「日本人は品質管理が得意」という嘘

日本には有害な神話がいくつかある。その中の一つに、もともと日本人はモノ作りが得意で、品質管理に極めて熱心だというものがある。確かに真実を含んでいるのだが、たいへん有害な嘘も含まれている。このために「行き過ぎた円高が是正されさえすれば、モノ作り大国が復活する」と無邪気に考える人があらわれた。多分、単純な「モノ作り信仰」を持っている人ほど失望させられることになるだろう。
戦前から終戦後まで、日本の工業製品はたいして品質が良くなかった。特に占領時代、日本製品は粗悪品だとさえ考えられていた。
特に品質にはこだわらず、ただ作ればいいと信じられていたのだそうだ。これを変えたのが、アメリカの統計学者デミングだ。以下『デミングの品質管理哲学 – QCの原点から新たな展開へ』による。(アメリカ側の視点からの著作であり、それなりの「脚色」があるかもしれない)
デミングはアメリカで品質管理の為に統計学が使えるということに気がつき、実践しようとしたのだが、本国ではあまりうまく行かなかった。経営者が品質管理にあまり熱心ではなかったこともあるが、戦後残った唯一の工業国アメリカでは、とにかく何もしなくても作る品物は売れた。だから、特に品質向上に努める必要はなかったのだ。

日本の品質管理神話はアメリカで作られた

1980年代に入り、アメリカの製造業は日本製品に押されて不振に陥ってしまう。そこでデミングは「もともと日本製品の品質は高くなかったが、科学的な品質管理手法を取り入れたおかげで、現在を地位を得た」と主張し、経営者たちに受け入れられた。
1946年にデミングが日本に立ち寄ったときの講演は統計学者には理解されたが、「とにかくたくさん作ればいい」と考えた経営者には理解されなかった。その結果、日本には粗悪品が蔓延するようになる。
アメリカでの経験から、デミングは「品質管理を徹底させるためには、経営者の意識改革が大切だ」ということを痛感していた。そこで、1950年に日本に招かれた時、経団連を通じて経営者に品質管理の重要性を説いたのだった。デミングは「5年以内に世界中の人たちが日本製品を買いたがるようになる」というビジョンを示した。戦後、大陸市場を失っていた日本の会社はこうして彼のビジョンを受け入れた。結果、5年を待たずに「日本の製品は高品質だ」という評判が得られるようになった。

学習することの大切さ

ここまでで学べるのは「学習することの大切さ」だ。高いビジョンがあり、それをどう実践すれば良いかが分かっている時、人は動機づけられる。ただ、一般的に信じられているように「日本人が最初から高品質にこだわっていた」というわけではなく、どちらかというと外国人に動機づけられていたという点もまた重要なポイントだ。
とにかく、日本の産業界は品質管理の重要性に気が付き「デミング賞」を作る。何年かの実践の後、はじめて賞に挑戦できるというような制度だった。デミング賞は、実践ありきの賞として出発したのだった。この段階では、市場に受け入れられたいという動機があり、それを達成するための手段としてデミングの手法があった。
この『デミングの品質管理哲学 – QCの原点から新たな展開へ』が書かれたのは1980年代だ。当時アメリカのモノ作りはすっかり自信を失っており「何が悪かったんだろうか」という模索が始まっていた。その時に「日本人は、実はアメリカ人から品質管理を学んだのだ」ということが知られるようになる。

当初の意欲が忘れられると、活動が自己目的化する

ところが、このころの日本ではちょっとした異変が起きていたようである。『日本的経営の興亡- TQCはわれわれに何をもたらしたのか』は90年代に書かれた本だが「TQC疲れ」とも言える悲惨な状態が書かれている。
賞を取る事が目的化してしまい、品質管理絶対主義のような会社があったようだ。教祖のような学者がいて、宗教のように(これはつまり、何も根拠がないということの婉曲的な表現だろうが)品質管理が信じられていた。品質追求の方法論は固定化され、現実にはそぐわないものになっていった。にも関わらず、各地で「品質管理さえすれば、経営は安泰」というような風潮ができていた。80年代の後半には「日本はアメリカの製造業に勝ち、もう学ぶものはない」と言われていた。この時期を通じて日本のモノ作りの変質が始まっていたのだろう。
もともと品質管理は、顧客に対してより良いものを届けようという運動だったはずだ。ところが、世代が変わると「品質管理さえすればモノは買ってもらえる」というように誤解されるようになった。独創的な発想は消え、デミング賞を取るために、本業そっちのけで働いた末に過労死しかねないというような事態が起きていたと、本には書かれている。(この本はTQCを否定したいというポジションから書かれていることに注意したい)
結局90年代になって「TQCは時代遅れだ」ということになり、代わって「TQM」という言葉が使われるようになった。今でも「職場が一致協力してISOを取得しようという」運動があるように、日本人は集団で1つの目標に邁進するのが大好きだ。
その後バブルが弾け「モノが売れないのは全てバブルのせいだ」ということになった。また円高の影響から「外的環境が悪いからモノが売れない」という主張が聞かれるようになり、現在に到る。

単純な品質神話は慢心を生む

「日本人は手先が器用だから、うまれつき品質の良いものが作れる」と信じている人がいるようだが、こうした考え方は有害だ。日本人が戦後品質管理を徹底したのは、強い動機付けによるものだ。だから動機が忘れられれば、意欲が失われて当然なのである。また、デミングには具体的な方法を通して「品質管理手法」を教えていた。だから、外国人に対して「根性で品質管理精神を植え付ける」という態度も有害だろう。
アメリカは結局アップルのような「ファブレス」企業が成功し、品質管理に目覚めたはずのデトロイトは凋落した。デミングの品質管理手法は「みんなで問題を発見しよう」という手法なので、IT産業など向いていない業種もある。プログラマは毎日他の人と違うプログラムを組んでいるので、集団的な方法が使えそうにない。また「完璧なものを作るまでがんばる」のではなく「そこそこでリリースして顧客と一緒に状況を改善して行く」というやり方の方がふわしい。
自信を失っている時に「実は日本人には優れた潜在的能力がある」と考えるのは別に悪くないと思う。実際に日本の製造業には実績がある。しかし、いったん自信を取戻したら今度は新しい学習を始めるべきだろう。
[2015/7/23:書き直し]