アベノミクスはどうなったのか

アベノミクス、それはノーベル賞受賞の経済学者クルーグマンが推奨する最新の理論だった。
金融緩和をしてお金が借りやすくなれば、企業の投資や住宅建設が増える。経済規模が拡大すれば売上げが上がる。すると、給与が上がり、税収が伸びる。この成長の指標になるのが物価だ。金利差から円の価値が減り、円安が起きるとされた。円安は「輸出で稼いでいる」日本には有利だと考えられた。
確かに、金融緩和の結果として円安が起きて輸出企業の業績は上がったし、株価も上昇した。しかし、設備投資は増えず、輸出企業は日本には戻ってこなかった。IMFは日本は輸出増でGDPが伸びない唯一の例外だと分析した。円安とGDPの間に相関はなく、従って経済成長にも寄与しなかった。円安で輸入品の価格は上がるはずだったが、エネルギー価格の下落で再び物価の下落し「アベノミクスは振り出しに戻った」と言われた。

給与と雇用については二通りの見方がある。浜田宏一内閣参与は「なぜアベノミクスで庶民の給料は上がらなかったのか?」で、アベノミクスは失業者を雇用に吸収しはじめており、正社員の給与は上がるのはこれからだと説明している。一方で、労働者は生産性が低く給与が上がらないセクターに貼付けられているだけだという観測もある。正規雇用は増えておらず、増えているのは非正規労働者ばかりである。また、医療・福祉系は人材を吸収しているかもしれないが、一般的に給与が低いので、定着率が悪く、将来家庭を持てる程の経済的な余裕は生まれにくいと考えられている。
浜田氏に欠けている視点は「企業の自信」だと考えられる。もし企業が自信を持っていれば、生産拠点を日本国内に戻し、設備投資を増やしているはずだ。しかし、実際に増えているのは公共事業と消費税増税前のかけこみ需要によるものだけだった。
アベノミクスの元ネタとされるクルーグマンは9月に都内で講演し「本当に本当に心配」と述べた。改善の速度が遅すぎるのだという。クルーグマンは「すべての人がデフレから脱却したとの確信に達する必要がある」と言っているが、高齢者にはこれから収入が伸びる見込みはなく、30歳代までの「若年層」はそもそも日本が成長していた時代を知らないので脱却のしようがない。
確かに、クルーグマンの処方箋は短期的なデフレの脱却には効果があると考えられている。実際にヨーロッパはデフレから脱却する事ができた。しかし、日本ではそのような効果は観測されておらず、なぜ日本だけが例外なのかという点について明確に考察した人はいない。
経団連だけはアベノミクスを評価している。安倍政権は法人税を下げ、派遣労働者を使いやすくしてくれているからだと思われる。また、経団連は「外国人労働者を増やして欲しい」と考えているようだ。格安の労働者が使えれば、短期的には企業収益は上がるかもしれない。今、企業には納税や給与を通じて社会に貢献しようという気持ちはないらしい。発想としては経済植民地に近い。
現在の物価下落はエネルギー価格の低下によるものだ。円安によって輸入品の価格は上昇している。近い将来、物価は上がったが、全て海外への支払いに消えたということが起こるかもしれない。仕事は戻らず、給与も上がらない。企業は法人税を支払わず、ますます消費税などに頼るようになるといった具合だ。
このように失敗したと考えられるアベノミクスだが、安倍内閣には何がうまくいっていないかを分析するつもりはないらしい。一部にはさらなる財政出動を求める声もあるが、麻薬が切れたら泣き叫ぶ中毒者のようにも聞こえる。
そもそも、アベノミクス事態が大いなる偽薬の役割を果たしている。偽薬を飲んでいる限り、病気が悪くなったらどうなるかを考えなくて済む。安倍政権はついに偽薬を飲む事すら面倒になり、うまくいったら何もしなくてもいいはずだと言い出した。GDP600兆円を目指すつもりだというが、具体策は何もない。多分、官僚が予算を獲得する為に苦し紛れに書いたメニューがずらずらとテーブルに並ぶのだろう。
さらに悪い事に、野党にも対案がないようだ。出来の悪い歌舞伎役者のように見栄を切ってみせるが、次の台詞が出てこない。舞台にさえ上がれば、官僚や観客が台詞をつけてくれると期待しているらしいが、台詞もないのに舞台に上がるのはやめたほうがいい。政権というのもある種の麻薬なのかもしれない。一度手を染めると、再び麻薬を手にすることしか考えられなくなるのだ。

嘘の芸術 – なぜ集団的自衛権の議論は分かりにくかったのか

アメリカのジャパンハンドラー達は自分たちの勢力を拡大するために日本にレポートを書いた。その中で「日本が一流国になって尊敬されたければ集団的自衛権を認めてアメリカ軍に協力すべきだ」と明確なビジョンを示した。これを「アメリカに尊敬されたくて仕方がない」安倍晋三や麻生太郎などが支持した。レポートには、国民を説得する為には中国の脅威を煽り、日本人の民族意識を鼓舞しろと書いてあったので、その通りに実行したが右翼系雑誌以外では無視されていた。レポートには例としてホルムズ海峡の話も書いてあったので、それも引用することにした。
オバマ米国政府は軍事予算を削減するために、日本に極東防衛に積極的な役割を担って欲しいと考えていた。しかし、当初オバマ大統領は中国と仲良くしたいと考えており、ナショナリストである安倍晋三を遠ざけていた。しかし、中国は南シナ海に進出しアメリカを刺激した。また、韓国は中国に接近し軍事パレードにも参加するなどアメリカを警戒させる動きに出た。
安倍晋三は日米安保(日本の防衛のための取り組み)の下にあるガイドラインを改訂して地域限定を外した。このため、日本は世界中でアメリカと協調行動が取れるようになった。ただでさえはっきりしない憲法、日米安保、ガイドラインの関係はますます分かりにくくなった。
安倍晋三と中谷元はアメリカの議会に「北朝鮮がアメリカを攻撃したら、日本が防衛してあげます」と宣言して拍手喝采を浴びた。これはフルの集団的自衛権行使宣言だった。オーストラリアとも準軍事同盟的な関係を結んだ。
従来、日本政府は軍事費にお金をかけずに経済成長重視で行きたい(吉田ドクトリン)と考えていた。ところが朝鮮戦争で日本の治安維持(日本人が暴動を起こした時に日本人を取り締まる)が手薄になったので、マッカーサーの要望で自衛隊を作る事にした。自衛隊は警察力の拡張だったが、そうは言えないので「日本を守る」と言い換えた。今度は憲法との間に矛盾が生じたが「解釈によっては自衛力は持てるし、あればそもそも軍隊ではない」と主張することにした。一方で、アメリカが朝鮮戦争やベトナム戦争などへの参加を求めたので「憲法(そもそもアメリカが与えた)では集団的自衛権は認められない」と言って断る事にした。しかし、憲法解釈上は無理があった(憲法には軍隊は持ってはいけないし、戦争はしてはならないとしか書いていない)。そこで、最高裁判所はこの矛盾に触れないことにした。
アメリカの期待に応えるためにはフルの集団的自衛権を認める必要があったが、安倍晋三には国民を説得して憲法改正ができないことを悟った(あるいは自信がなかった)。そのために「これは日本を守る為なのだ」と言い換えることにした。こうして限定的集団的自衛権という概念がうまれた。ここからアメリカからのリクエストと国内向けの説明(ホルムズ海峡の機雷除去と朝鮮半島からの邦人帰還)の間にずれが生じた。ホルムズはどうしても枠に収まりきれないので例外ということになった。
たくさんの法律を短い時間に書き直したためにアラが目立つ法文ができ上がった。そもそもアメリカが何をリクエストするかは分からないので「なんでも内閣の裁量で決める」ことにした。そもそもアメリカに対してポイント稼ぎをしたいのは外務省なので、官邸と外務省が法文を作った。防衛省には根回しをしなかったのではないかと思われる。後に自衛隊から共産党に情報が漏洩したりした。内部に反発があったのではないかと思われる。
船田元が全く別の審議会でよせば良いのに憲法学者に「今度の安保法制は違憲か」と聞いた。空気を読まない憲法学者は「当然違憲だ」と言ったので、大騒ぎになった。政府はこれまで集団的自衛権は違憲だと言っていたので、これに追随していた人も多かったものと思われる。学者の中には自衛隊は違憲だと思っている人もいた。これに安倍晋三と自民党の憲法改正案(と、その進め方)に反対する憲法改正派の大御所も合流し「立憲主義の破壊だ」とか「民主主義の危機だ」と大騒ぎになった。
民主党は内部に「集団的自衛権行使容認派」を抱えていたが、野党としての存在感を示す為に反対することにした。党として対案を出そうとしたが、どういうわけか反対に合い、領域軽微法を除いて国会への提出は見送られた。Twitter上では「実は賛成派」と「断固反対派」がそれぞれの主張を呟いていた。社会主義国が破綻しており、憲法第九条(と、原発再稼働反対)しか拠り所がなくなっていた社民党と共産党も強行に反対した。どちらも数では勝てなかったので「戦争法案」と言い換えて「徴兵制もあるかもしれない」と感情に訴えることにした。
安倍晋三は集団的自衛権(アメリカなどの同盟国を守る)と個別自衛権(日本を守る)をわざと混同して説明していた。これを真に受けた橋下徹は「集団的自衛権と個別的自衛権には重なるところがある」とベン図を持ち出して主張したので、話がさらにややこしくなった。
安倍晋三はテレビに出て母屋と離れの火事というよく分からない事例を挙げて「丁寧に説明」した。後に生肉だと騒がれることになった。インターネットテレビでは麻生君が殴られたらとか、菅君の家に泥棒が入ったらなどと説明したので、国民を不安に陥れた。国会ではホルムズ海峡の例と朝鮮半島からの帰還者保護の事例は取り下げられた。
自衛隊は軍隊のようで軍隊でないので、ジュネーブ条約で守られず、さらに偶発的な殺人に関する罰則の取り決めがないことが分かった。しかし、安倍晋三はこの危険性を無視した。中谷元は内閣と外務省が作った法律を防衛省のレクを受けて答弁したため、答弁が曖昧になり、さらに国民の不安を煽った。建前上、自衛隊は危険な場所に行かないことになっているが、アメリカには「日本を防衛する米軍の盾になる」というような約束をしているらしく、危険なときに撤退するかしないのか曖昧なまま議論が進んだ。確かに、日本防衛時に自衛隊が先に逃げ出しては話にならない。
ブッシュ大統領はありもしない大量破壊兵器を理由にイラクを攻撃した。戦争が終らないと日本が参加できないので、戦争が終ったことにして自衛隊の出動を要請した。小泉純一郎は国連の復興支援だという名目で自衛隊を送り、米兵を輸送したが「内容を知らなかった」ことにした。イラクの状況は泥沼化しており、民間人と反乱兵の区別がつかない状態だったので、米軍は結果的に民間人への攻撃という戦争犯罪を犯した。つまり、自衛隊はすでに戦争犯罪に加担して「見て見ぬふり」をしたことになる。山本太郎に質された安倍晋三は「知らない、分からない」と答弁した。片山さつきはテレビで「日本政府は正しかった」と言い張った。
こうした不安の中で、女性誌が「戦争があるかもしれない」「将来子供が兵隊に取られるかもしれない」という特集が組み、主婦の不安を煽った。女性がデモに参加することになった。デフレが続き学資を得られなくなっていた学生は「経済的徴兵制」に反応した。学費を肩代わりしてもらう代わりに兵隊に行くという制度だ。将来に不安を持っていた学生がデモに参加することになった。さらに、イラク戦争は間違っていたという人たちが加わりデモは拡大した。
安倍晋三は「中国の脅威があるから集団的自衛権を行使するのだ」と説明していた。それを真に受けた支持者はデモ参加者や法案反対派を「売国奴」だと攻撃し始めた。アメリカが日本に加勢して中国を成敗してくれると勘違いしている人もいたのではないかと思う。小川和久は「憲法も日米安保も集団的自衛権も全く矛盾していない。すべて整合している」と主張し「これですっきり分かった」と膝を打つ人が増えた。
イラク戦争の例を見ても情報開示されない国会の審議は意味がないことが分かっているのだが、野党の存在感を示しつつ自民党に恭順の意を示したい野党各党は「必ず国会審議をします」という付帯決議を入れさせて「妥協を勝ち取ったのだ」と言い張った。
佐藤正久は国会で「集団的自衛権」を行使し、防衛大学校仕込みの防衛術で鴻池祥肇を守り、小西ひろゆきをグーでパンチした。騒ぎの中で委員会採決されたが、議事録には「採取不能」ということで記録が残せなかった。自民党も野党も女性を利用し「セクハラだ」とか「女性暴力だ」などとお互いを罵り合った。国会は国民に「女性活躍社会」の範を示した。山本太郎は焼香パフォーマンスを見せて、山崎正昭に「次は容赦しない。議員バッジ を外すことになるかもしれない」と言われ、小沢一郎にも怒られた。
安保法案が成立し、アメリカ人は「これで日本がアメリカを防衛してくれる」と歓迎した。ヨーロッパのマスコミの中には「日本は戦争ができる国になった」と報道するところもあったらしい。
民主党、共産党、社民党は「民意は国会の外にある」と言い出した。選挙に行かなかったであろう人たちを含むデモ参加者の中には「選挙では政策は選べないので選挙は意味がない」という主張をする人まであらわれた。マニフェストは完全に忘れ去られた。一方、自民党の支持者はマニフェストには(小さな字で)書いてあったと主張した。選挙では安保法案は争点ではなかったと主張するSEALDsの奥田愛基に対して田崎史郎は「集団的自衛権は争点だった」と怒鳴り、伊藤利尋は愛想笑いを浮かべた。
唯一本気で反対していた共産党は民主党に連立政権の樹立を迫ったが、もともと本気度が薄い民主党は動揺することになった。民主党は「共産党が勝手に候補者を引き上げて、民主党に票を入れるのは自由だ」と上から目線で応じた。デモで法案に反対してい人たちは民主党の態度に落胆した。
集団的自衛権を巡るやり取りを見ていると、日本に政党政治が根付き、民主主義が根付いているとは言いがたいように思える。しかし、日本は依然として「完全な民主主義」が実現している数少ない国の一つであり、世界にはこれよりも悪い国がいくつもあるらしい。少なくとも、太陽は東から昇り、西に沈んでおり、いつもと変わりなく見える。

CytoscapeとRでTwitterネットワークを概観する(技術篇)

Twitter APIでデータを集める。APIは JavaScriptや PHPからアクセスすることができる。最新版のRであれば直接アクセスすることも可能だ。今回は安保法制賛成派(右翼)と反対派(左翼)でそれぞれ4人を選びネットワークを作った。
TwitterデータからSIFファイルを作る。SIFファイルはusername1 follow username2のような形式をしている。
Cytoscapeに読み込ませて、並べ替え(Spring Embedなどを使う)て概要を掴む。データが大きくなると並べ替えに時間がかかるので、手作業で1名からフォローしているだけ、されているだけの人を取り除いた。
CytoscapeからGMLファイルを書き出す。
Rで読み込む。予めライブラリigraphを読み込んでおく。library(igraph) と read.graph(,format=”gml”)
コミュニティを調べるために下調べする。edge.betweenness.communityなどを使うが、いくつかの違った分類法を使うことができるが、方法によって精度や計算時間などに違いがあるらしい。
コミュニティを分割する。コミュニティの数が集約するまでNの数を増やして行く。詳しい事は分からないが、影響のないエッジを消していっているいるらしい。community.to.membership(g,data$merge,step=N)
データセットを作成する。data.frame(membership=d$membership,label=V(g)$label,betweenness=betweenness(g),closeness=closeness(g))
データセットを書き出す。write.table(df,file=”data.txt”)
エクセルなどに取り込んで betweennessで並べ直す。数値が大きければ中心にあることが分かる。
属性テーブルに編集し直すと(ID名 = メンバーシップ)Cytoscapeに取り込むことができる。ファイルの先頭に1行加えておくこと。それが属性名になる。
新しいビジュアルスタイルを加える。 Node Shapeを選び、Discrete Mappingを選ぶと属性ごとに色分けができる。Betweennessやclosenessを属性を利用して中心に近い円ほど大きく表示する事もできる。
手作業で並べたもの。大体正しくグループ分けされていることが分かる。ただし、異なるグループが共有されているアカウントはランダムにグループ分けされているらしい。黄色とオレンジが安保法案反対派(左翼)で、残りが安保法制賛成派(右翼)に属する。右翼は結びつきが薄いのでそれぞれ別グループを形成している。
colornetwork1
機械的(Spring Embed)に並べ替えたもの。
colornetwork3

Twitter上の左翼層と政権奪取構想

安保法制議論も一段落したので、Twitter上の右翼と左翼のつながり具合について調べてみた。前回の候補者の選び方を見直して、起点(0)が相互フォローしている安保法案に賛成の意見表明をしている人(右翼)と安保法案に反対の意見表明をしている人(左翼)を選んだ。その人たちがフォローしている人(1)を選んだ。1がフォローしている人を2として4までを辿った。選ぶ際に名前(反対派は「原発反対」とか「安倍を落とせ」などのフレーズを名前に入れている)を参考にしたので、ランダムというわけではない。
twitter_network2
前回と同じく左翼には強い関心の共有が見られた。大抵、反原発・反戦争法案などが見られる。時折、反TPPなどというフレーズもあった。いわゆる「左翼3点セット」だ。一方、右翼にはそれほど高い関心の共有は見られない。1組だけ関心を共有している人たちがいた。2と3の間には複数の共有アカウントがあり、反韓国・中国という話題を共有していた。中には反民主党というアカウントもあったが、彼らから見れば民主党は外国人(帰化はしているが)ばかりの「売国政党」だからだろう。左翼は特定の運動を通じて結びついているが、右翼の結びつきはそれほど強くない。
右翼は共有している政治家のアカウントも少なかった。唯一見られたのは安倍晋三と橋下徹という二大「強い政治家」だ。その他、片山さつきの名前もあった。左翼層は民主党(蓮舫、細野豪志)と社民党(福島瑞穂)などがフォローされている。今回選ばれなかったアカウントの中には「生活の党支持」を掲げているものもあるので、山本太郎などを支持している人もいるのではないかと思われる。
右翼層は、反韓国・反中国などで結びついている。いわば「ヘイト派」である。この人たちが明治憲法への回帰などの復古的な政策にどの程度同調しているのかはよく分からない。と、同時に左翼層の人たちも原発や戦争といった「汚い」ものを忌避しているのだが、それがどの程度共産主義(あるいは社会主義)への支持につながっているのかはよく分からないのである。左翼層は他人に対しての共感力が高いというわけでもないらしい。シリア難民保護や募金などと言った発想は見られなかった。
左翼層にとっての一番のチャレンジは考えを外に広げて行く事だろう。狭い共同体であることが予想され(検証は必要だろうが)るので、コミュニティとしての広がりはないのではないかと思われるからだ。「あの政治家は嫌いだ」と呟いているだけでは、議員を落選させることはできない。
左翼層は「原発・戦争・TPP」などの反対している。つまり、意識はなくとも「反米路線」と言える。政権を担当した党はどれも、自衛隊を認め、原発を容認するなど政権獲得後に親米・追米に路線転換している。すなわち、共産党が提案する「国民連合政府」がそのまま支持を集めることができるかは、はなはだ疑問である。また、こうした層がどの程度幅広く存在するかはまだ未知数だ。
顕在化した層は「好き」ではなく「嫌い」で結びついている。かつての無党派層が「官僚への敵意」で投票行動を起したのを思い起こさせる。しかし、脱官僚を唱い自民党をぶっつぶすといった小泉政権は官僚を潰さなかった。官僚から利権を取戻すといった民主党政権は後に官僚派に転じ消費税を増税した。中国に厳しく対峙してくれそうな安倍政権が誕生しても中国は依然として世界第二位の経済大国だ。安保法案はアメリカに便宜供与をしているだけなので、特に中国を潰す行動にはなっていない。
政党が「ヘイト」を利用するのは構わない。しかしヘイトには瞬発力はあっても持続性はない。振り向いてもらうきっかけにはなるが、これを積極的な応援運動への参加へ転換してゆかなければならない。積極的な応援運動とは簡単な動作でできる「勝利可能」な行動だ。成功体験を積み重ねてゆけば、やがて大きな目標へ到達することができるだろう。
その為にはまず、行動の受け皿になる政治的な集まりを作り、小さな行動から大きな行動へとつながる行為設計を行わなければならない。離反者が出る事も考えれば、1年未満という時間は決して長くはないことが分かる。

右翼と左翼 – ネットワーク的研究

今回の安全保障関連の議論は「国民を二分した」と言われる。Twitter上では安倍首相を応援する側(仮に右翼とする)と反対する側(仮に左翼とする)に大きく割れた。そこで、ネットワーク上で右翼と左翼になんらかの違いがあるのかどうかを調べてみることにした。まず 10名のアカウントを集めた。ツイートの内容によって、右翼、左翼、そしてポジションなしに分けた。ポジションなしとは特に安保法案に関心のない人たちだ。
TwitterAPIを通じて彼らのフォロワーとフレンドリストを採取する。1度に取れる情報は200件まで(つまり全てではない)だ。それをSIFフォーマットに落とし、Cytoscapeというネットワークビジュアル化ソフトに落とし込んだ。10名の関係先だけで3,000ほどある。これでは扱いにくいので一方的にフォローしているかフォローされている先を削った。これで関係先を500ほどに減らす事ができた。これを主に手作業でまとめると下記の絵を得る事ができた。
twitter_network
当然のように「ポジションなし」同士には細かな連携はない。これは興味の対象があまり一致していないことを示している。しかしながら、全く興味分野が一致しないということはあり得ない。芸能人やニュースサイトなどが重複しているからだ。不思議なことに「右翼」同士にも緊密な連携はなかった。1つだけ目立った連携が見られたのは右翼に属する人とポジションなしに属する人の間に見られたアップル関係の重複だ。たまたま、二人の趣味が一致してたのかもしれない。この2人は相互フォロー関係にある。
ところが左翼サイドは状況が一変する。4人の間には共通の情報ソースが複数ある。試しにいくつか覗いてみたところ同じような内容(脱原発、反安保法案)が書き込まれていた。お互いが納得できる内容を共有し合っているものと思われる。良い言い方をすれば「左翼サイドの連帯は強い」と言える。悪い言い方をすれば彼らの世界は「閉鎖的で狭い」可能性があるだろう。こうした空間から情報を取っていると「全ての人が安保法案に反対している」と考えるようになっても不思議ではない。
よく考えてみれば、有名な人(例えば政治家や学者)を例外にして、右翼と左翼の一般人が罵り合う(もしくは議論する)という図式は見られない。右翼同士はフォローしあっているにも関わらず、共通の情報源を持っていない。つまり、お互いに議論をしあっている形跡も見られない。これは当然の話かもしれない。右翼は中国や韓国への蔑視つまり「ヘイト」で結びついているだけで、特に何らかの運動を共有しているわけではないからだ。
ここから得られる仮説は単純だ。いわゆる左翼と呼ばれる人たちを動員するのは簡単だろう。彼らの運動に同調すればよいからだ。同じ情報源を共有しているので考え方は同質だと考えられる。一方、右翼と呼ばれる人たちは既に自民党(ないしは次世代の党)などが中国や韓国と対峙してくれるものだと信じているので、特に働きかけをしなくても自民党を支持してくれるだろう。右翼層は民主党や社民党は売国奴の外国人に操られていると信じているのだが、最初からターゲットではないので気にする必要はない。
ここで問題になるのは、こうした人たちが全体でどれくらいいるのかが分からないという点だろう。いわゆるネトウヨと呼ばれる層は、実はそれほど大きくないことが分かっている。今回安保法案に反対した人たちも声は大きく、ネット上では固まって見えるが、どれくらいの人数がいるのか、実はよく分からない。多数派を占めると思われるポジションなし(あるいは無関心)層がどのようなメッセージに反応するかは分からない。全く政治に興味がない可能性もあるし、意思を表明していないだけということもあり得る。
安保法案についての議論が白熱する期間にはシリア難民の問題が起きた。左翼を人権に敏感なリベラルな層だと仮定すると、左翼層からシリア難民に対する同情や「日本も移民を受け入れるべきだ」という議論が起こっても不思議ではない。しかし、そうした議論は全く聞かれなかった。人権に対して進歩的な考え方を持っているというよりは、自分の価値観に合わないものを排斥しているだけ、なのかもしれない。

日本が共産主義国になる日

安保法案の成立を受けて、共産党が民主党などの野党に向けて「選挙協力」を訴えた。国民連合政府を作るのだと言う。これが実現し、国民の支持を得る事ができれば、日本ではじめて共産党が政権党になることになる。共産党は今でも共産主義の実現を目指しているので、政権が根付けば日本は共産主義の国になるかもしれない。戦後、資本主義の先進国が共産化した事例ははない。
これを受けてTwitter上には様々な声が上がった。安保法案に反対していた人たちの中には期待する声が多い一方で、ジャーナリストの江川紹子さんは「本気でやるなら水面下で交渉していただろう」と指摘している。
安保法案は早くも民主党にとっての鬼門になりつつある。「戦争は良い事ですか、悪い事ですか」と聞かれれば、大抵の国民が「悪い事だ」と言うに決まっている。ところが「地域を活性化します」と約束する政党と「戦争法案を廃止します」という約束する政党が並んだら、有権者はどのような反応を示すだろうか。「有権者の利益を放ったらかしにして、安保法案か」と思うに決まっている。経済でよい政策を出せないから、安保法案を言い続けているのだろうと考える人も多いかもしれない。
加えて自民党寄りの思想信条を持つ議員は動揺し、一部は離反するだろう。Twitter上では既に動揺している議員もいる。
一方で、共産党との共闘を断れば「民主党は、やはり自分たちの支持拡大の為に安保法案を利用していただけだ」という印象を与えるだろう。反対派は「運動に本気を示した」共産党を支持する事になる。選挙区では勝てないだろうが、比例区では躍進できる。
さて、この状況は結果的に自民党を利する事になる。自民党は利益誘導型の選挙活動を続けるだろう。特に地方の有権者は「自民党が地域に利益をもたらしてくれる」と感謝すらするかもしれない。この原資の半分は国債由来で原資の多くは国民の預貯金だ。つまり、国民は「自分の預貯金をばらまいてくれてありがとう」と言っているのである。私有財産を国家が召し上げて(あるいは一時的に借りて)国有化しているのと同じことで、社会主義的な考え方なのだ。
安倍首相の祖父である岸信介は日本を社会主義化した「革新官僚」だった。戦争で資源が逼迫したために、国家総動員態勢を構築する必要があったのだ。革新官僚はソ連の計画経済をモデルとしたので共産主義的だと非難された。その体制は戦後も引き継がれ、現在でも劣化したまま残っている。安倍首相は「給与を上げるように」と企業に指示した。自由主義経済の国ではあり得ないことだが、日本ではこれを批判する人はいない。
また、電波行政でも社会主義的な体制が残っている。携帯電話やテレビなどの電波は国家からの割当制になっているそうだ。外資が参入するのを嫌がっているのだと指摘する人もいる。しかし、競合がなくなり携帯電話料金が高止まりしたので、首相自ら「携帯電話料金を下げるように」と指示し、通信各社の株価は下落した。私企業の経営を妨害するのは、資本主義国ではタブーだが、日本ではこれを非難する人は誰もいなかった。
日本が共産党政権を支持して共産主義国が成立する見込みはほとんどないと言ってよい。利益誘導型の政治に慣れた有権者は、民主党が安保法案にこだわればこだわるほど離れて行くだろう。だから、政権を取るつもりのある野党は早くこの問題から離れるべきだ。一方で、利益誘導型の政治は持続可能性が低いことを有権者に分からせないと、私有財産は国有化されて返って来ないかもしれない。
自由主義を標榜した共産主義国家が憲法改正なしに成立する可能性もある。共産主義を標榜しつつ格差を拡大させて世界第二位の資本主義国になった中国と並ぶという不思議な光景が東アジアに並ぶかもしれない。

LINEはずしと嫉妬心

LINEをはじめとしたいじめについて考えている。本来、一部を除いた人間には他人が苦しむ姿を見たいという遺伝的欲求はないのだが、ある条件が整うと他人の痛みは快感に変わる。
私達は無視されたときに痛みを感じる場合がある。これは抽象的な痛みではなく、脳の痛みを感じる部位で感じているらしい。すぐに返事を返さないと「無視された」と誤認して痛みを感じる。これに報復するために、返事を返さなかった人を仲間はずれにすることがあるようだ。こうしたリアクションは「誰でも忙しくて返事ができない時があるのだ」と教育することで防ぐことができる。「相手の身になって考えなさい」というわけだ。
ところが、教育ではカバーできない痛みがある。それが嫉妬だ。ある研究によると人間は良く似た属性を持った人間が自分よりも優れていると感じた時に嫉妬を感じるそうだ。嫉妬は痛みとして捉えられる。ところが、その対象者が失敗したり、不幸な目にあったりすると快感を感じるのだ。嫉妬が強ければ、その後の快感も強くなるのだという。
また人間は不公平を感じた時にも嫌悪感を感じるのだという研究もある。嫌悪感を感じると合理的な判断が阻害され、自分が何も得る事ができなくても、相手が得をするのを防ごうという気持ちになるのだそうだ。
自分と良く似た人に嫉妬心を感じた人は、痛みを排除するためにその人を仲間はずれにしたり攻撃したりする。そして、その人が痛みを感じて不幸になると、それを見て快感を感じてしまう。その行動を合理化するために、仲間を監視して、排除に巻き込む。窮屈な人間関係はそのようにして生まれるようだ。スマホによる「監視機能」があれば、その閉鎖的な人間関係は24時間365日続くのである。
「他人と比べなければいいではないか」という反論もありそうだが、そもそも人間の脳は絶対的な幸運の量を計るようには設計されていない。他人との比較によって自分の幸運や不幸を決めている。
不公平さや嫉妬に囚われると、本来なすべきことを忘れてその怒りを解消することに意識が集中してしまう。これを防ぐには自分が感じている怒りを言語化・意識化するのが良さそうである。ところが、こうした情動は古い脳が関係しているので意識化しにくい。無理に言語化すると、合理化されてしまい、却って事の本質が分からなくなることも起こりそうだ。
本来、多くの情報に触れることができれば、状況を正しく認識してよりよい判断ができるようになるはずである。しかしながら、状況によっては痛みに囚われ、他人の不幸を探すようにも使われるのである。

戦争に参加するということについてもう一度だけ考えてみて欲しい

何気なくPEOPLEという雑誌を開く。載っているのは、主に芸能人のゴシップ記事だ。そんな雑誌の終わりの方に決まって手や足のない人の写真がある。顔にやけどのある人を見かける事もある。イラン戦争の復員兵たちだ。日本ではなかなか想像できないことだが、アメリカでは普通の光景らしい。
春頃から始まった集団的自衛権を巡る対立を見るたびに、このことが頭に浮かぶ。日本人はこの光景に耐えられるのだろうか、政府はどう「説明する」のだろうかと思うのだ。
米軍の死者数は4,000名以上だとされるが、日本ではイラク戦争の死傷者は単なる数字として扱われる。この他に、けが人が30,000万人以上いるのだが、この人たちが消えてなくなることはない。そのまま社会が受け入れなければならない。だから、アメリカではこれは単なる数字の問題ではないのだ。
復員兵の中には自殺をする人もいれば、精神的に異常を来して殺人を犯す人もいる。こうした「事件」が新聞に載ることもあるのだが、全てがマスコミで扱われることはない。アフガンとイランの復員兵は1日に22人も自殺しているという話がある。もはや日常なのだ。
今回の法案については、賛成とか反対とかいろいろな意見があるだろう。こんな悲惨な経験をするくらいなら「戦争法案」を絶対に認めたくないという人もいるだろう。だが、アメリカ人の立場に立つと、アメリカ人はそれだけ多くの犠牲を引き受けているのだから、便益を受けている国が知らないふりをするべきではないという意見を持つ人もいるかもしれない。
永田町の周辺では、今日一日混乱が続くだろう。目の前にいる対立に目を奪われて、自分たちが何をしようとしているのか、どこに行こうとしているのかについて考える事は難しいかもしれない。
それでも、と思う。せめて一分間だけでも冷静になって、普通の新聞や雑誌に復員傷兵の記事が載るのを想像してみて欲しい。その記事をみたあなたは納得して彼ら(彼女かもしれない)を受け入れることができるのかを考えてみるべきだ。
一分間目をつぶった後に、もう一度テレビを通じて行われていることを見て欲しい。デモの現場にいるなら目の前で行われていることを見てもらいたい。きっと、その光景を今までとは少し違って見えるはずだ。
できることならば、その気持ちを周囲にいる人と共有してもらいたい。本当の話はそれから始まるのではないかと思う。

佐野研二郎氏はなぜ追い込まれたのか – デザイナー叩きについて考える

デザイナーの佐野研二郎氏がデザイン撤回に追いこまれてからしばらく経った。パクリの常習犯だから追いつめられたのは当然だという意見もあれば、ネットのいじめは執拗過ぎたという批判もある。どうしてこのようなことが起きたのだろうか。人間には「人をいじめたくなる遺伝子」のようなものが備わっているのだろうか。
手始めに「いじめが快感を生み出すのか」について調べてみた。一般に人は他人の苦痛を自分の苦痛として感じる能力がある、とされる。「いじめ常習犯の中には、他人の苦痛に快感を感じる人がいる」という研究もあるにはあるのだが、ごく一部に限られているようだ。サイコパスという気質があり、他人と共感関係を結び回路が壊れている人もいるようだが、これも一部に限られる。どうやら、いじめが快感を生み出すという仮説は証明できそうにない。
脳に快感をもたらす活動は多岐に渡る。その中でも特に複雑なのが学習に関する活動だ。人間は、不安定な状況で新しい技術を獲得し、状況をコントロールすることに快感を感じる。また、情報の一部が隠されるとそれを埋めて知識を完成させたくなる。これを形式化したのがゲームである。
研究によると、ゲームをしている人の脳では複雑な活動が起きている。側坐核や扁桃体といった快感に結びつく領域とともに、作戦を考える前頭前皮質のような領域が活発に活動するのだという。快感に結びつく回路を報酬系というのだが、報酬系は欲求が満たされた時だけではなく、報酬を得ることができると期待しただけで活性化される。
思い返してみると、騒動の最初のきっかけは「たまたま似ている」デザインがテレビで公表されたことだった。佐野氏がこれを「パクリではない」と主張したために、ネットでは佐野氏が「パクっている」証拠を掴もうとやっきになった。過去の作品から似たデザインがいくつも見つかると「似たデザインを探し、嘘を暴く」というゲームが生まれた。似たデザインを探して公表すると、ネット上では反響があり社会的報酬が得られた。ゲームが拡大するとテレビでも取り上げられる。報酬が増え、さらに参加者が増えた。これを助長したのは組織委員会側だった。状況が過熱したところで、デザインが修正される経緯を発表したのだが、これはゲームに参加する人たちに新しいパズルを提供することになった。
つまり、これは巨大なソーシャルゲームであり、社会協力を通じた学習活動が遊戯化されたものだったのだと言えるだろう。そして、最終的にデザインが撤回されることでコンプリートした。「ラスボス攻略」だ。
ゲームに夢中になっている人は、相手がどのように苦しむのかを考慮していないという点は忘れてはならない。シューティングゲームで人を殺しても罪悪感を案じないのと同じ事だ。実際のいじめを防ぐ為には「できるだけ報酬を与えず」「行われている行為はゲームではないと認識させる」ことが重要だろう。
いずれにせよ、社会協力を通じた学習活動は脳の働きを活発化させる働きがあるようだ。ネットの活用でかつてのようなコストをかけずに、こうした活動ができるようになった。これを社会改革やイノベーションのために活かす事ができれば、世の中を良くする為に役立てることができるだろう。
もともと日本人は社会協力を通じた学習活動に熱心に取り組む国民だ。かつては製造業の現場では「改善活動」という品質管理の取り組みが行われていた。チームで協力して状況を改善すると金銭的報酬の他に社会的な報酬が得られたのだ。これはKAIZENという英語になり、各国に輸出されたほどだった。
ネットを使った社会協力が現状破壊にしか向かわないのは残念なことだ。裏を返せば、企業の生産活動や社会改善では報酬が得られにくくなっているという現状があるのだろう。

女たちはなぜLINEはずしをやめられないのか

LINEいじめについて考えている。今回までの結論は非自発的に作られた閉鎖的な空間では人間関係の単純化が起こるというものだった。しかし、このモデルは選択的にグループを作る母親同士の息苦しい「カースト化」は説明ができない。
もともと、人間の社会は伝統によって体系化されていた。しかし、伝統的な社会は解体し「個人の価値観が」価値体系を決めるような社会が作られた。伝統からは解放されたものの、個人は自由への不安に苛まれるようになる。さらに、選択肢が増えると「他者の動向」を規範として採用するようになった。テレビや雑誌といったメディアによって「他者」は拡大した。選択肢は爆発的に増えたが、選択が難しくなり、不安も増大した。
女性の価値は何を持っているかで決まる。どの街に行き、何を選択するかによって価値が決まるのだ。ところが、その価値を自分で決めることはできない。他者の評価がその人の価値を決める。こうした選び取る力を「女子力」と呼んでいる。何が正解なのかは分からないが、それは確実に存在する。
さらに、ママの価値は「持っている」夫や子供の価値によって決まる。つまり、人がモノのように扱われるのだ。子供に何を着せているか、清潔に保たれているかなど、すべてが評価の対象になる。そのように考えると「どんなママと付き合うか」が評価の対象にならないはずはない。
ぞっとする話だが「ユニクロのシャツが気に入らない」というのと「あのお母さんが気に入らない」というのは同列の話なのだ。ユニクロのシャツについて悪口を言う人が「ユニクロのシャツをいじめている」という意識を持つ事はないだろう。従って、LINEで悪口をいう母親も実は「それが悪口だ」という認識を持っていないのかもしれない。
もちろん、これだけで事態が息苦しくなるはずがない。女性はいつも品定めされているが、自分で価値を決めることはできないし、正解が何なのかもよく分からない。それは価値を決める他者が不特定多数に広がっているからだ。そこでグループを限って、そこで価値基準を決めれば良い。価値基準のはその場にいる人たちや話し合いの成り行きで決まる。最終的な結果が大切なのではなく、話し合いの過程こそが重要なのだ。そこで、そこに集った人たちの選択が正当化されるように物事が決まって行くだろう。集団の状況や成り行きのことを「コンテクスト」と呼ぶ。
妻たちは夫に事細かな状況を話した挙げ句「私は悪くないわよね」と承認を求めることがある。夫はなぜながながとした話が問題と関係があるのかは分からない。女性はコンテクストを相手と共有することで共感を得たいと思っているのである。
ママ友はコンテクスト依存の高い文化なのだと言える。
コンテクスト依存の高い文化では「ユニクロのシャツが気に入らない」と公言している人の仲間が「ユニクロのシャツを着る」ことは裏切り行為だ。そのコンテクストの選択を批判することは、そこにいる人たちの人格を否定し、それまでの話し合いの過程を否定することになるからだ。だからそれは全人格をかけた戦いなのだ。
この時点で、女性たちは、不特定多数の他人からの拘束を受け、さらにママ友たちの拘束を受けている。拘束しているのは他ならぬ本人たちだ。なかには子供が仲間はずれになるからといって、息苦しい拘束から逃れられない人もいるのだという。
スマホの登場で拘束は24時間続くようになった。マルチタスク化の効果で合理的な判断力は鈍り、やりとりは感情的になる。新しい情報は、その人の脳につかの間の報酬を与える。するとやり取りは過激化することになるだろう。
問題の根幹は「選択」と「選択した個人の価値」が不可分に結びついているという点だ。なんとかしてここから抜け出す事ができれば、苦しみを減らすことができるだろう。
しかし、テレビでは無数の企業が「正しい選択」をと迫ってくるし、ランキング番組は常に新しい正解を問い掛けてくる。そこから抜け出すのはそんなに簡単なことではないのではないのかも知れない。