さんにはポピュリストに必要なカリスマ性がない。人を煽ったりルックスの良さでひきつけたりすることができないのだ。そこをルックスの良い俳優出身の非政治家に託しているのだろう。

このため日本では面白い状況が起きている。ヘイト発言を繰り返すのは「ネトウヨ」と呼ばれる人たちである。この人たちは権威主義的に政権と結びついており、リベラルな主張をする人たちに差別的な発言を繰り返す。だが、実際に政権を運営しているのは既得権を持った経営者たちなので、彼らのヘイトが直接政策に結びつくことはない。これがポピュリズムに結びつくと暴発するのだから、政権の嘘が暴発を防いでいることになる。安倍政権はお子様ランチ的にいろいろな政策を詰め合わせているので、結果的にこのような「幸運」が起きているのかもしれない。

暴力性の萌芽は左派リベラル側に顕著に見られる。電気信号的に(つまり政治的主張を外してみると)こちらが対立を煽っているように見えてしまうためなのかリベラル系のTwitterでアカウントが凍結されることが増えているようである。彼らが権威と結びつけば旧弊で人権を理解しない人たちを対象にした「親父狩り」が始まるだろう。

このように「必要悪」的な要素のある安倍政権の嘘だが、すでにルビコン川を渡っているという観測がある。

安倍首相は就任当時からある嘘をついている。それは株価である。この週刊朝日の記事によると現在の株価水準は12000円程度程度であるべきなのだそうだ。日銀と年金が株価を押し上げているのである。参議院の財政金融委員会の議事録などを読んでみたのだが、野党側の追求の歯切れが悪い。

安倍首相がこの政策を止めてしまうと株価が下がる可能性がある。バブルは大蔵省が加熱する土地の値段を抑制したことで崩壊した。株価バブルが弾けるとそれと同じかあるいはそれよりも悪いことが起きる可能性がある。話し合いにで他者との調整をすることが苦手な日本人は、絶対に上がるという土地を頼るようになった。これがなくなると日本人は何を信頼していいかわからなくなった。不安にかられた企業は内部に自己資金を溜め込む道を選び給与や投資として分配しなくなりこれが現在の恒常的な「デフレ状態」の原因になっている。

誰も表立っては言わないが、多くの経済人は「政府がバブルを起こしてくれないかな」と期待していた。これを成し遂げてくれたからこそ安倍政権は支持されているのだし、今後の政権はこれを引き継がざるをえない。

このため日銀出身の大塚代表はある程度以上は問題に踏み込まない。自分たちが政権を引き継いでも同じようなことをしなければならないからだ。またハイパーインフレを恐れているとされる藤巻議員も「ブレーキがないのではないか」という指摘はするが深くは追求しない。Twitterで藤巻さんは仮想通貨で資産フライトができると言っている。この人の狙いはハイパーインフレの回避ではなく仮想通貨のプロモーションにあるようだ。個人資産がベータテスト状態で何の保証もない仮想通貨に流れると言う危険性がある。政府与党の人ならばとてもこんなことは言えないであろう。維新は政党として政権を取るつもりがないのかもしれない。加計学園が野党に利用されているのは実害がないからなのだが、日銀の場合は嘘の暴露がそのまま経済の破綻につながる。だから野党は加計学園にこだわるのだ。

株価が下がり金融危機が起これば「野党が引き金を引いた」と見なされるだろう。一部では黒田総裁にも後継者がいないのではと言われているそうだ。すでに「職人芸」によって危ない綱渡りを始めている可能性があり誰も引き継げないということだ。

いずれにせよ、安倍政権はすでにポピュリズム的な政策に手を染めている。これを喧伝する必要がなかったのはすでに野田政権の「敵失」で政権を取っていたからだ。庶民がポピュリズムを帰厩しなくて済んでいるのは実は安倍政権がすでに手を染めているからなのである。

ただ、この政策がいつまでも続く保証はない。トルコではすでに通貨下落が起きているそうだが、民族資本が日本に比べると薄いという事情がある。日本は資産規模が大きいので問題が露見しにくい。逆に問題が起きた時には誰も救えなくなるだろう。

日本の政治を見ていると「GHQのような存在が仲裁してくれればいいのに」と思うことがあるのだが、ハイパーインフレシナリオではIMFがGHQの代わりをすることになるのかもしれない。しかし、破綻規模が大きすぎるのでIMFが破綻した経済を数年で戻すというようなことができないだろう。優れた人材が残れば復興は可能だが、その時になってみないと何が起こるかはわからない。

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お子様定食しか食べられなくなった国会の議論

6月25日に参議院で集中審議が行われた。見ても意味はないなと思いつつ見たのだがやっぱり意味はなかった。参加者から目の輝きが失われていて「ああ、本当にアディショナルタイムなんだな」と思った。

以前から書いているように日本の国会審議は民主主義をリチュアル(儀式)だとしかみなしていない。このため票を引き換えに集めてきた要望に勝手な意味をつけて「よかったね」といって送り出すのが自民党の大切な仕事になっている。自民党の議員は「成長」というキーワードを使って意味不明な意味づけをしており、それに安倍首相が意味不明な返しをしていた。中でも意味不明だったのがNHKスペシャルから取ってきたと思われるネアンデルタール人とホモサピエンスの違いだった。社会協力があるからホモサピエンスは生き残ったという内容なのだが、もともと「寿ぎ」のために無意味なことを言っているだけなのでなんでもよかったのだろう。

一方で野党も勉強を諦めている。Twitterで仕入れてきた情報を頼りに安倍政権を攻撃し、期待通りの答えが得られないといって子供のように怒っていた。もっとも典型的なのが福山哲郎議員と福島瑞穂議員である。最近はこの二人が出てきたら自動的に耳がオフになる。こちらも自民党と同じことをしている。ただし立場が違うのですべて「悪かったね」というキーワードになっている。つまり自民党は意味不明な寿ぎの歌を歌っているのだが野党は呪っている。

共産党に至ってはもうどうしようもなかった。アメリカの企業が日本のカジノ事業を独占するとみなした上で空想のお話を組み立てていた。ラスベガスやマカオを見たことがある人から見るととても異様な質疑に見えたのではないかと思う。それでも支持者たちは満足したようで、次の日のTwitterにはこの決めつけをコピペして叫ぶ人々の姿があった。

ただ、この辺りはまだ決まり切った議論であり安心して聞いていることができたのだが、時々「あれ?」と思うことがあった。最初に違和感を感じたのは確か立憲民主党だったと思うのだが女性議員の質問だった。ワイドショー的に出回っている事件についてのコメントを首相に求めていた。違和感を感じたのは安倍首相が「事前通告がない」ということで答えなかったからである。普段から世情に興味を持っていれば答えられた程度の内容だったと思うのだが、安倍首相はもはや世情には興味も関心もないということが感じられる。もしかしたら新聞すら読んでいないのかもしれない。この類の質問を積み重ねていれば、もっと早く安倍首相の異様さややる気のなさが浮かび上がっていたかもしれない。ちょっと惜しいことをしたのではないだろうか。

安倍首相はもう首相という仕事に興味は持っていないのではないかと思った。単に目の前に出された料理を食べるだけの人になっているのだ。支持母体からは決まったルートで「票を引き換えに」法案を通すように求められる。自民党はそれが自分たちの儲けになるということを確認した上で調整する。さらに官僚がフォーマットを整えて安倍首相がそれを公式見解として読むのである。上がってくる要望を原材料だとすると、自民党が下処理をして官僚が料理にしたものを並べて「さあ召し上がれ」となる。

「牛を見ても美味しいと思えない」ことが弊害になっているのが維新の党の藤巻議員との議論だった。主な話題はブロックチェーンと低金利政策である。ブロックチェーンと仮想通貨は新しい技術なのだが、安倍首相と麻生財務大臣は明らかに理解するつもりがなかったようで瞳からは輝きが消えていた。藤巻議員は一生懸命に新しい分野に取り組むことの重要性を訴えていたのだが、それは「新しい食材があるから料理して食べなくては」というような議論である。藤巻さんはこれを熱心にプレゼンしていた。だが、いくら熱心にプレゼンしても社長にやる気がなければどうしようもない。彼らの瞳の中にはもはや国を動かすという情熱は見られない。単に惰性的に地位にしがみついているだけだ。

ビジネスマンであれば藤巻議員の言っていることはよくわかったはずである。たとえば「中国が熱い」となったら、これはもう飛び込むしかないわけで、プレゼン上での結論や取るべきポジションは決まっている。だからブロックチェーンが熱いということになればもう行かなければならないわけである。そこでそれがどのように利益に結びつくかというビジネスモデルだけを学習し、リスクを折り込みながら戦略を考えてゆくということになる。だが、社長に「儲けよう」という気持ちがなければもう話は噛み合わない。首相と財務大臣には「もっと美味しく利権が得られる」見込みがあるのだろう。が、それは国全体の成長には繋がらない。

一方で藤巻議員の方にも問題はあった。日銀の政策が成長率と利子率を押し下げているということを言っているのだが「具体的に何が起こる」ということまでは予測できていないようで「今に大変なことが起こるかもしれない」というような議論になっていた。ビジネスマンであり学者ではないので、全体のフレームワークは管理できないのだろう。この質問について、官僚はもう考えること自体を放棄しており「これは財政ファイナンスではない」といういつも通りの答弁をしていた。この質問にはこの答えというスタンプ出てきていて右から左に処理をしている。

この国会を見ているとなぜ日本が成長できなくなったのかがよくわかる。疲れているのか飽きているのかはわからないのだが、もう自分で何かを取ってきて料理しようという意欲がないのだ。政治家には二世や三世が多いので仕方がないのかもしれないが、こうした人たちが選ばれているということは、有権者の側も意欲を失っているのかもしれないと思った。

今回の国会はお子様定食のようだと思った。与党は寄せ集めの料理に旗を立てて「うわーすごい」と言っている。野党の側はそれが面白くないのでケチャップライスの上にある日章旗を外して「こんなものくだらない」と言って騒ぐ。中を見てみると濃い味付けがされてあまり噛む必要がない料理ばかりが並べられているので、かみごたえのある料理などは見向きもされないのではないかと思うのだ。

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世界で民主主義は死につつあるのか

Twitterを見ているとよく「民主主義が死んだ」と叫んでいる人たちがいる。中には「何回殺すんだ」と呆れている人もいるし、また「冷笑していると民主主義は本当に死んでしまう」と主張する人たちもいる。

これまで観察した結果、日本で混乱しているは日本型の組織管理システムであり民主主義ではなかった。そもそも日本の西洋型の民主主義システムは未成熟だが、本音と建前を分離して管理するシステムがあった。これが機能不全を起こしており結果的に「民主主義が死んでいる」ように見えるのだろう。本音と建前を西洋流に言い換えると嘘と隠蔽と言えなくもないからである。

ただし、世界の民主主義がどうなっているのかについてはわからない点も多い。たまたまタイムラインに流れてきたイアン・ブレマーのチャンネルで取り扱われていたのでご紹介したい。なお「翻訳が違っている」という不満をお持ちの方もいらっしゃるかもしれない。YouTubeには(多分機械翻訳による)字幕がついているので、ポーズしたり巻き戻し(矢印キーで巻き戻しができる)見ながら視聴すれば英語でも比較的容易に読み解くことができると思う。ぜひご自身で確かめていただきたい。

このYouTubeは三部構成になっているのだが、二番目にスティーブン・レビツキー(日本ではスティーブン・レヴィツキーとして紹介されているようだ)というハーバード大学教授のインタビューがある。レビツキーは民主主義の終焉過程について本を出したばかりらしく、この他にも新聞に民主主義の死に関するエッセイを書いたりしているようだ。

いずれ日本でも翻訳されることになるのかもしれないが、日本については全く触れられていない。日本の民主主義が健全なレベルにあるからなのか、忘れ去られているからなのかはわからない。アメリカではトランプ政権が誕生する前後から「民主主義の死」が語られるようになった。確かにアメリカの民主主義は危機にあるが、教授によると「民主主義の死」と言えるようなレベルではないという。

教授によれば、民主主義が死ぬケースはそれほど多くないという。例えば最近の例ではベネズエラが独裁制に移行し民主主義が崩壊した。だがベネズエラは民主主義の歴史そのものがそれほど長くなかった。教授はホアン・リンツのフレームワークをもとに四つのリトマス試験紙を使って分析を行っており、トランプ政権は全てに当てはまっていると言っている。しかし、アメリカの政体は「独裁」と呼べるような領域には達していないという。

  • 民主主義のルールに疑問を投げかける
  • 野党やメディアの基本的人権に脅しをかける
  • 暴力を許容する
  • ライバルの合法性に疑問を挟む

YouTubeの中には出てこないのだが、日本では「民主主義のルール」は守られている。自民党が選挙に勝ち続けているからである。三番目の暴力がどのような現れ方をしているのかはわからないので安倍政権がこのチェックに合格しているかはわからない。

ただ、基本的人権の制限についてはかなりおおっぴらに議論されるようになった。また、ライバルの合法性に疑問を持つことはないが「結果的に失敗した」とことあるごとに喧伝しており、中にはデマを使って野党を貶めるようなことまで行われているようだ。いずれにせよ日本も、危機にはあるが民主主義が死ぬようなレベルには至っていないと言ってよさそうである。むしろ政権交代が常に意識されるようになり、その分与党が「なりふり構わなくなった」と考えたほうがよさそうだ。

教授は民主主義が軍隊やファシズムによって外から攻撃されるとは考えていない。むしろ民主主義的な過程を踏みながら内部から崩壊してしまう。だが、民主主義社会の側もやすやすと破壊されることはない。そのカギになるのが豊かさと民主主義の経験(YouTubeの中ではageと紹介されている)である。アメリカは豊かな国であり民主主義の歴史も長い。

日本は全体が貧しくなる中で取り残された中間層がポピュリズムを希求するようになった。ネトウヨと呼ばれているのがそれである。しかし、彼らが政党に先導されて選挙結果を左右するような状態にまではなっていない。今自民党政権を支えているのは仏教・神道系の宗教組織がもたらす組織票である。こうした過程をみると、民主主義が死につつある社会と共通する要因がある。YouTubeに戻って見てみよう。

ベネズエラではエリートへの反発が大衆を動かしてポピュリズム(YouTubeの中ではポピュリズムという言葉は使われていないが)が台頭し民主主義が崩壊した。その前段階には二大政党制があった。ベネズエラは1980年代から新自由主義的な政策が行われて庶民層の怒りを買っていたとされる。チャベス大統領はその反発を利用して大統領になり当初は絶大な信任を受けていた。だがその政策は石油に依存したいびつな経済に支えられており、石油産業が行き詰ったところで民主主義体制が崩壊してしまった。

教授が心配している国は3つあるという。それがブラジル、インド、南アフリカだ。ブラジルでは汚職が広がっておりエリート層への反発が出ている。インドや南アフリカは与党が強いのだがこれが権威主義に結びつく危険性が高いという。つまり、与党が失敗して急進的な野党が政権を引き継ぐことで民主主義が死ぬ場合と、与党が権威主義化して民主主義が死ぬ場合があるということになるだろう。

南アフリカの件はYouTubeの中では既知の事実として受け入れられているのだが、日本ではズマ大統領が辞任してからのニュースはほとんど流れてこない。南アフリカはアパルトヘイトを戦った政党に人気が高かった。投資が呼び込まれて経済が成長すると未成熟な民主主義でもなんとかやってゆくことができていたが、リーマンショック後に経済停滞が始まると汚職が表面化した。日経新聞によるとズマ大統領が去ったからといって経済状態がよくなったわけではなく、現在でも低成長が続いているという。これが独裁に移行するのではないかと心配されているようだ。

ブラジルではブラジルのトランプと呼ばれるボウソナロという下院議員が「台風の目」になっている。庶民層から支持されたルラ大統領は汚職で捕まった。混乱する政治状況下で過激な発言を繰り返すボウソナロ氏が台頭する様子を現地のニッケイ新聞が伝えている。

ルラ大統領が支持された様子は田中角栄に似ているかもしれない。中卒で今太閤と呼ばれた田中角栄は庶民層に人気が高かったのだが最終的には汚職により政界を追われることになった。この後自民党は「金権政治」懸念を払拭することはできず、細川政権によって最初の下野に追い込まれ、そのあとも自民党が単独で政権を得ることはなかった。自民党は当初は左派と組みやがて宗教政党に乗り換え、その過程で一部の議員が原理主義化した思想を自民党に持ち込んだ。その意味では日本はブラジルや南アフリカなどの経験をすでに済ませているということになる。

日本は西洋型の民主主義の歴史は長くないのだが、その前進に日本型の立憲政治を経験している。これが分厚い素地となって民主主義とは違った形で政体を安定させている。「本音と建前の分離管理」というのもそのうちの一つなのではないかと思う。だが、民主主義そのものの歴史は短いために説明責任やプロセスの透明化などという理念は理解されず、これが表に出ると「民主主義は死んだ」と大騒ぎになるのであろう。

日本では多くの人たちが自分を中流と考えており政治に頼ってエリート層を打ち負かしたいという感情はそれほど強くない。また、中流層がそのまま国全体で没落しており格差の拡大もそれほど大きくない。つまりエリートへの反発というルートから民主主義が壊れる危険性はそれほど高くなさそうである。つまり、日本は民主主義とは別の社会と統治のシステムがあり西洋型民主主義システムを補っていると言える。日本の中間層は正直に問題点を教えて欲しいとは考えておらず、上手に隠蔽して管理して欲しいと考えている。

ヨーロッパでもアメリカでも中道右派・中道左派と呼ばれる人たちはグローバリゼーション(自由貿易と移動の自由の確保)を支持しているという。しかしながら30%程度の人たちはこのグローバリゼーションには賛成していない。こうした人たちがトランプ政権などのポピュリズム(繰り返しになるがYouTubeの中では使われていない)の支持層になり民主主義を脅かす。日本は移民がおらず、自由貿易によって利益を享受している側なので移民に対する反発が広がりさえしなければこのルートから民主主義が崩壊することもなさそうである。

日本の民主主義はそれほどの危機にはない。だが民主主義の歴史の長いアメリカでさえ民主主義は常に崩壊するリスクを持っている。基本的人権がないがしろにされる時その危機は高まる。だが、問題になるのは一部のネトウヨと呼ばれる人たちではなく「政治的な意識をあまり持たない」人たちだがこうした感激思想に<感染>することだ。その意味では一部の不見識な議員やネトウヨの取り巻きたちの一挙手一投足に腹を立てて感情をすり減らすべきではない。このようなことは日常茶飯事で起きているが「もう疲れた」と一発逆転を狙った瞬間に瞬間に崩壊が始まるかもしれないからだ。

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すでに高プロ的働き方をしている小池都知事に学ぶ

本日は議論のための議論なので、ほとんどが仮説である。高プロ制度は日本を滅ぼすという答えをあらかじめ用意して論を展開する。だからこれに反対するのはとても簡単である。仮説を攻撃するのではなく「この制度によってインセンティブが増す」という事例を持って来れば良いのだ。

高度プロフェッショナル制度については、実証済みのデータで検証したいのだが、良し悪しについて考えることができるフレームもデータもない。厚生労働省は労働についてのガバナンスを放棄しており政策決定に必要な統計調査が行われていないからである。そこでまず「高度プロフェッショナル制度を導入すると成果が上がりやすくなり企業が成長する」という仮の題を置く。それだけでは心もとないので適当に検索して「成果主義が機能するための条件」を提示することにした。

「成果主義」が成功する要因を見て行こう。実は、英語に成果主義という言葉はない。かわりにあるのは「結果志向マネジメント」という言葉である。result  orientedとかresult drivenなどという。それは「結果を意識して動こう」というような意味である。試しに適当に検索して最初の記事を読んでみた。

  • 最終目標(=成果)を念頭に置く。これは成果主義の言い換えになっている。つまり常に結果にフォーカスして動こうという意味である。西洋文化なのでもともと対象物志向なのだが、それでもプロセス重視に陥りやすいということを意味している。
  • 過去の事例から学びそれを継承する。つまり、成果を上げるためには過去事例の蓄積が大切である。
  • 試行錯誤する。つまり失敗の可能性が織り込まれているが、最終目標にフォーカスしているので失敗ではなく試行錯誤だと解釈される。失敗を恐れていてはいけない。
  • 継続的な援助を惜しまない。成果主義をリードするのはマネージャーである。
  • 状況をモニターし調整する。成果主義をリードするのはマネージャーである。

次に、すでに「高プロ的な働き方をしている」人たちについて考える。まず結果を提示して契約を結ぶという意味では、都知事や府知事といった人たちは高プロ的働き方をしている。彼らには勤務時間という概念はない。彼らは地位に立候補して「このような成果を出せます」と宣言する。そしてそれを実行した上で次の選挙で再評価されるという仕組みである。

本来なら都知事は過去事例などに学びながら、目標を設定して、継続的に都の職員を「エンカレッジ」して結果にコミットすべきである。だが実際にはそうはなっていない。

彼らは長期的に地位にコミットしなくなる。代わりに華々しいプレゼンをしてそれが成功しているかのようにお芝居を始める人が多い。都民も継続的に都政を監視しているわけではないのでお芝居が成功しやすい。小池都知事を見ているとそのことがよくわかる。さらに政治も大切なので職場に寄り付かなくなる。支援者周りをしたりその他の政治活動に忙しく「細かい問題」にか待っていられないと感じるのだろう。石原都知事などはほとんど都庁に出勤しなかったそうだ。つまり、日本の高プロ社員たちは「評価だけ」を気にするようになってしまうのである。

諸条件の中に「試行錯誤」が出てきたが、都知事は問題が起こっても責任を取らない。あれは部下(あるいは他部門がやったこと)として逃げ回るようになる。周りの人たちも原因を真摯に反省して次回に生かしてほしいなどと鷹揚には考えず「すぐにやめろ」の大合唱である。

どういうわけなのかはわからないが「結果にコミットする」働き方は日本では失敗する可能性が高そうだ。そしてそれは労働時間ではなく「成果主義が機能しない」という点にありそうだ。日本で成果主義を導入すると花形プレイヤーのお芝居に変わってしまう。企業ではこれを「あの人は政治家だから」などと揶揄する場合がある。周辺はやる気をなくしチームワークが徐々に失われる。場合によっては自己保身の嘘が蔓延する場合もある。

では、これを拡大適応して一般社員たちに当てはめてみよう。高プロが適用されるということは二つのことを意味している。それは終身雇用が意味をなくし残業してもお金が儲けられないということである。二つの選択肢がある。終身雇用を諦めてより賃金の高い会社に移動するという方法がある。もう一つは高プロのような花形を諦める方法である。給料は低くても「働いただけお金をもらえる」方がよいからだ。おそらく二つのことは同時にしかもなし崩し的に起こるだろうと思われる。

もちろん過労死する人も増えるのだろうが、彼らは「仕事を断りきれず」「政治が得意な人たち」の犠牲になる人たちだ。つまり成果主義の人が過労死するわけではなく、成果主義の犠牲になって過労死する人が増えるのだろう。人間ピラミッドの上の方では高プロの人たちが歌舞伎を踊っており下の人たちがその振動を支えきれず潰れてしまうということで、これは現在の安倍政権で起きていることである。

日本で成果主義がうまく根付かないのはなぜかについてはよくわからないとしかいえない。一つにはそもそも「成果」や「役割分担」がうまく機能していないという問題がありそうだ。さらに仕事には「失敗」がつきものなのだが、これを学びと捉えることができなければ、失敗が絶対化してしまい成果主義は根付かないのである。

都政では児童相談所の問題は「失敗」と見なされた。そのため、言葉は穏やかながらもポインティングフィンガーが始まっている。日経新聞は都知事よりの姿勢を崩さずこれを公平に伝えなかった。足元の福祉関連部局には警察との情報提供に強い拒絶反応があるようで、調整を諦めているのだが、それを言葉には出さず「国がやっていただけたら従います」と言っている。何もやらないのならそれは「国の責任」だと言いたいのだろう。このやり方だと失敗したのは国になるので自分たちの失敗は防げる。これが高プロ的生き方である。

一方、東京都も児相の体制強化に乗り出した。小池百合子知事は13日に新宿区の都児童相談センターを急きょ視察。終了後に「全国どの児相も同じ問題を抱えていると思う。国で統一ルールを作っていただけたら」と述べ、都として厚生労働省に自治体間の情報共有の強化を求める「緊急要望」を提出した。

小池知事は15日の記者会見で「国の権限で制度を変更するなら、現場もそれに応じて変えていくのは当然のこと」と指摘。「国と連携しながら、各道府県とも情報共有の点なども含めてスピード感をもって進めていきたい」と強調した。

この分析は「悲観的すぎる」という人がいるかもしれない。分析が悲観的で間違っているから「聞く必要はない」というわけである。彼らが代わりに提示するべきなのは「残業代を減らしたら成果が上がるようになる」という事例である。例えば給与を高く設定するとインセンティブが維持できる。だがこれでは人件費が高騰する。逆に「インセンティブ」のツールを人件費削減に利用してしまうと「所詮サラリーマンにプロフェッショナル的な働き方はできない」となるだろう。

さらに日本独特の「集団に関する」くせができつつある。「成果があったあったら事後的に自分のもの」にして「不都合は部下に押し付ける」のが成果主義であるという「新しい理解」である。

他人を非難して地位を手に入れたり、成功の秘訣を後継者に教えないことで自分の成果がより際立つ仕組みになっている。さらに、役割分担が曖昧な上に成果だけでなく一時の結果によってなんとなく判断を下してしまうことで「最終目標を念頭に置く」ことが難しい。成功すれば「勝てば官軍」とばかりによろこび、失敗すれば指の差し合いが始まる。さらに、何が成果なのかを一部の人たちが勝手に決めるようになるとますます混乱が深まる。

高プロがどのように運用されるかによってその結果も異なったものになるだろう。日本の企業は「勝てなくなって」きており、かつてのような営業社員が花形ではなくなりつつある。代わりに伸長しているのはルールを決める経営側のスタッフたちである。かつてのお側用人のような人たちだ。彼らは制度設計ができる地位を利用して成果が自分たちのものになるようにルールブックを書き換えたり、都合の悪い情報を経営者にあげないことで成果を支配する。

お側用人が高プロの対象になれば企業の私物化が始まるだろう。彼らはルールを書き換えることで好きなように他人の成果を横取りすることができるようになる。仮にルールを決められないが外から収益を持ってくる営業社員が高プロ対象になれば彼らはルールメーカーを攻撃し始めるはずである。彼らは横取りされる側であり、かつ収益という「声」を持っている。一番悲惨なのはリベラルな人たちが心配するように「一般の声なき社員」たちが高プロに巻き込まれることだが、その場合は淡々と下を向いて何もしないことが生き残りの最善策になるのではないだろうか。

派遣労働が増えた時に「日本の企業は知的な経験を蓄積できなくなって衰退するだろうな」と感じたのだが、その通りのことが起きている。だが、それに気がついている人はそれほど多くないようである。多分、高プロについても同じようなことが起きるだろうが人々はそれに気がつかないかもしれない。

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今回の労働法制改革は正しいのか間違っているのか

先日、外国人労働について書いた。いろいろなシナリオを想定したのだがどれも説得力に欠ける。そもそも何が良い労働制度なのかがよくわからないからだ。よくわからないのに様々な改変が行われようとしており、すべての制度改革について根強い反対意見がある。

いろいろ考えたのだが自転車に例えてみることにした。経済は一人ひとりが自転車のベダルを漕ぐようなものである。漕いだ力はチェーンを通してタイヤに伝わり速度を上げて行く。速度が上がれば漕ぐのは楽になり、反対に登り坂に差し掛かればきつくなる。他にも、例えば車輪に摩擦が多かったり漕いでいる人が少なければ一部の人は疲れて漕ぐのをやめてしまうだろう。すると全体的に速度が落ちてやがて止まってしまうことになる。

自転車はスピードで計測するが、経済は成長率で計測する。自転車という経済が成長すると新しい生産設備を作るための資本と技能が蓄積されて優位性がます。逆にサボっていると中進国の中に埋没しいよいよ成長するのが難しくなる。

ミクロでは少し違った見え方をする。ある人は大学で勉強した後、会社に入って仕事を覚える。賃金の一部を学費に変えて勉強を続けてより良い仕事を見つける。また会社は新しい事業に参入して技能を蓄積する。さらに、キャリアを終わった人が自分たちの知恵を社会に還元する場合もある。社会人教育で学生に自分たちの技能を教えて行けばよい。うまくいっている経済ではこれらが連関しており速度が上がる仕組みになっている。

一人ひとりをプレイヤーとしてみた場合「社会貢献」とか「社会のために犠牲になる」などと考えなくてもよい。社会人が学校に通うのはより良い仕事を見つけるためだし、引退した社会人が学校で教えるのも年金の足しにするためなのかもしれない。一人ひとりの欲求が結果的に社会をよくするのが資本主義経済のもともとのあり方である。

ところがこのサイクルはうまく動いていない。そもそも忙しすぎる社会人は会社を離れて学校に行くようなことができない。学校を卒業している時点で学ぶ意欲を失っている(これは統計で確認できる)上に、ワークライフバランスが崩れていて学校に通うどころか過労死寸前で働かされる人もいるからである。さらに、賃金も残業を前提にしている上にそれすら減らされようとしている。さらに会社で成功した人は子会社に出向して何もしないで退職金を積み増して行くので、自分たちの知恵を社会に還元するインセンティブがない。

さて、経済という自転車がうまく進んでいるかどうかを確かめるためにはどうすればよいのだろうか。二つのやり方がある。一つは企業レベルでガバナンスを効かせることである。株主がしっかり監視していれば、内部留保が蓄積した場合に従業員に還元するか株主に還元するかを決めてくれればよい。とにかく経済にお金が戻れば回転はする。日本では株の持ち合いによってこれがうまく働いていないのではないかと思われる。もう一つは社会全体で統計をとって確かめるという方法がある。

以前、労働力に関する統計が間違っているということで国会が大騒ぎになったことがあった。「厚生労働省が嘘をついているようだ」ということが問題になったのだが、実際には「厚生労働省に労働実態を調査しようという意欲もスキルもない」ことの方が問題なのかもしれない。労働者は国の資産なのだが、それがどれくらい「効率的に」運営されているかを確かめる方法も意欲がないということになる。

例えば、国が高等教育に補助を出すかという問題がある。だが、これが良い政策なのかを判断するためには別パラメータについて検討する必要がある。高等教育にお金をかけても国内や地域内にに産業がなければ頭脳流出が起こる。かといって高等教育にお金をかけなければ単純労働者だけが蓄積して社会全体としてのスピードが上がらない。当たり前の話なのだが正しい統計とグランドプランがないと「何が良い政策なのか」決められないのである。

今回、外国人労働力について考えた時「賃金の流出が起こるのではないか」と書いた。だが、どの程度の労働を外国人に任せようとしているのかがよくわからない。メインの経済がしっかりしていれば補助経済に外国人を使うことはある程度正当化できる。メイン経済がうまく回っているアメリカの場合不法移民は少なくとも経済的にはある程度は許容されてきた。だが、日本の場合は誰がメインの経済を支えるのだろうか。それとも短期滞在者がメイン経済を支えるようになるのだろうか。

いろいろな議論はできるのだが、それが正しいかどうかわからない。そもそも新しい経済に即した統計がないからである。だから非正規労働や派遣会社が経済のどのような影響を与えているのかというコンセンサスもない。

派遣労働者を雇ったことがある人ならわかると思うのだが、実際の時給が1500円だったとしても、実際には2000円以上支払っているということがある。つまり9時間働けは4500円以上が派遣業者に支払われる計算になる。しかしながら、実際には派遣労働者の営業がそれほどの労働付加価値を持っているとは思えない上に、彼らは複数の派遣さんを担当している。強いて言えば派遣会社はオーバーヘッドを代替していることになる。派遣が広がっているのは実際のオーバーヘッドが派遣会社の実入りよりも大きいからなのだろう。工場の生産ラインを組み替える時に機械の入れ替えなどの調整が発生するがそれがオーバーヘッドだ。その意味では日本の経済はしょっちゅう機械の入れ替えをしているオーバーヘッド社会だということになる。

いずれにせよ派遣労働者は吸い取られた賃金の一部を生産設備(例えばパソコンの購入)や知的資産の獲得(学校に通って技能を磨く)などに充当することはできない。それでも頑張って資格を取ったが補助労働にしか就けないためにそれを活かせないという人もいるだろう。

もともとの図面がしっかりしていないところにいろいろな政策を立案し、効果測定されないうちにまた別の政策を立てる。そうこうしているうちに何が正しくて何が間違っているかがわからなくなる。労働法性について分析するとぶつかるのがこの問題である。

今、安倍首相の嘘が問題になっている。実際に嘘をついているのは周辺だろうという話もあるのだが、実はそもそもの統計がきちんと取られていないためにそれが嘘なのか本当なのかがわからないというのが問題なのかもしれない。

にもかかわらず安倍首相は「自分は正しい」と言い張っており、野党側は「首相は嘘をついている」と言っている。なぜこれに関わっている人たちが確定的な物言いができるのかがよくわからない。

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外国の労働力に頼るというのはどういうことなのか

日本政府が海外の単純労働力の受け入れの検討を始めたようだ。このニュースをみて、前に予想したことが起こりつつあるのだなと思った。

以前経営について考察している時、経営を刷新しない限り日本は成長が見込めず中国やインドと競合することになるのだと考えた。インドや中国などがキャッチアップしてきており製造業分野で日本と競合しているからだ。インドはまだ日本のライバルという段階にはないのだろうが、中国はすでに競合相手になっている。交易条件を揃えるためには人件費を抑えなければならないから、日本は中国の平均賃金に近づいて行くだろうと考えた。

だが、その時には日本では社会保障の費用が高いのでこれは無理だろうと考えていた。また移民受け入れは競争力の観点から高度技術者を優先させるべきだと考えていた。いったん高い生活水準を覚えた人に「これからはインド並でお願いします」というのも無理な話だからだ。だが、実際には海外からの短期労働者を受け入れることでこれを乗り切ろうとしているらしい。

短期移民の話をすると、たいてい「治安や同化」が問題になる。これについて言及している人は大勢おり付け加えることは特にない。一方で、日本がインドや中国並みになることについての分析はない。いくつか考えるべき問題がある。

政府は国のグランドプランを作れなくなっている

第一に政府は国のグランドプランを作れなくなっているようだ。今まで通りに先進国の一群としてやってゆくのか、競合の多いセカンドグループで競争するのかという議論は聞いたことがない。実際にベトナムからの移民はこのセカンドグループとの間で取り合いになっている。多民族状態になれた国では移民の受け入れに拒絶反応が少なく審査も簡単なのだそうだ。このため日本は移民獲得競争で不利な立場にある。

さらに、日本の高等教育を受けた労働者を使いこなせなくなっておりこちらの問題も手付かずである。自前でお金をかけて高等教育を受けた人たちを使わずにわざわざ競争率の高い分野に参入しつつあるのである。帝国データバンクの調査では「正社員が足りない」という企業が半数の50%近くあるという。これは労働の流動化が進まずに労働市場が形成されていないからだろう。これについても有効な対策はないようだ。そこに外国からの労働者を入れようとしているのである。

政府がグランドプランを作れない理由は幾つか考えられる。官僚を圧迫して嘘間でつかせているうえに、野党との協力関係も結べないので労働諸団体から有益なアイディアが上がってこない。国民は文句は言わないが黙って引きこもってしまうので問題も顕在化しない。そこで日本は人材資源を生かしきれない国になっているように思える。

資本主義は後退を想定していない

人材を生かしきれないことで、国の経済は伸びなくなっている。失敗して縮小しているわけではないのがせめてもの救いである。国の成長率は利子率に換算できる。つまり、成長しなくなった国や地域は外からお金を集めることができなくなってしまうということを意味している。東京の中心部はまだ伸びているようだが、それ以外の地域には新規投資は行われない。また東京の北部(新宿区から北区にかけて)では外国人に単純労働を頼る地域も生まれているようだ。こうした地域ではビルも道路網も生活インフラも更新できない。

これを防ぐためには地域(おそらく道州単位くらい)で中核産業を作るべきなのだが、中央集権制の強く、地方が中央に依存するマインドセットが固着した日本はこれができていない。スペインやイタリアといった先進国脱落組は地方自治の問題を抱えているが、日本ではこれすら起こらないま。東京はやがて地方を支えきれなくなるが、そのあとにどんな問題が起こるのかはよくわからない。

前進しなければやがて競争に負けてしまう

日本が現在モデルにしているのは中国であろう。中国は後背地域から大量の労働移民を受け入れているが都市への移住は認めない。このため都市は比較的安価に労働力を調達できる。地方への賃金による所得移転は起こるのかもしれないが、それでも同じ国の内部の話だ。日本には後背地域がないので、これを東南アジアなどで置き換えようとしているのだろう。

だが日本は明らかに中国よりも不利である。集まってくる人たちは外国の人たちなので、やがてその国の政府が異議を唱える可能性がある。労働者が日本に税金を収めて日本で支出すれば単なる労働力の収奪になる。しかし短期労働者はほとんどの所得を仕送りに回すかもしれない。すると賃金が海外に流出しているということになる。日本の企業はすでに国内投資はしない(これを内部留保金と言い換える政治家がいる)で海外投資に回すので、日本は実質的に資本流出を起こしていることになり、将来これが加速するということを意味する。

冒頭で述べたように、日本政府にはこうした中期的なビジョンを一切提示しておらず、場合たり的な大転換を起こそうとしている。つまりこれは出口のない戦略ということになる。

もちろんアクションを起こすことが悪いことだというつもりはないのだが、グランドプランのない変更は失敗した時に誰も責任を取らない可能性が高い。だが野党は批判するばかりでグランドプランを提示しろとは要求しない。

日本には同じようにして経済が行き詰った経験がある。それが第二次世界大戦だ。日本は苦し紛れに大陸に出て、最初はたまたま成功した。しかしそこで列強とぶつかったのである。だが、いったんコミットしてしまったアクションには責任者もグランドプランもなかったので、これを止められなくなってしまった。

短期労働者政策が成功すると結果的に労働力戦争が起こることになる。だが、そもそももっと魅力的な移民先はいくらでもあり、ローカルの市場が活性化して労働力が得られなくなる可能性も高い。つまり、戦争にすらならず敗戦してしまう可能性もある。

資本滞留と人材滞留

日本人が場当たり的でグランドプランが作れないのはどうしてだろうか。それは中央集権のように見えながら、その正体は小さな村落の共同体だからである。これがうまくいっている時には小さな村が集めてきた情報が中央に集約される。ところが村が孤立すると情報が中央に集まらなくなる。現在は省庁や地方自治体が情報を持っていてもそれが中央に上がって行かない。中央が嘘をつくように矯正してくる上に情報を都合よく解釈してしまうからである。

それでも中央は「アイディアを集めるように」と命令してくるので、地方や省庁は適当なプランをでっち上げるようになる。今でも地方創生というと様々なアイディアが上がってくるのだろうがどれも場当たり的な補助金目当てのありきたりのプランか、首相のお友達を優遇するための言い訳に過ぎなくなっている。

こうした状態で企業は政府も金融機関も信用しない。儲けは海外で投資されて国内に還流しなくなる。中央経済は外国での投資を原資にしており日本のインフラを使っていないので日本政府に納税するインセンティブも機会もない。ゆえに納税はない。すると日本政府は納税のある経済(つまりそれは低成長の地方経済だ)に依存することになる。経済活動がなくなれば地方にも政府にもお金は回らなくなる。こうして地方はますます病みおとろえて行くのである。

すると海外労働力に頼らざるをえなくなる。しかし、彼らは定住するわけではないので国内に投資しない。その一番大きなものが住宅だろう。こうして賃金が国内に流れることになり、衰退が加速するのである。

すでに影響が出ている

日本はすでに成長を諦めているので未来に対する投資にはお金が回らなくなっている。具体的には教育や子育てに対する投資はほぼ絶望的である。リベラル系の人たちは軍需産業をライバルと考えているようだが実際のライバルは低成長なのかもしれない。日経新聞はOECD加盟国のうちで日本の公的教育への支出は最下位(2014年当時)であると伝えている。すでに私的セクター(家庭)が重い投資負担を強いられている国なのだが、教育に支出したところでそれを生かす場がなければ投資が活用できない。このままでは地方はこの先高等教育から脱落することになるだろう。

前回の東京オリンピックは経済成長を世界に印象付けるとともに高度経済成長のためのインフラ整備に外国からの資金を呼び込むという効果があった。このため運用にお金をかけることに対してそれほどの問題は出なかった。しかし今回は低成長を前提としているので投資に対するリターンが見込めない。オリンピックそのものが投資の目的になっている。建設や広告といった「お友達」にはお金を回す必要があり、残った経費は人件費しかない。そこでボランティアを労働搾取して乗り切る方針のようだ。もはや国家的イベントすら開けなくなっているのである。ハフィントンポストによると宿泊費も交通費も出ないボランティアが数万人単位で必要とのことであり、実際には計画はすでに破綻している。彼らは10日以上フルタイムで働く必要があり、その期間には会社に勤務することも他の仕事をすることもできないのだ。NHKによるとそもそも東京では有料の労働力すら集まらなくなっており、外国人依存が出てきているそうである。

こうした状態を改善するためには、まずボロボロになっている末端から情報を集めてきて新しいグランドプランを作る必要があるのだろうが、安倍政権にはその実力はない。とはいえ、次の政権がそうした実力を兼ね備えているかどうかはわからず、野党はさらに当てにならない。

「国を愛して何が悪い」と叫んだ若い音楽家がいるそうだ。確かにその通りなのだが、サッカーに熱狂して御霊に祈りを捧げる軍国ごっこが愛国なのかと言われるとそうではないと思う。実際には地方からボロボロになってゆく予想ができるのだが、意外なことにこれに気をとめる人はあまり多くないように思える。

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米朝首脳会談の雑感

「歴史的」と称されたトランプ・キム対談から一夜明けた。いろいろなことがわかって面白かった。以下バラバラだが雑感を述べたい。

アメリカ人に「包括的」の意味を聞いたところ数人から「トランプ大統領は長文を覚えられないし理解もできないから」という答えが返ってきた。包括的というのは「いろいろ難しい」というような意味のようである。

G7と米朝会談の報道姿勢の違いを考えると、日本人は世界情勢は自分たちの手の届かないところで動いていると感じており、逆に自分たちの手に委ねられると困惑するか過小評価して無視したがることがわかる。ただ、これを悔しいとは思っておらず、「責任を取らなくて済む」と考えているのかもしれない。

G7のように「責任を取らされかねない」会議にはあまり関心が集まらなかったが、自分たちの手が届かないと感じると逆に追いかけたくなるようだ。各社ともシンガポールでの会議の様子を詳しく伝えた。とはいえ特に伝えることもないので「金正恩はシークレットブーツを履いているようだ」とか「ランチにタコが出たようである」などということを伝えるに止まった。NHKはニュースに北朝鮮の放送のような仰々しい効果音までつけていた。アメリカにとっては選挙キャンペーンの一環でありシンガポールにとっては観光プロモーションだった。日本人はこれを「歴史的会談」と捉えたのである。

そのあとは例によって憶測を記事にし始めた。トランプ大統領は米韓軍事演習を止めると言っているが、米軍や韓国側は「聞いていない」とのことである。防衛省には米軍に見捨てられるのではという不安があるようで、彼らが「真意を確かめる必要がある」などと言っている。が、真意を確かめに行けば「ではいくら払うんだ」ということになりかねない。

日本人は主体的な決定はとても嫌がるのだが、乗り遅れているとなると途端に焦りだす。


次に、安倍政権は自分たちの無力さを十分理解していることもわかった。現実の解釈を歪めることで心理的な無力感を軽減させようとしている。だがこれも責任を取らされることを恐れており無力感に依存しているだけなのかもしれない。どうせ何も決められないと考えてるほうが楽なのであろう。

ただこの態度はマスコミにも見られた。日本の重要問題は拉致であると言い続けたが、これは拉致よりも核といいきってしまうと「拉致被害者を見捨てている」と非難されかねないからだろう。かといって、拉致被害者が返ってくると考えている人はいない。とりあえず「そう言っておけば無難だ」という態度が見え隠れする。

都合の良い解釈によって現実から目を背ける傾向がある安倍首相は、G7で突発的に持ち上がった首脳同士の対立について行けなかった。決められないどころか議論に参加することもできなかったようである。彼にできるのはお膳立てされた席で決断力のあるリーダーのように振る舞うことだけであり、本当は責任を取らされることを誰よりも嫌っているようだ。だが、それを支えているのは「決めたくない日本人」なのかもしれない。反安倍人たちを除いて「リーダーシップがない」と非難する人はいなかった。

もし仮に海洋プラスティックの枠組みに入るとプラスティック製品が使えなくなる。アメリカのカフェの中にはプラスティックのストローの使用禁止を始めたところもあるのだが、安倍首相がこれを提案すれば国民からブーイングが出るはずで、何を勝手に決めているんだと言って怒るだろう。


さらにトランプ大統領については二つのことがわかった。トランプ大統領は韓国の駐留を単なる不必要な経費と考えており、日本を武器の貿易先と考えている。これは経営者としては当然の判断だと言えるが、アメリカの大統領は経営者ではない。細かなことには興味がないが、かといって部下の判断を尊重するようなこともない。単にその場でインスタ映えする瞬間を撮らせて選挙戦を有利にすることしか考えていない。

韓国との間の演習を中止すると宣言したようだが、事前の根回しをした様子はない。すでに情報戦が始まっており、軍の側は「今までの体制を維持する」と宣言している。しかし軍の反発は当然だ。演習を「挑発的な戦争ごっこ(war game)」呼ばわりしたからである。

記者会見での最初の方に「金正恩委員長を高く評価したがオットーワムビアさんのことを忘れたのか」という質問があったが、これにまともに答えず「ワームビアさんは特別だ」と意味不明のことを言い続けていた。さらに続く質問にも同様に答えており、記者たちにまともに対応するつもりもなさそうである。

米朝会議そのものにもあまり興味がなかったようで、その間にも地方選挙についてのエンドースメントや誰かの悪口をツイートし続けていた。軽度の興奮状態にあることは間違いがない。彼が長期的な視野を持たず「目の前の勝ち負け」に異常にこだわっていることを示している。この状態で根回しや橋渡しをしても何の意味もないし、分析そのものも無意味であると言える。

彼にとって世界は極めて単純だが、それに依存する人たちは振り回されることになる。だから、自分ではなにも決めたくない日本人との間の関係は最悪とも言える。

日本はこれに意味を持たせて自分の得点にしようとしている。すでに安倍首相がトランプ大統領とヨーロッパのリーダーの橋渡しをしたという幻想が語られており、コラ職人の創造意欲をかきたてたようである。これまでは安倍首相と周辺だけが嘘をついていたのだが、マスコミや国民も「アメリカが守ってくれているはず」という嘘の物語を求めることになるだろう。


アメリカが日本の防波堤になる時代は終わったが日本人はそのことを認めたくない。もう東アジアが共産圏になる脅威はなく、従ってアメリカ軍がこの地域に駐留する意味はない。

一方で日本は中国の大きさ(面積と人口)を恐れている。今までは、アメリカの後ろ盾があると感じることでかりそめの安心を得てきたのだが、これからは上手に付き合って行くか敵対するかを決めなければならない。アメリカが朝鮮半島の中国の管轄権(宗主権とか優先権とかどういう言い方をしてもいいのだが)を認めてしまうと、日本は独力で防衛を迫られることになるだろう。

今回トランプ大統領は日本と韓国が非核化の費用を負担すると言っているが、両国が躊躇すれば中国にチャンスが回ってくる。韓国は軍事的にアメリカを後ろ盾にしている国なので独力で経済圏を作ることは難しく日本とも協力ができない。もちろん日本は過去の歴史から北朝鮮を経済圏に組み込むことはできない。トランプ大統領にとっては自分たちがお金を出さないことさえ宣言してしまえばあとはどうでもよいことなのだろう。あとは「もう北朝鮮からミサイルが飛んでくることはない」と言い続ければ、国内の支持者を納得させることができる。

すると、日本は防衛費を諸外国並みに増やさなければならない。だいたい2%をちょっと上回るくらいが「相場」である。しかしながらこれをアメリカの関心をつなぎとめるためにも使いたいので、実際には役に立たない防衛装備品(素直に武器と言っても良いのだが)を買うための約束をしているようである。買い手が決まっている製品の品質保証に力を入れるほどアメリカはお人好しではないので、型落ちで部品が手に入れない戦闘機とか、構造上落ちる可能性が極めて高いヘリコプターなどを買わされる危険性がある。

野党は一枚岩ではなく、1%を超える防衛費も嫌だという人たちから、対馬まで中国の勢力圏が迫ってくるから大変なことになると主張する人まで意見がまとまりそうにない。

憲法第9条の問題を片付けなければならないわけだが、今の安倍首相の説得で憲法第9条の改憲を納得する国民はいないだろう。「他にいないから」という消極的な理由で支持されているに過ぎない上に、アンチ安倍人たちの反応はもはやアレルギーの域に達している。

決めたくない日本人の周囲で状況だけが動いており、日本人は後から大きな出費を迫られることになる。だが、実はこれこそが安倍政権の狙いなのかもしれない。状況に追いかけられて仕方なくやったといえば責任だけは取らなくて良いからだ。

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日本人はG7サミットの何に注目し、何に注目しなかったのか

G7サミットが終わったらしい。メディアのカバーがほとんどない代わりに盛況だったのはTwitter実況だった。成果を強調したかった安倍政権と反安倍人たちがそれぞれ盛り上がっていたのだが、気にしているのは「他人の評価」である。そして他人の評価を気にしすぎることで日本は国際的なプレゼンスを失いつつある。

安倍首相側は自分の参加によってG7の結束が強まったと強調するツイートを出した。この自慢ツイートが期せずして「安倍政権が全く会議の流れを把握していなかった」証拠になった。


この人の嘘は救い難いレベルに達している。実際にはトランプ大統領はその場から逃げ出すためだけに「安倍首相が良いと言った文言でいいよ」と主張したようである。安倍首相はそのことを理解しておらず表面上の対話だけを頼りに会議に参加していたことになる。

トランプ大統領はカナダを逃げ出したのだが、飛行機の中で自分が悪者になったのがよほど悔しかったのか、Twitterでカナダのトルドー首相を責め立て「首脳宣言を採択しないように指示を出した」とつぶやいた。ロイターはG7が共同宣言を出せなかったことを失望気味に伝えている。

すでにG7の役割は終わっているのだから合意に達することができなかったこと自体に驚きはない。すでに先進国だけで何かを決められる時代は終わっており、イアン・ブレマーはことあるごとに「現在はG0の時代である」と主張している。アメリカとヨーロッパの間の貿易に関する揉め事ももとはといえばトランプ大統領が支持者を慰めるための内向きな動機に基づいており、その視野に世界情勢に対する考慮もアメリカの国益もない。ただトランプ大統領のわがままを支持する人たちが一定数いる。これは安倍政権と同じ構造になっている。今や後ろ向きの「わがままにやって行きたい」という気持ちが民主主義を動かしているのである。

さらに、日本は「よくわからない」という理由で海洋プラスティックの問題についての合意にも参加しなかった。確かにこの問題についても英語のTwitterでは情報が流れてくるが、日本人が話題にしているのは見たことがない。事前に調整があったはずだから「よくわからない」というのはあまりにも酷すぎるように思えるが、もはや国際協調そのものには興味がないのだろう。

国際協調に興味がなくアメリカの顔色を恐れて何も言えない安倍政権は対話から逃げたのだろう。ところが日本のTwitterは面白い反応を見せた。ヨーロッパとカナダの首脳が集まって何かを話している席に日本が加われなかったのは「外されたのだ」という観測が出回った。中には安倍首相が英語ができないから参加できなかったとするものもあった。つまり反安倍の人たちもリーダーシップではなく「輪に加えてもらえない」という他人の目を意識した論調になっていた。

そもそもメディアは何も伝えなかった。昔から中身に興味はなく、首相が世界の一流の国のトップと仲良く写真を撮影している様子を流したいのが日本のテレビである。つまり、日本が先進国であるというのは「仲間に加えられている」からなのである。しかし、実績が全くないのでいつまでたっても先進国だという自信が持てなかった。今や世界の流れを決めるのは中国やロシアが加わった枠組みであり、対米追従を国是にしている日本はここから弾かれてしまうだろう。かといって、ヨーロッパにも仲間に加えてはもらえない。何がしたいのかさっぱりわからないからだ。

安倍首相にリーダーシップがなく、日本は何がしたいのかよくわからない。菅官房長官も安倍首相の説得にもかかわらず首脳宣言に加わらなかった(一度はOKを出したが数時間後に「ちゃぶ台をひっくり返した」)トランプ大統領への評価は控えると言った。その意味では政権の外交無策は国の害と言っても良いほどのレベルに達している。

しかし、それよりも気になったのは日本のテレビが当事者意識を失っており、G7サミットにそれほど関心を持たなかったということだ。日本のメディアは今シンガポールに熱い視線を注いでいる。誰もそうは言わないが、日本がアメリカに見捨てられないかということにのみ関心があるのだろう。

日本人は今までの国際的な地位を失うことを口にも出せないほど極端に恐れている。が、実際には国際的な地位を得るための努力は何もしないで、いつも誰かがなにかをしてくれることを期待している。一方で先進国のリーダーはそれぞれの足元の課題に加えて世界経済の維持に腐心しているので脱落しそうな国のリーダーに配慮をする余裕はないし、日本を先進国だとして持ち上げてやるような動機もない。このまま自分たちが何をやりたいのか決められないのなら日本はこうした協議の席から完全に外されるようになるだろう。

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ダウンタウンが高プロで働いたら使い潰されてしまうのか

多分軽い冗談のツイートだと思うのだが、ダウンタウンが高プロで働いたら使い潰されてリタイアしてしまうのではないかという指摘があった。そういう番組を作れば面白いのではというのである。そこで「吉本と契約を結ばないと芸能界で生きて行けなくなるんだぞ」という意味のコメントを被せたところ「よくわからない」と言われた。

ああこの辺りがよくわからないんだと思い少し驚いた。と同時にこのあたりが高プロの議論がいまひとつ厚みに欠ける理由なのだろうなと思った。

ダウンタウンは日本型「高プロ」ワーカー

最初に書いておくとダウンタウンは今でも「高プロ」的働き方をしている。ただ、その活動が集団に影響を与えることはあまりない。グループでの活動はあまりなくキャリアが個人に蓄積するスタイルだからである。吉本タレントは囲い込みを行っているがスキルやキャリアが個人に蓄積する状態ではこうした働き方(働かせ方)はうまく行くことがある。これが成り立つのは吉本興業に次から次へと新しいタレントが入ってくるので売れないタレントに執着する必要がないからである。終身雇用ではないので売れない人たちは外に出してしまえばよいのだ。また、吉本興業のタレントも一生タレントで生きて行けるという期待をしないので会社にしがみつくことはない。

ところが、キャリアが集団に蓄積するスタイルでは高プロはあまり意味をなさない。そこに労働者の囲い込みが発生するとそれは成長を阻害する方向で働く。吉本興業のような働き方があるのだから高プロもうまく行く可能性があるのだが、今の状態では単なる残業代ゼロ法案担ってしまう可能性が高い。これを整理すると次のような類型になる。

  • キャリアが個人に蓄積 X 囲い込みあり:吉本芸人
  • キャリアが集団に蓄積 X 囲い込みあり:日本のサラリーマン
  • キャリアが個人に蓄積 X 囲い込みなし:アメリカのホワイトカラー
  • キャリアが集団に蓄積 X 囲い込みなし:パートやアルバイト

日本型と書いたのは日本は労働者を囲い込むからである。

本来は残業代ゼロ法案ではなかったホワイトカラーエグゼンプション制度

経団連がホワイトカラーエグゼンプションを導入しようとしている理由は二つあると思う。一つはよく言われている人件費の抑制である。だが、もう一つは「従業員が企業に寄りかからず自律的に儲ける方法を見つけて欲しい」という経営者側の願望であろう。アメリカやヨーロッパ型のやる気のある企業を見ている人たちには切実な問題なのだろう。では、アメリカやヨーロッパには特に優秀な社員が多いのだろうか。

企業ごとの優秀な従業員の割合はどの企業でもあまり変わらないという研究があるそうだ。このWiredの記事を読むとアップルやグーグルのような会社はトッププレイヤーを集中的に配置することで生産性をわずかに上げているだけなのだそうだ。こうした経営の智恵が積み重なって大きな違いが生まれるのだが、日本ではむしろこうした人たちを生産性の上がらない部門に貼り付けて使い潰してしまうことがあるのかもしれない。

企業に入る前に疲弊する日本人

それに加えて日本人は学生の時代から「何のために勉強するのか」がわからずに知的好奇心を失ってゆくというような統計がある。学生時代に疲れ果ててしまうので知的能力は高いが知的好奇心が極めて低いとNewsWeekが伝えている。

内容がぎっしりつまった国定カリキュラム、生徒の興味・関心を度外視したつめこみ授業、テスト至上主義……。学習とは「外圧によって強制される苦行、嫌なことだ」と思い込まされる。これでは、自ら学ぼうという意欲を育て、それを成人後も継続させるのは困難だ。

学校卒業後にすでに新しい知識を学ぶ意欲を失っているので、やっとの思いで大企業に入ると企業が成長するのに必要なことを新しく学ぶようなことはない。もともと経営がうまくプロフェッショナル社員を使いこなせない上に、やる気を失った学生が入ってくる。このため日本ではポテンシャルはあるが疲れ果てて入ってきた社員と、現場で使い潰されるやる気のある社員で構成されているのかもしれない。

労働市場が流動化すれば適正な市場が形成される

ホワイトカラーエグゼンプション導入が健全に機能するためにはお互いの納得感が必要だ。つまり給与が気に入れば企業のプロジェクトにコミットしてもらえればよいし気に入らなければ企業と交渉するだけでなく転職すれば良い。サッカーの本田流にいうと「個」があればよいわけである。ある程度の労働移動があれば市場に適正価格が形成される可能性は高くなるだろう。サッカープレイヤーは集団を前提としているが、労働市場は国際化されており流動性も高い。

政府は今回の制度改正の対象になるのは高額所得者なので企業と対等に競争できると説明しているのだが、どうやったら適正価格の市場が作られるのかという説明はない。企業がトッププレイヤーを抱えこんでいる現状で適正市場が形成される望みはない。日本の経営者は賃金を出し渋るので、すでに高騰したスタープレイヤーの国際価格で競り負ける。中国に優秀な家電の技術者が流れるのは日本の賃金水準が低く押さえつけられているからだ。

労働市場の流動化を阻む甘えの構造

ではなぜ労働市場の流動化が起こらないのだろうか。もちろん合理的に説明することもできるだろうが、今回は日本人のメンタリティについて考えてみたい。

例えば芸能界で独立騒ぎが起こると、事務所側が「誰のおかげで大きくなれたのだ」などと感情的なもつれに発展することがある。芸名の使用権を盾に事務所に縛りつけようとすることもあるようだ。SMAPのようにジャニーズ事務所から出ると過去の楽曲が使えず名前も名乗れないというようなことになる。かつて「のん」は芸名が使えなくなり、最近では広瀬香美が事務所との間でトラブルを抱えている。この壁を乗り越えたのがモデルのローラである。現在は国際的な事務所に所属しておりインスタグラム経由で環境保全活動についての訴えも行っている。モデル業界は国際化が進んでいるのでこうしたことが起こる。どのように解決したのかはわからないが、日本のテレビやCMを今までの事務所で管轄することにしたのではないかと思うのだが、日本市場は縮小しているのでローラは日本での仕事を縮小してゆくのかもしれない。

スポーツの場合はさらに「女々しい」ことが起こる。栄監督が伊調馨選手に意地悪をしたのは「俺のおかげでメダルをとれたのに勝手に出て行った」からである。日大アメフト部の内田前監督も退部しようとする学生たちに「後輩の推薦枠を減らす」とか「就職できないようにしてやる」などと脅かしていた。このように日本のマネジメントはプレイヤーにしがみつき心理的に依存することがある。皮肉なことにサッカーや野球などすでに国際化した競技ではこうした問題が起きにくい。国際的なスタンダードにあわせた流動的な労働市場が形成されるからだ。

このような「身内しか信頼できないし、離れたら裏切りとみなす」という甘えの構造が知識の交流を難しくしている。労働者は特殊な環境で技能を蓄積せざるをえないし、企業は外からの新しい知識を仕入れることができない。このようにして企業はムラ化し、そのムラが相互に配慮しあうことでガラパゴス状態が生まれて、国際競争から取り残されてしまうのである。

日本の労働市場を支配するウエットな人間関係

この日本型のウエットな職場環境について分析しているブログ記事をBlogosで見つけた。少し長いが引用させていただく。ここではアメリカと同じアングロサクソン系のオーストラリアと日本を比較している。太字は原文のままである。ただし、このブログを最後まで読むと「日本は日本型のウエットな心情を大切にすべきだ」というようなことが書かれている。

まず、オーストラリア人だったら、仕事が多すぎて、年俸と見合わなくなったらさっさと辞めて転職してしまいます。年俸が高くなると、労働法で保護される度合いも少なくなって、会社都合で解雇されても不当解雇で訴える権利を失ってしまいます。その年俸額は労働法で規定されていて毎年変わります。社員の首を切るために、わざと賃上げをする雇用主もいるぐらいです。だから、社員の方も、常により条件の良い仕事を探していて、見つかればさっさと移ります。1年もすると、周囲の顔ぶれがガラッと変わっているなんてことも珍しくありません。

中略

20数年ぶりに日本に帰ってきて、びっくりしたことがあります。

20代や30代の若い人たちが、理不尽な労働環境下でやせ我慢して働いているのです。どうやら、長く続いた就職氷河期の影響らしい。彼らは耐えるだけで、雇用主と交渉する気力も能力もありません。なんだか日本が貧しい国に見えてしまいました。

副業による棲みわけ

「日本型はウエットだ」と書いたのだが、吉本の場合はこの辺りが少しドライである。背景には働き方の多様化がある。個人事業を認めて活動外収入を許すというようなやり方をすることが多いように思える。吉本興業はもともと劇場経営から出発しているので「劇場が抑えている時間以外には何をしてもらっても構わない」という方針が取れるのだろう。面白いことに日本にはこうした働かせ方がかつてあったということだ。朝ドラで有名になったように、吉本興業は大正時代のやり方を一部温存している。今でも明示的な契約文書がないそうだ。東スポは明石家さんまについてこう書いている。

明石家さんま(61)も吉本興業と契約を交わしていないとか。「今、吉本にいるだけでもちろん契約もしてないし、だから、正確に言うと吉本から仕事を頂いているっていうバージョンになるんですね」と語っており、実際、自分の事務所を別に構えている。

またデイリースポーツによると浜田さんは司会の仕事でスタジオに入ってくる時にかなり怖い顔をしているそうだ。彼らは個人に業績をつけて行くので、多様化してやって行くと決めればそれほどテレビに拘る必要はないし、逆にテレビで生きてゆくと決めたら一つひとつのプロジェクトに気が抜けない。自己最良の結果なので、大変なのだろうが「使い潰されにくい」のではないかと考えられる。

俳優・寺島進(54)が1日放送のフジテレビ系「ダウンタウンなう」(金曜、午後9・55)に出演。ダウンタウン・浜田雅功がスタジオ入りする時に「般若」のような顔をして入ってくると暴露した。

タレントの中には資格を取ってそれを仕事につなげるような人がいる。アメリカでは同じように社会人になって学校に通い資格や技能を取ってから転職活動をすることがある。その意味ではイメージではなく技能で売っているタレントはアングロサクソン型に近い働き方をしていると言える。

そもそも集団に依存する傾向にある日本の正社員

一方、日本正社員にはそのような緊張感はない。彼らは組織に守られている上に、期待される役割も曖昧だ。日本の正社員で「自分は何かの専門家だ」と言い切れる人はそれほど多くないのではないだろう。さらに、日本の企業は個人を信用しないので個人に情報を与えない。パテントなども集団に帰属させているはずだ。彼らが信頼するのは「集団として長く活動してきた」という実績なのでよそ者である高度プロフェッショナルを仲間に入れたがらない。だから、個人はやがて集団に依存するようになる。

いずれにせよ、高プロ制度について立体的な議論が起こらないのは日本人が限定的な労働環境についての理解しか持っていないからではないかと思った。アングロサクソン型のドライな労働慣行も知らないし、フリーランスが成功しているタレントのような業態も一般的ではない。加えてメンタリティの問題があり「ドライな」環境に対して拒否反応がある。

もちろん日本型のウエットな労働市場にも良いところがあるのだが、現在の状態を見ていると陰湿ないじめが横行したり、非正規職員を排除したりとあまり良くない面の方が強調されているように思える。タレントの働き方を見ているとわかるように日本でもドライな働き方ができないわけではないのだから、根本から議論をやり直すべきなのではないかと思える。

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スペインの政権交代

今回はスペインについて勉強したのでご報告したい。ヨーロッパの比例代表制の失敗は日本の政治について考えるときの参考になるだろう。ついでに、Twitterで出会った「リフレさん」についても考える。


イタリアでようやく内閣が成立したと思ったら今度はスペインで政権交代が起きた。ラホイ首相が不信任されて社会労働党のサンチェス党首が首相になった。Twitter上では「あるべきことが行われている」という賞賛論が目立つ。フォローしている人に反安倍派が多いからだと思う。だが汚職の可能性がささやかれてから実際に政権交代が起こるまで6年以上もかかっている。とても「民主主義が機能している」と手放しで賞賛できる状態でもなさそうである。

このニュースをみて「なぜ、与党から造反者が出たのだろうか」と思った。実際には与党から造反者が出たわけではないようだ。スペインは二大政党制ということになっているがどちらも議会では過半数を持っていない。このため、一部の政党がラホイからサンチェスに乗り換えることで政権交代が実現したのである。このような状態になるということは、スペインは比例代表なのだろうなと思った。調べてみるとやはり県単位の比例代表制度のようだ。このため少数政党が乱立しやすいのだろう。

ラホイ首相には2013年から汚職の疑惑があった。時事通信によると、ラホイ首相は罪を免れたようだが与党国民党の幹部29名に汚職で有罪判決が出た。これが決定打となり議会の信頼を失ったということだ。日本で例えると汚職容疑がある安倍首相は立件できず、お友達が摘発されたような状態である。とはいえ、サンチェス新首相(ハンサムなリベラルの党首ということで日本には該当する人がいない)が国民から支持されているわけではない。政権交代前の野党は「すぐに選挙をやる」と言っていたのが、最近では国を落ち着けてから選挙をやると言っている。選挙があっても不安定な状態が改善されるわけではないので、

政権交代が起こる裏には「今の政治にうんざりだ」という市民の声がある。これは安倍政権のデタラメに怒っている人たちが政権交代を熱望するのと同じ構造だ。その意味では立憲民主党や自由党の潜在的支持層に似ている。ただ、こうした人たちは具体的な組織を持たないので野党側が頼るのが「バラマキ」である。

ここでEUが邪魔になる。EUはユーロの混乱を恐れて加盟国の政府に厳しい緊縮を要求する傾向にある。イタリアではこれが反発されてポピュリズムの台頭を招いたのだが、スペインでも同じことが起きている。ただし、スペインの方がまだ「マシ」な状態にあるという。ポピュリズムの度合いはイタリアほど高くないようである。だが、イタリアと同じように反ユーロ・反EUが加速する可能性はあり、この場合も世界経済全体の混乱につながるだろう。

日本の自民党は、与党有利に作られた小選挙区制のためにそれほどあからさまなポピュリズムに走る必要はない。加えてEUのような監視組織もないので放漫財政(反発する人は多いだろうが実際には税収の不足を国債で補っており財政健全化も先延ばしにし続けている)によってかろうじて国を支えている。それでも、やはり特区や労働法制度を悪用した企業へのあからさまな利益供与によって支持者たちを繋ぎとめておく必要がある。小選挙区による「下駄」がなくなってしまえば、かなりなりふり構わないことをして政権を維持しなければならなくなるだろう。

よく、日本のTwitter政治評をみていて「このバラバラな人たちでも、政権を取ったら政策を立案するためにまとまるようになるんだろうか」と思うのだが、実際には頑張って国をよくしようという機運は生まれずさらにポピュリズムが蔓延するようになるのかもしれないなどと思う。


さて、これについて書いている時にTwitterで「国債を発行して不良債権を全て吸い取ってしまえばよいという典型的なリフレの人に遭遇した。タイムラインを見ていると本格的なリフレ派信者のようなので、真っ向から反論する気にはなれなかった。

この人の言っていることの何がおかしいのだろうかと考えた。そこで思いついたのは、不良債権を国債で救済しても、システム的な欠陥や構造が修正されない限り何度でも同じことがおこるだろうという点だった。不自然にシステムをゆがめているのだからある時点でなんらかの揺り戻しがきて「大変なことになる」のではないかと思うのである。ただ、この見込みの元になっているのは「経済全体は誰にも把握できないが、とりあえず現行の制度が正しく運営されていればおのずとうまくゆくのだ」という根拠のない思い込みである。

最初は不良債権を水のように考えていた。つまりポンプで不良債権という水を吸い取っても次から次へと水が溢れてくればタンクはいっぱいになるだろうと思ったのである。

ところが考えているうちに流れが逆なのだなと気がついた。つまり雨が降っても地面に吸い込まれてしまい地表が砂漠化してしまう。国家の信用という水を無限に生み出せるとしたら「国債の無限発行(構造が変わらないので周期的な変化は起きないから理論的には無限に信用を供給しなければならない)」はそれなりに説得力がある。

実際にスペインとイタリアでは信用の砂漠化が起きている。特にスペインは住宅ローンの問題が解消しておらず、多分イタリアも似たような状態にあるのだろう。2009年のリーマンショックの影響から抜け切れていないのだ。日本の場合も停滞の直接の原因は土地の資産価値の崩壊なので、状況としてはスペインやイタリアに似ている。

しかし、ここで幾つかの疑問が浮かぶ。まず、国家が無限に水が供給できるのかという問題がある。ただし、これは砂漠化が起きており水が吸い取られていると考えるならばそれほど大きな問題にならない。供給側は無限でも実際に回る水の量は一定なので、理論的には壊滅的なインフレが起こらないからだ。

この場合は国債を「国の借金」と呼ぶのはやめた方が良いだろう。信用の無限供給であり返済の見込みはないからだ。

もう一つの問題は本当に砂漠化しているのかという点である。水を無限に供給して行けばやがては吸い取っていた何かが水を吸収できなくなる。するとそれが実体経済に逆流してくる可能性があることになる。それがどれだけの畜水能力を持っているのかは誰も知らないし、システムとして完結しているのかもわからない。

資本主義はシステムが稼働すればするほど中央に信用が積み上がってゆくシステムになっている。周辺は物資(エネルギー・地下資源・農産物)を供給してそれを支えてゆくという仕組みだ。ピケティの論に従えば、スペインにしろイタリアにしろ庶民の労働の対価は労働は中央に集まり蓄積して戻ってこない。資本が資本を増やす方が効率が高いからである。農産物は無限に供給できるが、供給する物資を持たない庶民はやがて飢えて死ぬことになる。

しかし中央に何があるのかを可視化できないので、人々はそれを見えるものに置き換えて議論するようである。スペインやイタリアの場合はそれがEUになっている。つまりドイツが吸い上げているのだろうという疑惑である。一方アメリカでも同じように格差が拡大しているのだが、こちらは1%を中国や日本に置き換えている。最近ではヨーロッパとカナダも標的にされているようで世界各国からアメリカに対する非難が集まりつつある。

古くからこれを解消してきたのは戦争である。戦争が起こると生産設備が<平等>に破壊されて格差が是正される。だが、庶民も同じく被害を受けるので「今すぐ戦争を起こすべきだ」とは思わない。つまり、戦争をやめるということは同時に戦争の経済的なリセット機能の代替装置を政治的に構築する必要があるということになるだろう。

ここで日本についても論じたくなってしまうのだが、長くなる上にそれほどの裏打ちが提供できない。一つだけ言えるのは安倍政権は砂漠化の要因になっているということだ。法人税を減税すると国内市場で蓄積された信用は企業内部にとどまるか海外の市場(債権や企業買収)に逃避することになる。だが、日本の場合はこの影響が20年程度遅れることが予想される。高度経済成長期の恩恵を蓄積した60歳が数十年かけてゆっくりと信用を放出するからだ。この猶予があるうちになんらかの有効な対策を打てはスペインやイタリアのような状態には陥らずに済むだろう。

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