かみ合わない議論が経営コンサルを殺す

今朝労働規制について書いたので行きがかり上仕方がなく国会中継を見ていた。現在、田村智子さんという共産党の議員さんが塩崎厚生労働大臣とかみ合わない議論を繰り広げている最中だ。これを聞いていて「ああ、これは経営コンサルが死ぬなあ」と思った。
田村さんは裁量労働制が適応される人の例としてIBMの企業常駐SEや電通の高橋まつりさんを挙げている。一方、塩崎さんが例に挙げているのが「外のお客さんに経営指南をする」人だ。どちらも「コンサル」には違いがないわけだが、塩崎さんが念頭においているのはコンサルティングファームで高給を取っている経営コンサルなのだということがわかる。
田村さんを説得するのは無理そうだ。多分、自分たちに近い労働組合の事例を念頭において(IBMの労組が共産党系なのかもしれないなあと思った)しまっている。強い信念と思い込みがある上に「自分の方が現場を知っている」と考えているのだろう。こういう人は覆せない。
確かに塩崎さんは裁量労働制の導入意図について理解しているのだろう。外資系コンサルファームはたぶん高収益産業なのだが、日本の硬直的な給与制度のもとに優秀な人材を雇うことはできない。労働法制を変えればこうした産業が日本に入りやすくなるのかもしれない。
だが、実際にドメスティック系の経営コンサルと働いたことがある人なら、実際に彼らが何をしているか知っているだろう。彼らは経営者が納得するような絵を描くのが主なお仕事である。金曜日に出た経営者の気まぐれに基づいて月曜日の早朝までに資料を作るのである。こうした資料のことを「ポンチ絵」といっている。つまりマンガである。
外資系の企業は、経営コンサルが持っている「成功事例」に基づいて経営を変える。経営者の権限がしっかりしており改革が断行できるからだ。だから外資系の経営コンサルは「自分の時間割」で裁量的な労働ができる。しかし、日本人経営者は会議に会議を重ねる。あまり責任を取りたくないし、自分たちが今やっていることを変えたくないからである。それにあった資料を作るのが日本の経営コンサルだ。つまりベクトルが異なっている。
このベクトルの違いはIT産業で働いている人ならよく知っているだろう。外資の会社はシステムに合わせて業務を変えるのでシステム改変が簡単に済むが、日本は業務にあわせてシステム開発をしている。だからSEが過労死するまで働き、客先も成功事例も導入できない。みずほ銀行のようにいつまでたってもシステムが完成しない企業すらある。同じようなことが経営コンサル業界でも起きている。まじめな彼らは徹夜してでも資料を作るのだが、経営者が理解できるかどうかわからない。
つまり、労働法制の問題は実は法整備の問題なのではなく、日本の労働慣行の問題だということになる。つまり、外資系コンサルやITベンダーがこのようにリスクの高い国にエース級の人材を投入するとは思えない。にもかかわらずアメリカ型の労働法制を適応してしまうと、死者が増える可能性すらある。
結局誰も優秀で根性のある労働者を助けてくれないのだ。この文章は30分ほどで書いたのだが、田村さんは「労働者のために」熱弁を振るい続けていいる。とても熱心で情熱的なのだが、この情熱は空回りしているようだ。とはいえ政府側が正しいということを意味しない。結局、犠牲になるのはまじめで優秀な人たちなのである。

豊洲移転問題の識者達は全員大学からやり直せ!

東京スポーツWebを見て、おじさんわかっちゃったよ!と思った。次の瞬間これまでウンウン悩んだのはどうしてなのかと思い、そして腹が立った。どいつもこいつも大学からやり直すべきだとすら思った。

と、意気込んで書いたのだが、その後数時間経って「過去の調査費用が高すぎる」とか、専門家委員会がちゃんと検査したかどうか評価し直すという話が流れてきた。科学が理解できていないというだけでなく計測すらまともにできない人たちだったみたいである。

「豊洲の土地が汚染されている」といったとき、我々素人が考えるのは「きれいな土地と汚い土地」があって、その検査値はいつも変わらないという世界だ。きれいな土地からは有毒物質は出ないし、汚い土地からは有毒物質が出る。ゆえに、検査値がまちまちということは「誰かが隠蔽していた」か「検査方法が間違っていた」ということになる。
ところが、実際には地下水処理の仕組みが働いている。つまり、豊洲は動的に動いていることになる。もちろんそれ以外にも雨が降ったなどという環境の変化もあるだろう。これまでの調査ではこの処理システムがどう動いていたか、どれくらいの影響があったのかということは全く問題にされていない。が、よく考えてみると「条件が同じでないのなら結果がちがっていて当たり前」である。
小池都知事はこのことがわかっていない可能性がある。検査機関を複数にしてやり直すと言っているからだ。これは検査機関が「エラー」を起こす可能性は排除していないが、環境が変わること想定していないということになる。もし観測対象が動的に変化している可能性がわかっていれば、複数の人から話しを聞いていたはずだ。環境が違うのだから安全数値がでても、過去の測定が間違っていた証明にはならないのだ。
これがどれくらい馬鹿げているかということを簡単な例で説明しよう。昨日と今日で外の温度が変わっているが、それは温度計が壊れているか誰かが嘘をついているのではないかと疑っているような状態だ。実際には雲とか地球の傾きなどが複雑なふるまいをした結果温度が変わっているだけなのだ。つまり、昨日20度あったからといって、今日が9度しかないということを否定することはできない。
しかし「温度が10度以下だとお外に出てはいけませんよ」と言っているので、気温が10度を下回ると「本当は10.1度あったのではないか」とか「外に出てはいけない基準は半ズボンのときだから長ズボンを履いてはどうか」などと言い争っていることになる。別の人は「みんな10度ルールを守っているのだから、それが違うなどと言い出すのは人の道に反する」と叫んでいる。
じゃあ、安全に管理できるなら豊洲に移転してもいいんじゃないかという声が出てきそうだが、そうではあるまい。リスクがある土地に移転した場合、そのリスクを管理し続ける必要がある。だが、都のリスク管理能力はほぼゼロに近く、モニタリングすらまともにできない。
多分モニタリングするチームと地下水処理のシステムを動かすところなどが別のセクションにありお互いに調整しないままに事業が進んでいるのではないだろうか。都はプロジェクト管理能力がないのだから、豊洲移転などもってのほかだということになるだろう。
なぜ都が当事者能力を持っていないのかはわからない。日本の大学教育がぶっ壊れているか、集団になるととたんに無能化するのだろう。
 

現在のファッション雑誌を見ても今の流行はわからない

常々このブログでは「ファッションがわからない」と書いている。最近、数冊のファッション雑誌を古本屋で手に入れて電子的に切り取ったりして勉強をしていた。数ヶ月かけて数冊を読むのだ。そうしているうちに「過去のファッション雑誌ってどうだったんだろうか」と思いはじめた。
過去のファッション雑誌を見つけるのは意外と難しい。古本屋は増えているのだが、チェーン店は過去1年分くらいの雑誌しか扱っていない。それ以前のものは廃棄するかそもそも買い取っていないのだろう。一方、町の古本屋は淘汰されつつある。だから、オークションで落とすか国会図書館にでも行かないかぎり、数年さかのぼることすらできない。ネットにファッション雑誌をアップすることは「いけないこと」とされているのでネットにも残らない。そのまま忘れ去られてしまうような状態になっている。
公立図書館では2013年4月までのMen’s NON-NOなどが見つかった。2013年4月号は色の特集をやっている。これは現在のファッション雑誌にはない特集だ。つまり、ここ数年で色が消えて形の方に力点が映っていることがわかる。赤いパンツなどが採用されている。つまり「逸脱が許容される」のが流行なのだが、その逸脱が移り変わっているのである。
日本のファッションカラー100 ―流行色とファッショントレンド 1945-2013によると、多色展開をインダストリアルデザインに持ち込んだのはアップルらしい。iMacで「ボンダイブルー」などと聞くと懐かしく思い出す人もいるのではないだろうか。ファッションに持ち込んだのはユニクロで「フリース」の登場が1998年ごろで、藤原紀香がユニクロのカラーチノのモデルになったのは2009年だそうだ。
多色展開が流行しなかったのかそれとも廃れてしまったのかはわからない。少ないアイテムで着まわししようとするとどうしてもベーシックカラーばかりになってしまう。結局、ユーザーが付いてこなかったのかもしれない。
今、カラーチノを履いていても別に流行遅れだとは思われないだろう。きれいに履けば「おしゃれな人だなあ」と思ってもらえるかもしれない。つまり、色は流行として古びるわけではなく「新しさ」の記号としての意味が失われているというだけなのである。
当時みんながカラーアイテムを着ていたということはない。あくまでもMen’s NON-NO界隈(東京のおしゃれコミュニティ)の人たちの流行に過ぎない。裏にはファッションコミュニティのキャンペーンがあるものと思われる。
現在Men’s NON-NOが推しているのは太パンだが、これを着ていたとしても「お洋服屋さんで働いているんですか」と言われるくらいで、特にオシャレとみなされるわけではないだろう。実際には定番のジャケット(今はMA-1と長めのコートが主流だとされているらしい)が流行している。着回ししやすいからだろう。「おしゃれ」と「流行」は全く別の概念なのだ。
「やってはいけない」逸脱もある。例えばダメージジーンズや黒づくめのロックテイストなどはやめたほうがいい。これは「田舎の不良」くらいにしか思ってもらえない。鋲がついた革ジャンなどもダメである。最近では不良でも「きれいめ」にジャケットを着るのがよいとされているからだ。逆にファッションコミュニティが太いパンツを履いているのだから、昭和とは構図が逆転している。
おしゃれ服はファッションコミュニティの制服のようなものなのかもしれない。ファッションコミュニティでは数年ごとに制服が変わってしまうのだ。
いずれにせよ、現在のファション雑誌だけを見ても今の流行はわからない。過去を眺めて初めて「今はこれがおしゃれではない」ということがわかる。しかしその記憶は残っておらず、これが現在の流行をわかりにくくしているのかもしれない。

病気の犬が教えてくれていること

帰ってきたら洗濯物が風で飛ばされそうになっていた。「仕方ないなあ、誰も気がつかなかったのか」などと思っていたら、家族が叫んでいる声がした。数時間前までなんともなかった犬が庭でぶっ倒れていたそうだ。犬は時々うめき声を上げている。
日曜日なので開いている動物病院がないらしかったが、電話帳を片っ端から当たって見てくれる病院を見つけたみたいだ。
よく犬を飼うなら最後まで面倒をみるべきだなどというが、軽々に言うべきではないなと思った。どんなに可愛かった犬も人間より先に老いてしまう。予兆はあって、足が悪くなってお散歩に行けないということもあったし、後ろ足も震えるようになっていた。「いつかはお別れがくるんだろうなあ」とは思っていたのだが、いきなりぶっ倒れるというのは初めてだった。
とはいえ、洗濯物も畳まなければならないし、日常生活は続いてゆく。待っている間なにもやることがないので、Twitterをながめていた。今日はまた誰かが過去の記事を見つけたらしく、やたらと通知が送られてくるのである。画面には政府の無策を罵るツイートが溢れている。目の前のいつかは潰えてゆく命について考えながら、ある意味、普段通りの世界がそこにはあった。
それは、これまでどおりの不愉快で理不尽な現実が未来永劫続くのではないかという怒りなんだろう。だが「今という瞬間がかなり奇跡的な状態である」ということが瞬時に伝われば、こうした不満は消えて無くなるかもしれないと思った。「不愉快な今」は実は奇跡的な偶然だ。いつまでもは続かない。
もし、それが実感できれば、不満の種そのものはなくならないにしても、少しでもマシな状態に近づくためにどうすればいいかということを一人ひとりが考え始めるのかもしれないとも思った。でも、そういう感情を伝える手段はないし、もしかしたらTwitterの向こうの人たちも大なり小なり「自分の力ではどうしようもない」ことを抱えているのに、こちら側が気がついていないだけかもしれない。
星占いを見ながら「今日は何か悪いことをしたのかな」と思った。だけど、よく考えてくるとそれは誰にでもやって来ることであり、取り立てて運が悪ったわけでも、何かの報いでもない。だから、今知り得る情報の中で、誰が正しくて誰が正しくないかなんて、本当に些細でどうでもいいことなのではないだろうか。
犬は呆然とした様子で戻ってきた。検査の結果、特に悪いところは見つからなかったという。はっきりと「病気だ」とわかれば人間は安心できるが、犬には意味がないことかもしれない。さっきから、どこかここではないところを見ている。過去や未来について思い煩うことはない。犬には現在しか存在しないからだ。しばらくはこうした状態が続くんだろうなあと思った。

あなたの周りにいるトランプさんと付き合う方法

トランプ大統領が誕生した。橋下徹弁護士がいう「プライドの高いインテリ」であるところのマスコミは未だに納得できないようだ。意外とわかりやすい人だなあと思うので、トランプ大統領にはあまり興味がないのだが、身近にトランプみたいな人がいたらどうすればいいのだろうということを考えると意外と面白かった。
「トランプさん」はこんな人である。

  • 全てが競走であり、競走には勝たなければならない
  • 私たちか敵かという二項対立

トランプさんの世界には競走しかないので、トランプさんに敵だとみなされないようにしなければならないのだが、さらに危険なのは「なんとか抱き込める」と考えることだ。例えばトランプさんにアドバイスしたとしよう。するとトランプさんは「俺のほうがいいアイディアを持っている」と主張するだろう。そもそも、あなたのアドバイスを理解できないかもしれない。
ここがトランプさん理解の肝だ。
相手のアドバイスを理解するためには、まず相手が何を考えているかを理解しなければならない。相手には相手の世界があり、考え方の道筋があるからだ。普通の人はこれを自動的に行う。このパスを「共感」と言っている。ところがトランプさんはこれがわからない。逆に「共感の回路が壊れている」と考えるとトランプさんが理解できるのだ。
トランプさんの頭の中には「私」しかいない。アドバイスどころか、代わりにやってやるのもやめたほうがいい。「私のほうがうまくできるのに」と考えて腹をたてるだろう。逆に「やらせてみたけどうまくできなかった」ことにはあまり腹を立てないだろう。自分が世界で一番うまくやれると信じているトランプさんにとって、それは当り前のことだからである。だから、トランプさんには何もしてやらないほうがいいのだ。
トランプ大統領はマイクロマネージメントで知られる。これは彼が「自分の目の前にあることを自分でやりたがる」からなのだが、逆にいえば「自分の目に入らないこと」はないのと同じことだと考えているということになる。多分、トランプ大統領は4年の間競走に忙しく、その他のことに興味を持つほどの余裕はないはずだ。同じようにトランプさんたちは毎日の闘争に忙しい。それがトランプさんの幸せなのである。
ここからまとめると、トランプさん対応は比較的簡単だ。

  • トランプさんにとって役に立たないし脅威にもならない無力な存在になる。
  • トランプさんには期待せず、協力もしない。

トランプ大統領はクリントン候補のことをボロカスに言っていたが、もうライバルではないとわかった途端に「偉大なぼく」ぶりを見せるために寛容な態度を取った。逆に新しくショーの司会者になったアーノルドシュワルツェネッガー氏には敵意を燃やした。「俺のほうが視聴率を取れる」というわけである。
トランプさんが何かを勝手にやるぶんには構わないし、トランプさんが介入してきたら「なかったもの」として諦めたほうがいい。トランプさんが自分のアイディアを自分で遂行する分には「これはだめだったんだなあ」と気がつくわけで、それを待っていれば良い。トランプさんに何かを言われたら「逆らわず」に従おう。反論すればトランプさんは「勝つため」になんでもするだろう。
トランプさんが何かを言ってきたら褒めて欲しがっている証拠なので賛同しよう。かといって、自分の言葉で賛同するのは無意味だ。トランプさんはあなたが何を言っているのか理解ができないからだ。怠惰なわけではなく、その回路がぶっ壊れている。つまり、単に言葉を繰り返して賛同して見せるだけでいい。もしあなたが親切ならトランプさんの理論で賛成しよう。気に入られたくなってトランプさんより過激にトランプさんの理論を語りたくなる人もいるかもしれないが、それは無意味だ。そもそも人の話を聞いていないからである。
トランプさんはあなたが本当に何を考えているかは分からないし、多分興味もない。逆に怒っていても気にする必要はない。あなたが原因である可能性は低い。トランプさんは自分の世界を生きているので、大抵「敵」のことを考えて怒っている。
トランプ大統領は家族や身内を優先する政策を取っている。だから身内扱いされるにはどうしたらいいかを考えたくなるかもしれない。しかし、それはあまり意味がないのではないか。なぜならトランプ大統領は誰が身内かを自分の心証で決めており基本的にコントロールできない。同じようにアメリカ人の手にアメリカを取り戻すと言っているが、これも期待しないほうがいい。アメリカ人は「我々」ではなく、単なる競走の道具にすぎない。最悪、家族すら「自分を偉大に見せる」道具なのかもしれない。
トランプさんとブッシュ(息子)さんは、等しく「我々」について語る。しかし彼らのいう「我々」は違っているのではないかと思う。ブッシュ大統領は、明らかに信条(端的にいうとキリスト教だ)によって我々をくくっており、敵(悪の枢軸は全て非キリスト教国だった)には何をしてもいいのだと考えていた。だが、トランプさんは日々競走しているので、競走のために敵が必要なのだ。ブッシュさんの敵は変わらないが、トランプさんの敵は日々入れ替わっている。
ここまで書いてくると、この欠落に病名をつけたくなってくるが、こうした人格に病名はついていない。社会的に破綻しないからだろう。また、闘争に忙しいので悩んでいる暇はない。葛藤しないので社会生活が送れないほど落ち込んだりはしないのだ。
ここまで考えてくるとトランプ演説の最大の違和感が何だったのかがわかる。トランプ大統領は「アメリカはかつてないほど勝つ」と言っている。だがなぜ、勝たなければならないのかということは語られない。そもそもそこには理由はないのではないだろうか。さらに、アメリカを偉大にすると言っているが、何が偉大なのかということは語られない。トランプ大統領にとっては「相手に勝つこと」が偉大であるということだからだ。
そこに理屈はないので、あの演説をいくら分析しても全く無意味なのではないだろうか。
 
 

安倍さんがフィリピンにミサイルを売りつけに行って断られる

フィリピンの記者さんもちょっとしたニュースが日本で大騒ぎになっているなんて想像もしていないだろうなあと思う。Yahooに転載されたフィリピンスターの記事によるとフィリピンのドゥテルテ大統領が「日本がミサイルを売りつけてきたけど断っちゃったよ。は、は、は」と自慢したらしいのだ。
これだけなら見過ごしていたと思うのだが、民進党の長島昭久議員が「政府はそんな発表をしていないから、これはフェイクニュースなのではないか」とつぶやいた。長島議員が正しいとすると、大統領発のフェイクニュースということになる。

フェイクニュースにしては具体的な内容

しかし、記事を読んでゆくと、必ずしもフェイクだったとは思えない。記事にはオファーのタイミングが書いてあるからだ。

Japan’s offer came after Russia initiated an offer to provide the Philippines with submarines but Defense Secretary Delfin Lorenzana said the country couldn’t afford it.

英文的にはitが何かという点に悩んだのだが、ロシアが潜水艦を提供しようとしてそれをフィリピン政府が断ったというニュースがあったらしい。だからお金がないというのは潜水艦のことである可能性が高く「防衛長官も日本の話を断った」ということではないようだ。潜水艦の話は12月31日の日付で報道されている。だから「ほのめかしただけ」で「勘違いだった」と一蹴もし難いのである。いずれにせよフィリピンスター紙は世界各国が戦略的重要性からフィリピンに接近しているというストーリーでこの「オファー」を捉えているようだ。つまり、ロシアが言い寄ってきていて次は日本だったという理解だ。

Gゼロの世界と小国の重要性

もともと各国がフィリピンに接近するようになったきっかけは、オバマ大統領が「麻薬撲滅のために超法規的措置を取るのはよろしくない」とフィリピン国政に介入しようとしたことにあるらしい。大統領はアメリカへの依存を軽くして国防を「多様化する」一環として、ロシアや中国に接近した。それに焦った日本がフィリピン大統領の耳元で囁いたという構図である。つまり、アメリカの退潮が生んだ無極化の動きの一環なのだ。
フィリピンは中国との間に領海紛争も抱えているので、アメリカや日本との関係も保っておきたい。そこでいろいろな国からちょっとずつ「つまみ」つつ、競わせている。ロシアの潜水艦は断ったが、長官たちをロシアに派遣して「ウィッシュリストを渡した」という報道もある。最初の記事にある「プーチンも友好的だし、次のアメリカの大統領も(オバマとは違って)もいい人みたいだ(まあ、かなり意訳しているが)」というのはそういう背景によるものだろう。
フィリピンは各国からはいろいろつまみたいが、内政には干渉されたくないし植民地化もされたくない。だから「普遍的な価値観とやらを押し付けない」オファーが欲しいわけである。

安倍政権が軍事を成長産業だと考えているのは間違いないのだが

一連の外遊関連のニュースではオーストラリアとの「物品交換」の内容が「隠蔽されている」というのが話題になったばかりである。スカイニュースはこう伝えている。

The two countries are also due to sign a revised acquisition and cross-servicing deal, under which the Australian defence force will be able to supply ammunition to the Japanese military for the first time.

オーストラリア目線なので、オーストラリア軍が日本軍に(ミリタリーと書いてある)弾薬を提供できるようになったと書いてある。クロスサービスなので、日本軍もオーストラリア軍に弾薬が提供できるということになるのだろう。ただ、これは「隠蔽」ではないようで時事通信などが詳細に伝えている。弾薬は提供して良いが武器はダメというのがラインのようである。この一貫としてフィリピンの件を考えても何の違和感もない。
南スーダンではアメリカや西洋各国と衝突する動きも見せている。南スーダンは政府が敵対民族を虐殺するという動きが出ている。そこで欧米は武器の禁輸を動議した。それに逆らったのが、日本・ロシア・中国などである。これらの国は南スーダンに利権を確保しようとインフラ開発競争を行っている。安倍政権が世界各国に弾薬を売りつけようとしているのと考え合わせると、南スーダンに日本製の弾薬を売り込みたかったのかなあなどと思えてしまう。

日本の文脈にお構い無しに、海外から情報が入ってくる

ここら辺まで調べると、なぜ日米同盟推進派の人たちが慌てているのかがわかる。素人目線では「武器でも弾薬でもなんでもいいじゃん」などと思ってしまうが、そういえばこういうニュースがあったのを思い出した。ミサイルは弾薬に当たるという中谷大臣の答弁だ。ハフィントンポストを引用する。

これまで周辺事態法では「武器(弾薬を含む)の提供を含まない」としていたが、現在審議している安保法案では、「現に戦闘行為が行われている現場」以外であれば、自衛隊が他国軍に対して「武器には含まれない弾薬の提供」をすることが可能となる。

日本に関係する危機だから外国に弾薬を提供できるとしたわけだが、その説明を踏み越えて素人にはどう考えても武器にしか見えない「巨大な弾薬」を「日本が危機でもないのに」売りつけるためにあたりをつけようとしてドゥテルテ大統領にバラされてしまったことになる。国内向けの綱渡りのような説明もフィリピンには関係のないことなので、大統領が内輪の会話で自慢に使ったのかもしれない。

長年の間に倒錯してしまった武器輸出禁止原則

そういえば、なぜ日本は武器を海外に提供してはいけないのだろうか。よく考えてみると理由を知らない。検索してみると、もともとは共産圏に武器を輸出しないという原則があり、紛争国にも武器を渡さないというように拡大されたらしい。つまり、平和憲法とは関係がないのである。冷戦は世界の終わりを想起させ、それなりの緊張感があった。だが、これが既成事実化して政府を縛ることになる。
ただしアメリカとの間での技術供与は例外とされた。日本が軍事的にアメリカと一体化しているということをうかがわせるエピソードだ。
既成事実化してしまったので武器は輸出できなくなった。そこでオーストオラリアとの間の協定でも「武器は絶対にダメ」と書いてある。しかし、弾薬はダメとは書いていないでしょということになり「ミサイルは消えものだから弾薬扱いかなあ」ということになったということだ。理屈が小学生みたいで笑える。
武器弾薬の需要があるのは紛争国か潜在的に紛争の危険がある国だから、そういう国に売りつけにゆく。しかし、紛争当事国には介入しないし武器も渡さないという東西冷戦期の約束事があるために、「いや、あれは揉め事であって戦争じゃないですよ」と言い張るという子供のような理屈で乗り切ろうとしているわけだ。実際には日本が南スーダンに渡した弾薬は対立民族を虐殺するのに利用されることになり、自衛隊員の命を危険に晒すのだが、それでも「首都は大丈夫」と言い張るわけだ。
それは冷戦期にあった「核で世界が滅びるかもしれない」という危機意識が消えたことからくる気の緩みなのだが、実際に核兵器が消えたわけでもないし、テロの脅威という新しい問題も生まれている。アメリカのように自国の税金で世界秩序を支えているわけでもないし、植民地支配の責任を取って難民を受け入れているヨーロッパのような切実さもない。

実は慌てている「プロレス」左派の人たち

ここから考えると邪推ではあるが長島議員の狼狽ぶりが想像できる。フィリピン大統領が言ったことがが本当だとしてしまうと、民進党は立場上反対しなければならなくなる。だが、実際には安保法制反対はプロレスなので反対はしたくない。
そこで「あれはフェイクニュースだ」と決めつけてしまったのではないだろうか。去年の夏に民進党を最後の望みだと考えてデモをしていた人たちは気の毒だが、多分民進党は(中には夜も眠れないほど安倍暴走を心配している議員もいるようだが)本気で安保法制には反対していなかったのではないかと考えられる。
意外なのは朝日新聞の報道だ。「大統領は日本からオファーがあったとは言っておらず」と伝えている。ほのめかした程度であれば「政府としては供与はしていない」ということになる。記者クラブを抱える朝日新聞は外国新聞社からの情報から調査を開始したくはないはずで、火消しに走ったのかもしれない。記者クラブが作る文脈とは大きくずれてしまうので、なかったことにしたかったのではないだろうか。

日本はすでに平和国家ではない

いずれにせよ、日本が平和国家だなどと信じている人は誰もいないのではないだろうか。国のトップがやってきて「中国が攻めてくるから俺んとこの弾薬を買わないか」とほのめかすような国なのだ。
内輪で憲法第9条のお勉強会なんかしていても状況は一ミリも変わらないということになる。民進党や朝日新聞があまり批判的に安倍政権の動きを伝えないのは「戦争みたいにやばいことには関わりたくない」という人たちの票を集めることが目的であって、平和国家の維持などには興味がないからではないかと邪推される。

日本人は合理的に事実が扱えない

なんだか、たくさん読んでいただいているようで恐縮なのですが「そうだ!」という意見があまりにも多いので、ちょっと怖くなってきました。「いや、そんなはずはないのでは」という幾分批判的な視点でお読みいただいた上で、できればこれを乗り越える方法などを考えていただけると幸いです。(2017/1/22)


築地・豊洲問題が新しい展開を見せている。会社を変えて調査をやり直したところ有毒物質の計測値が跳ね上がってしまったのだ。これを見ていて日本人には合理的に事実が扱えないんだなあと思った。
残念なことに、事実が扱えない原因には幾つかのレイヤーがあり普通の日本人がこれを乗り越えることは不可能だろう。それは非合理的な判断基準、プロセスへの無理解、文脈(党派性など)への依存である。

穢れと安心安全

最初のレイヤーは穢れに関するものだ。食卓の上に雑巾と靴をおいて食事をしてみるとよい。例え完全に消毒していても「その汚さ」に耐えられないはずだ。これは普通の日本人が外を穢れとして扱うからである。こうした文化を持っているのは日本人だけではないそうだが(インドやイランでも見られるそうである)極めて珍しい特性だと考えられている。これは最近「安心・安全」として語られることが多くなった。
東京ガスが「穢れさせた」土地には有毒物質があり、それを完全に遮蔽できたからといって日本人には耐えられないだろう。石原元都知事は「保守だ」「愛国者だ」などと言っていたが、日本人が持っている非合理性には全く理解がない人だったということになる。普通の日本人は東京ガスの跡地では食べ物を安心して扱えないと考えるのだ。それは靴を滅菌消毒しても「汚い下ばきだ」と考えるようなものだ。

プロセスに全く関心がない日本人

次の問題はプロセスに対する理解の不足である。都はこれまで、たいへん甘い計測をしてきたらしいのだが、今回違った計測値が出たことで「何かの間違いではないか」と言い出す人が出てきた。本来なら、過去の計測方法と今回の計測方法を比較して批判すべきなのだろうが、政治家もマスコミもそのようなことを言い出す人はおらず、単に計測結果を見て慌てている。学校で「アウトプットの正確さはプロセスに依存する」ということを習ってこなかったからだろう。
この無理解を「理系文系」で分けて考える人がいるかもしれないのだが、例えばMBAの授業では統計の取り方を最初に教わる。これはアメリカの企業経営では当たり前の考え方なのだが、日本人は統計を気にしない。もともと事実が意思決定にはあまり寄与しないからなのだろう。
加えて日本人はジャーナリストになるのにジャーナリズムを専攻しない。このため社会に必要な知識を学ばないまま専門家になってしまうのだ。
もっとも小池政治塾では統計の読み方を最初にテストしたようである。これは教育の問題なので、西洋式の教育さえ受ければ克服可能だろう。

文脈への依存・誰が言っているかが重要

にもかかわらず日本人は党派性を強く意識する。橋下徹弁護士は随分早くから「安全性はいずれ証明される」と予言してきたが、実は何の根拠もなかったことがわかった。だが、維新の党の人たちはこれに追随してきた。そこでポジションができてしまい、今では「今度の統計は何かの間違いでは」と騒いでいる。よく考えれば彼らは部外者であり、この件にはなんのかかわりもない。彼らが関心を持っているのは小池都知事の人気と橋下さんへの忠誠心だ。
だが、こうした早急さは新聞記者にも見られる。彼らも調査はリチュアル(儀式)だと考えており、数値の発表の前に小池都知事の「決断」を聞きたがった。新聞記者たちはジャーナリストでございますなどという顔をしているが、単にジャーナリストの衣服をきたピエロのような人たちで、事実は文脈によって決まり、その文脈は俺たちが決めると考えているのである。ジャーナリストは小池さんに直接何かを聞ける立場にいるので、それにどう色をつけたら文脈を操れるのだろうかということばかりを考えている。

文脈への依存・世論の動向

もう一つ文脈が大きな役割を果たしている現象がある。実は豊洲移転には明確なOKの基準がない。安心(穢れが全くない状態)を基準にするのか安全(リスクが管理されている状態)を基準にするのかがわからないのだ。代わりに「騒ぎになっていること」が移転判断の基準になってしまっている。リスク管理(安全)を基準にするならできるだけ詳細なデータを取っていたはずだ。リスクがわかれば管理できるからである。しかし、甘い調査をしていた点をみると「瑕疵がない」ことを証明することが調査の目的になっていたようである。これは、安全にも安心にも関係がない。石毛亭が正しかったという証明である。しかし、彼らの思惑ではシアンを無毒化することはできなかったのである。最初からシアンがあることがわかっていれば、それを封じ込めて「リスク管理ができるから安全ですよ」と言えていたかもしれない。

豊洲移転は不可能になった

いずれにしても豊洲への移転は不可能になったと考えてよいだろう。例え次の調査でこれまで通りの低い数値が出たとしても「隠蔽している」と信じたい人は今回の数値を引き合いに出して反対運動を続けるだろうし、消費者たちはなんとなく疑念を持ち続けることになるはずだ。さらに外国人はもう日本の魚を買わなくなるに違いない。これは日本人が事実を扱えず、従って適切にリスク管理ができていなことが原因なのである。政治的には豊洲移転は可能だが、これは日本の伝統に対する信頼を大きく毀損することになるだろう。
 

目標は設定しないほうがいいかもしれないという話

よく、新年には目標を作ったほうがいいという話がある。期限を決めて達成すべきだというのである。最近、むしろ目標は決めないほうがいいかもしれないぞと思うような体験をした。
体重が4kg減った。とはいえ数値上はまだ「軽度の肥満」という分類に当たる。ということで、どれくらい減らせば「標準」になるのかなあと計算したところ、あと数キロはやせる必要があるらしい。脂肪を1キロ減らすためには7200キロカロリーを消費すべきなのだが、一回の散歩で消費できるカロリーは400キロカロリー程度しかない。そもそも一回散歩したからといって体重がみるみる減るということはない。
たかが4キロ減ったからといって大したことはなさそうだが、1キログラムの脂肪は1リットル以上の体積があるらしい。つまり4キロ減ったということはお腹から牛乳パック4本が消えたことになる。2016年10月末に撮影した写真があるのだが、お腹がかなり出ている。二ヶ月ちょっとでこれが消えたのだ。
つまり、1日ごとの減少量は大したことはなくても、蓄積はかなりのものだということになる。ベルトの穴は2と1/2分減っているのだが(1つは5cmくらいある)急激にやせたわけではないために、日々の変化はわからない。
数値上でみるみる結果がでれば気合も入るわけだが、数値はほとんど動かないし、他人と比べて自慢できるようなものでもない。しということで目標を設定してしまうと却ってやる気が削がれそうだ。しかし、方針としては間違っていないようだし、前よりはかなり状況が改善している。ちょっと歩いて、酢とお茶を飲み、寝る前に軽い運動をするというものだ。これを習慣にしていれば少なくとも急激に状況が悪化するということはないわけで、停滞期があったとしてもやがては少しずつ状況が改善するということになる。
もちろん、目標を決めて頑張ろうというアプローチが上手くいく人もいるのだろうが、努力ではなく習慣を作って、ときどき蓄積を確認するというゆるいアプローチのほうが上手くいく人もいるのではないかと思う。
意外だなと思うのが「ひどかった時」の記憶の大切さである。太っている写真を撮影した時は心底がっかりしたのだが、その記憶がなければ「達成感」も得られないわけである。

感情と交渉を切り離して考えられないダメな日本の象徴としての慰安婦像

安倍政権が韓国から大使らを呼び戻した。釜山領事館前に慰安婦像が作られたからだ。日本人というのはつくづく情けないものだなあと思った。
慰安婦像が作られたのはどうしてだろうか。それは民衆が韓国政府と日本の交渉に携われないからである。だからこそ、敷地の外側にこれ見よがしの像を作るしかなかったのである。韓国が日本に強気に出られない理由は少なくとも2つある。
軍事的にアメリカに頼っており、米韓同盟の枠内でしか動けない。アメリカには力がないので日本に頼らざるをえない。そこで結果的に日米韓同盟になってしまう。つまり、北朝鮮に対峙するためには韓国はアメリカに頼らなければならないという現実がある。
次の理由は韓国は外貨の準備が少ないために、経済運営が脆弱だという理由がある。日本は(少なくとも今は)外貨を潤沢に蓄えており、有事の際に韓国を助けることができる。経済的には肩を並べつつある両国だが、環境が全く違っている。
この慰安婦像は「韓国人が自国の交渉に関われない」ことの象徴になっている。例えて言えば、米軍基地に群がる左翼の活動家みたいなものである。これが力を持つのはどういう時だろうか。それは日本が気にした時だけだ。もし、日本があれを気にしなければ、それは単なる金属の塊なのだ。アメリカは基地前の抗議を「単なる雑音だ」とみなしており、日本政府に対応させている。いわば間接統治だ。
合意が遵守されれば、韓国政府は二度とこの話を公式の場ではできなくなる。あとはどうなろうと韓国政府と国民の間の問題だ。そもそも大統領を任期途中で弾劾してしまうような国で何が起ころうが、それは韓国の民主主義の問題であり、日本には何の関係もない話である。
そもそも日本は何を期待しているのだろうか。それは外国に尊敬してもらうことなのだろう。だが、日本人が考える「尊敬」の認識は脆弱である。貧しい国に援助して称えてもらいたがっているようだが、よく考えてみればわかることだが、これは不細工な男が援助交際によってしか女性の関心を引けないというのと同じことなのだ。韓国には経済力があり援助交際では尊敬してもらえない。そこで、日本人は腹を立ててしまうのだろう。あとは経済成長の恩恵に預かれない人たちが憎悪の対象として日本を利用しているにすぎない。
慰安婦像があってもなくても韓国は日本を尊敬してくれることはない。で、あればこの問題には関わるだけ無駄なのだ。いったん言い出してしまった以上拳を下げるのは難しいだろうが、少女像を参拝に来た人たちに無料の休憩所でも作ってはいかがだろうか。特に少女像を認めたことにはならないし、日本が彼らの抗議を全く気にしていないということをデモンストレートできるだろう。

配偶者控除廃止という無理ゲー

NHKで配偶者控除が廃止されるかもしれないという特集をやっていた。柳澤秀夫解説委員の話を聞くとこれを「わかりやすく解説する」のは無理だなと思い、池上彰さんならどういう解説をするのかと思った。
配偶者控除廃止には二つの目的がある。一つは安価な労働力であるパートを動員しやすくすることであり、もう一つは政府が税収や保険料を得やすくすることである。これが労働者・納税者にとって得になるためには「全体の給与」が上がる必要がある。
パート不足に陥っているのは日本経済が付加価値創出型から単純労働型に切り替わっているからではないかと仮説できる。正社員は付加価値を創造するために置かれているのだが、マニュアル通りに働く労働者さえいれば済む時代なっている。つまり全体の給与は減らせる方向にある。だから正社員はいらなくなり、従ってパートの妻も支えられなくなるという構造が生まれつつある。これにともない、旧来の保険料負担者の支払いが減るので、保険料の負担者も増やさなければならない。
つまり全体として負担は増えるのだから、制度改正は労働者・納税者にとっては損になるのだが、これを「個人で判断すれば損はしないかもしれない」と言っている点が「NHKの嘘」である。しかし、実際には正社員と自立する女性という家庭は「ありえないわけではない」のだから、個人の努力で何とかなるかもしれませんよと、プロパガンダしようとして失敗しているわけである。
さて、企業は日本市場から吸い上げたお金をどうするのだろうか。これは「内部留保」になる。とはいえ、内部留保という勘定があるわけではなく、海外に投資されることになるのだろう。日本はゼロ金利(これは国内で企業活動してもお金が利益を産まない状態を指す)だが、アメリカは金利が回復しつつある。トヨタやソフトバンクがこぞってアメリカへの投資を喧伝しているのはトランプ次期大統領に負けたわけではない。アメリカに投資したほうが儲かるのだ。つまり、あのニュースは富が米国に吸い上げられるということを意味している。「孫さんがトランプさんに会えてすごいなあ」という話ではないのだ。
日本はゼロ金利政策を放置することによって、日本からの資金がアメリカに逃避するのを手助けしていることになる。陰謀なのか無能さによるものなのかは定かではない。一つだけ確かなのは経済界はいうほど安倍政権に期待はしておらず、国内投資を進めないということだけである。安倍首相は誰からも信用されていないので、日本の金利は回復しないのだ。
こうした状況では日本企業は国内への投資を控えるほかない。投資には人件費も含まれるのだから給与は上がらない。わずかな成功例をダシにして「勝ち残り」の競争が起こることが予想される。国民を騙すのは簡単だなあと思う。ニュースを断片的に伝えれてお互いに競争させればよいわけだ。
実際にこの問題は、そもそも配偶者控除を受けられないパート同士のカップルという事態につながり、さらには家庭すら維持できない(したがって配偶者そのものが成立しない)個人という問題につながってゆくわけである。