10,000時間

天才! 成功する人々の法則(マルコム・グラッドウェル)という本を読んだ。ここにトップクラスの音楽家について調べたエピソードがある。このエピソードによると、天才とそれ意外の人を分ける資質はただ一つ「10,000時間続ける」ということだけなのだそうだ。ちなみに1日5時間やったとして5.5年分にあたる。そこそこになるためにも8,000時間かかるのだという。
このエピソードだけ取り出すと、いろいろな解釈ができる。例えば、学部を問わず大学の新卒者を連れて来て、10,000時間コンピュータの前に座らせれば(つまり努力さえすれば)天才的なコンピュタエンジニアが量産できることになるだろう。日本人好みの解釈だ。
ところが、残念なことにこのエピソードが言いたいところはそこではないらしい。音楽家のように最初からシゴトとして成立しているものもあるだろうが、例えばコンピュタエンジニアという職業は一昔前には存在しなかったし、存在しても社会を牽引するような存在ではなかった。だから、強制的にコンピュータの前に座らせられた人はいなかった。コンピュータエンジニアで「天才」と言われた人たちはむしろ、大学の目を盗んでコンピュータセンターを占有した。好きでかつ得意だったのだろう。好きな事をやっていた人たちがいたおかげで、コンピュータエンジニアという職業が必要になったとき、そのための準備ができていた人たちがいた。
彼らの共通点は、その時点ですでに「相当長い時間コンピュタの前に座っていた」ということだった。そして、結果的にその人たちが社会の成長を支える事になる。成長点は基本的に予測ができないと仮定すれば、多様性だけが成長を担保する。
さて、現実に目を転じてみる。実際に起こっていることは、就職先を探すために「やりたい事」に没頭できず、大学生活の1/4程度を就職活動に割くという姿だ。誰もが「できるだけ確実な選択肢」を探そうとし、社会的に望ましいとされる人物像に自分を作り替えて行く。この過程で多様性が失われる。グラッドウェルの説を出発点にすると、日本が成長しなくなったのは当たり前と言える。日本の学生は成功のために必要な時間を確保できないし、そもそも自分にとって10,000時間かける価値があるものが何かを考える時間すらないからだ。