アルマーニの起源

アルマーニについて見てみよう。今ではバブルの代名詞として知られている。アルマーニだが、成功したのは新しい市場の開拓に成功したからなのだ。信じられないかもしれないが、その成功はどこかユニクロの成功に似ていて、違っているところもある。テキストとして使ったのはジョルジオ アルマーニ 帝王の美学だ。
ジョルジョ・アルマーニは、1975年に自身の会社を興す前に、デパートで働いていた。かつて西武パルコがそうだったように、ミラノの街が外国からの文化を受容する窓口になっていたようだ。同じ時期1967年にファッション雑誌『ウォモ・ボーグ』が誕生した。全てに前例がないので自分たちで作り上げる余地が多分にあったのだという。
アルマーニはその後、セルッティの元で働くようになり、ファッションの基礎を学んだ。そして1975年にゲイのパートナーでもあったガレオッティ(後に40歳の若さでエイズで亡くなる)に促され自身のブランドを立ち上げた。アルマーニ自身は意外な事に針の持ち方を知らないそうだ。つまり彼はテイラー出身ではなかった。リテイラー出身なので「街で何が流行っているか」ということを形にするのが彼の役割なのだ。イタリアにはこうした職業は存在しなかった。後にこういう人たちは「デザイナー」と呼ばれることになる。
アルマーニの特徴は、スーツから彼が余分だと考えるものを除いてゆく「脱構築的」な考え方と曲線を多用したパターンだ。これが体の線を活かした独特なラインを生む。しかし、保守的な人たちの間では1970年代にはオイルショックによる不況もあり、こうした新しいラインは受け入れられなかった。アルマーニを着ていたのは主に俳優やアーティストといった人たちだ。
彼の服はアメリカに渡った。高級デパートで扱われるようになり、1970年代の終わりまでには俳優達が着るようになった。そして1980年のアメリカン・ジゴロでリチャード・ギアが着たことで世界的に知られるようになった。この図式は面白い。アルマーニはしつらえの高級服に手がとどかなった人たち向けに作られている。セレブしか入る事ができないパーティーや映画を通じて「高級感」をアピールしつつも、一般の人たち向けに作られた服なのだ。この「憧れ」がアルマーニの人気の秘密になっている。「憧れ」が続く間、このブランドの人気は保たれるだろう。裏返せば、憧れが消えたとき、ブランドの寿命も終わってしまうことになる。憧れを作っているのは「情報の格差」である。なので、彼らは情報をコントロールしようとする。
アルマーニは確かに高級品なのだが、既製品であることには変わりはない。ハンドメイドの工業製品なのだ。ピエール・カルダンらがこうしたジャンル – プレタポルテ – を作るまでは、服には一般庶民向けの服か、テイラーが作る高級服しかなかった。つまり、プレタポルテの位置づけは新しい「ニッチ」だったわけである。そしてこういったニッチに飛びついたのは、アーティスト、俳優といった人たちであり、この人たちが後にトレンドセッターとなることで、普通の人たちまでがプレタポルテの服を着るようになった。アルマーニは自分の服は飾るための高級品ではなく、シゴトをする人が着るための服だと言っている。(これについては実際に、お店の人にいろいろ聞いてみよう。本当にアルマーニはシゴト服として使えるだろうか?)
新しいニッチの創出が成功に結びついたのは、ユニクロも同じだ。ユニクロの服はパターン化された工業製品だ。かつて、ファッション業界にはこういった考え方はなかった。全ての製品が多様化・個性化に向かう中で、ユニクロだけが部品化・機能化を指向したのだろう。色も形も単純で比較がしやすい。そして「暖かい繊維」といった売り方は電化製品のそれに近い。デザインが多様化してくるとこんどは逆に「何を選ぶのが正解なのか」が分からなくなる。つまりこちらは、情報が多様化し、どこまでも伝わるようになった時代にあったポジションを獲得しているのだ。スペックはニュアンスよりも伝わりやすいのだ。
ファッション雑誌は(雑誌については別の独立したエントリーをつくろうと思っているのだが)新しいデザインを売るためにそれぞれのメッセージを発信する。すると全体としては混乱したメッセージがつくられ、訳が分からなくなってしまう。ユニクロが解決しているのは「一般庶民にも分かりやすいおしゃれさ」だ。ここに、みんなユニクロを着ているという第三者のメッセージや家族の情報が加わることで、ユニクロが正解なのだと思わせるような空気が生まれたのだと思われる。
ユニクロを見ていて面白いなと思うのはこうしたニッチが意図して作られた訳ではないという点だ。多分正しく認知もされていないし、柳井さん自身もこういう認識はしていないのではないかと思われる。その証拠にユニクロはジル・サンダーと組んだ服を作ったり、アーティストと組んだTシャツなどを発表したりすることがある。マーケティングとしては面白そうだ。
さて、ユニクロは最初から工場から流通・マーケティングまでを一環してカバーしているが、アルマーニはそのようなやり方を取らなかった。最初はGFTという会社を通じて流通を行なう。SIMのような会社と提携して品物をつくってもらっていた。そしてライセンスという比較的新しいやり方を通じて、各地のデパートに品物を卸していた。成長するに従って、アルマーニはいくつかの拡張戦略を取る。一つはこうした流通や製造の過程を自前化することだ。ジーンズやカジュアルラインを作っているSIM(現在はSIMINT社)は、1989年に20%の株式をアルマーニ社に取得され、1994年までには90%以上の株式がアルマーニに保有されている。日本にアルマーニを持ち込んだのは伊藤忠商事だった。主にデパートで売られていたのだが、直営のショップが出来始め2000年代に入ると銀座にアルマーニタワーが作られた。
もう一つの成長戦略がラインの拡張だ。イタリア軍人に服を着てアマチュアモデルになって貰ったことから軍服などにインスパイアされエンポリオ・アルマーニが作られる。ビジネスマン向けにコレッツィオーネが出来る。そして若年向けにアルマーニ・ジーンズや、A|Xといったブランドが立ち上げられた。最後には、ホテル、スパ、家具などと多角化路線を突き進んでいる。
ユニクロが柳井正さんの強烈なリーダーシップによって支えられているように、アルマーニも、パートナーの死後はジョルジョ一人が支えている。評伝には彼の「病的」ともいえるコントロールについての記述がある。ファッションショーに使われる素材はすべて本社から送られ、全ての最終判断はジョルジョが行なう。コンセプトはジョルジョの頭の中にしかないのだ。部下を叱責する姿は、例えばアップル社のスティーブ・ジョブズを思わせる。部下は完全に「手足」となることが期待されるのだ。つまりこれは同時に彼らが死んだ後、ブランドの行く末に問題を抱えているということになる。
さて、情報という観点からまとめてみよう。アルマーニのようなデザイナーズブランドは、選ばれた人たちの物でしかなかった情報を小出しに一般に流出させることで裁定取引(アービトラージ)の機会を作り出していた。しかしユニクロはアービトラージがなく、かつ情報の取捨選択が難しい状況で選ばれやすい服を市場に提供している。背景には情報価値の暴落(情報のデフレ)がある。だからユニクロを模倣したい企業は、その安さを分析するのではなく、企業がどのような情報環境でどんな情報を提供しているのかを分析すべきだろう。

ISTJ, ISTP

ISTJ

義務を果たす人。手許のメモにはファイナンシャル・オーディターと書いてある。多分、法律や会計上の規則といった「こうでなくてはいけない」ということに対して忠実だからだろう。現実的で頼りがいのあるタイプだ。一度、こうすべきだと決めたら、抗議されてもいっこうに自分を曲げないのだそうだ。

ちなみに勝間和代さんの本を立ち読みしたら(Twitterで、この人がMBTIを紹介しているということを知ったので)勝間さんは30歳のときにESTJだという結果が出たのだそうだ。ESTJもプロジェクト・マネージャータイプだそうなので、決まったゴールに向けて自分の資産を活用してゆく資質のある人なのだろう。

こういうタイプの人たちは、一度「こうだ」ということが決まると、そこに向けて邁進するきらいがある。世の中が勝間さんみたいな人たちばかりになると、大きなゴールは決められないのに、現場には精密な機械のような人たちがあふれているような社会ができ上がるだろう。多分、そこがあの人の本の弱点になっているのではないだろうかと思った。逆に勝間さんの本が売れるのは、日本にはリーダータイプの人が少ない一方、フォロワーや中間マネージャの役割を期待されている人が多いということだろう。「S型」の人たちは具体的な情報を好む。大局(マクロ)でものを見ようと思うとN型の直感力が必要になってくるはずだ。「大企業の男性正社員」は、この大きい視野を持つ事をある意味強制されることになる。うまくこうした視野を作る事ができればリーダーになれるだろう。これは生得的に男性がリーダーにむいているということではない。社会のフィルタリングによってこうした傾向が生み出されるということだ。いわゆるジェンダーの問題だ。一方、そうした役割を期待されていなかった女性は自分たちでこうした視点を獲得することがあるだろう。

大前研一さんのような一部のスターパートナーを除いて、マッキンゼーのマネージャーが「大局的」な視野を持つように強制されることはあまりないと思う。マッキンゼーだけでなく、外資系にはこうした人たちが多いのではないだろうか。必要なのはプロジェクト管理能力や効率といった知識だ。Nの人たちがこうしたSの知恵を見ると、「戦術的だ」と思うに違いない。しかしSの人たちにとっては戦術が全てなのである。こうした戦術を総動員して効率的に生き抜くことが戦略になっているのである。

私はこうした違いは、デザインの現場でも出てくると思う。たいていのウェブサイト制作会社ではフレームワークを作る人と実際のデザインを作る人が別れているはずである。フレームワークを作る人たちをインフォメーション・アーキテクトと呼ぶ人もいる。デザイナーが大局的な視野を持つようになると、アート・ディレクターと呼ばれるようになる。しかしこの人たちは全ての成果物に対して細かな指示を与えつつ、全体の統一感を守ることを「大局的」と考えるだろう。フレームワークを作る人たちはコンセプトや全体の位置づけを骨組みで捉えており、細かなディテールにはあまり意味がないのである。

ISTP

さてこの世界では「効率」という問題が関心を集めるようだ。ISTPはムダなことはしないタイプなのだという。しかしJがPに変わってしまっているので、「unexpected flashes of or original humor」という記述がある。英語で書くと優しいが、要は時々独りよがりのユーモアがわき出してくるということだろう。Iなので「何が面白いのかさっぱり分からない」ということも多いのではないだろうか。機械のようなものに興味があり、新しいことはとりあえず試してみたくなるということだ。Wikipediaには俳優の名前が何人か出てくる。

このわき出してくるようなユーモアというところにI(内向性)を理解する鍵があるように思える。つまり行動の動機が外側(例えばテレビを見た)からではなく、内側(何か面白いことを思いついた)からわき上がってくるということだ。このIPという組み合わせは、外からの刺激によって行動するE型の人や、常識で判断するJ型の人には堪え難いことに違いない。こうした「理解できない」という気持ちがコミュニケーション上の摩擦を生み出す。

勝間さんの本に戻る。現場マネージャータイプの人に必要なのはもしかしたら「自分の出世や生き残り」の為に自分がどういったタイプであるという現状認識があれば十分なのかもしれない。しかし、もう少し大きな組織のリーダーになるためには、いろいろな特性のバリエーションがどのような表現形となってあらわれるかを研究する必要があるだろう。EJの人たちがIPの人たちの理解に苦しむようにちょっとした形の変化がコミュニケーションの問題を引き起こすからだ。

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ISFJ, ISFP

ISFJ

WikipediaでMBTIごとの有名人というセクションがある。見ていて、うーんと思った。実際にテストを受けていない人もいるわけで、どうやってタイプ分けしたんでしょうね。さてさて…このISFJにあたる有名人の記述がないんですよね。
静かなタイプなのだが、かなり現状維持型の保守的なタイプらしい。SでJなのだから当たり前とも言える。この人がいるとプロジェクトは安定性が増すだろう。Fなので人の気持ちは分かるはず。注意書きがある。「細かい事(テクニカルな)主題」について注意を払う事と書いてある。これ細かいと訳すか、技術的なと訳すかでかなりニュアンスが変わってきそうだが、TでもNでもないので技術的で細かいことは分からないだろうということは容易に理解できる。

ISFP

引き蘢った感じで、自分の意見を押し付けたりはしないタイプだそうだ。リーダーとはならず、フォロワーであることが多い。今を楽しむタイプで、必要もなく張り切ってシゴトを終わらせようという意欲はないそうだ。
つかみ所ないなあ。ここらへんも「典型的な日本人」っぽいのだが、外向性なのに表面的にこうした人のフリをしているタイプも多いのだろうな、とは思う。逆に内向性だったのに、周囲の期待からリーダーに祭り上げられたりすることもあるだろう。特に調和を重んじる日本社会ではありそうなことだ。
こうした場合やり方は2つある。1つは新しい役割に向けた価値観を獲得する事。もう一つは自分の役割を知っていて、それにあった環境を準備することだ。今どういう性格特性を持っているかということと、これからどうなるかということは必ずしも同じではない。そのためには今の自分の位置は知っておいた方がいい。
もう一つ重要なのは、チームがリーダーだけで成り立っているわけではないということだ。終身雇用制はまがりなりにもこういったチームを作るための枠組みを準備してきた。それは特性や役割によって損をする人ができないようにすることと、長期的に利害を調整する仕組みだった。やがて全ての人に利益を分配できなくなると、この枠組みが崩れてゆく。どういう性格特性の人たちが非正規化したのかは分からないが、1/3が非正規という現実を見るとある特性があるに違いない。しかし、だからといって非正規化しないような性格特性を目指そうというのは間違っている。例えば黙ってルーチンワークをこなす人たちが非正規化したと仮定し、プレゼンテーションが得意な外向型と現実を重視する調整型が正規として残ったと仮定してみる。しかし、プレゼンテーションと調整だけで現場が回るわけではない。
プレイヤーとして参加する人たちは、自分の性格特性を読み解くとよいだろう。しかしリーダーになりたいと思ったら、それだけでは不十分で、いろいろな性格特性を知る事が大切だろう。

INFJ, INFP

INFJ

忍耐強く、望まれていることを成し遂げるタイプ。努力を惜しまない。静かで、他人のことを慮る。公共のために強い信念を持って行動する。なにやら、日本人の美徳が詰まったようなタイプ。I型なので、いろいろうるさく話をしたりはしない「不言実行型」。なぜ、TがF(感覚型)に変わっただけで集団で望まれるタイプになるのかは分からないが、昨日のINTJに比べると扱いやすそうだ。

ここに日本の社会が持つ強みと弱みがあるように思える。Jは現実重視型なようなので、新しい知識や概念にはあまり関心を持たないはずだ。変化が少ない場合にはこれでよいのだろうが、変化が大きい社会では問題が出てくる。しかも思考でなく感情で物事を捉えるので「なぜ、こういうことが起こったのか」ということはよく分からない。加えてIであまり多くを話さないので、お互いが何を考えているのかが分からなくなってしまい、社会不安を引き起こすのではないか。暗黙でも伝わるためには経験などを共有する必要があり、多様な他者が集まる場所では居心地が悪く感じる可能性があるかもしれない。

INFP


熱意と忠誠心に満ちているのだが、お互いを良く知るまではあまり話さない。学習、アイディア、言語(概念的なものに関心を示すのはP型だからなのだろう)といったような小さめのプロジェクトを好む。社交的ではないので、いつの間にかシゴトが片付いている感じだそうだ。物欲や所有欲はない。

同じような不言実行型のタイプだが、JがPに変わっているので新しい事が起きてもあまり動じないのかもしれない。

さて、アメリカには、外向性が75%・内向性が25%とか、感覚型が75%・直感型が25%という結果があるそうだそうだ。どうやら1960年代の調査らしい。MBTIは生物学的な指標ではないので、社会的な価値観が反映されやすいことは容易に想像できる。アメリカは「自分を積極的に表現してゆこう」というプレッシャーの強い社会なので、この分布が日本にも当てはまるかどうかは分からないのだが、少なくともアメリカではINは少数派のはずである。

「ENTJ – $84434」でGoogle検索していただくと分かると思うのだが、どうやらタイプごとの年収についての数字が出回っているようだ。原典が何で、いつごろの数字なのかはわからなかったので、引用はしないことにする。しかし、タイプによって年収が違うのだったら、年収が高いタイプになりたいという人も出てくるかもしれない。

特に、日本は和を重視して、みんなが損をしないようにする社会を作り上げて来た。しかし自由競争が始まると、どうしても外向的で現実を重視する人の方が「有利」になるように思える。それに加えて「こういう人格を持つのが、正解だ」というような認知が流布すると、MBTIは一人歩きするかもしれない。


ちなみにwikipediaには有名人でこのタイプの人というコーナーがある。INFJにはガンジー、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、アルベルト・カミュという名前がならんでいる。社会がおかしいと感じたら、それを変革するためにたゆまず努力する人たちだ。この一群の人がいなければ、インドはカースト制のままだったかもしれないし、アメリカや南アフリカの黒人達も差別されたままだったかもしれない。必ずしもこの人たちが経済的に成功したかどうかは分からないのだが、それでも社会に必要な資質を持った人たちだということがいえるだろう。 INFPにも『1984年』で有名なジョージ・オーウェルやダイアナ妃などがいる。

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INTJ, INTP

INTJ


がんこ、批判的、独自性のある考え方をする。プロジェクトを整理して、人の助けのあるなしに関わらず任務を遂行することができるタイプだそうだ。詳細にこだわらず、譲るところは譲る気持ちを持つ必要がある、とのこと。「J」なので当然、常識的な判断をする。唯我独尊。手許の資料にはプロジェクト・マネージャーという走り書きがある。

さて、これまでのE型とのいちばんの違いは、これから紹介する人たちが「I」だということだ。Introvertの頭文字で、日本語でも英語でも「内向的」というと、暗いヒトというような意味で使われることが多い。英語でも、「日本人は内向的だ」(つまり、思っている事を口に出さない)という意味で使う。日本人なら誰でもしっている事だが、思っていることを口にしないからといって、おとなしい人というわけではない。影ではとんでもないことを言っているかもしれない。MBTIの内向性はこれとは異なるように思える。


Eの人たちが外側から価値観を持ってくるのに対して、自分の内側に価値観がある。これがINTJの人たちを「我が道を行く」にしているようだ。自分の価値観で現実を直感的に捉え、その価値観に合うように現実を変えてゆこうとするわけだ。これをEが強い人が見ると、「わがまま」な人に見える。逆にIの人から見ると、Eは「自分がない」ように見えるはずだ。

INTP

なぜだか良くわからないが、静かな人なのだそうだ。私のタイプの内向性が強いタイプ。理論的で科学的な主題を好むというのはENTPと似ている。細かい部分に理論的なので「博士」みたいな人なのだろう。細かい点にこだわりが大きいので、好きな事を追求できるようなキャリアを積むのがよいそうだ。どうやらJの人たちが現実的なことに興味を持つのに対して、Pの人たちは「可能性」やら「未来」やらを追求したいみたいだ。

このように、これから広がるIの人たちは、Eの人たちに比べ、何かと扱いにくく、キャリアに一工夫が必要なことが多い。これが、一般的に言われる好きなことをし貫き通した奴が負けという評価につながる。これは考察に値する。この文章に書いてある、観客目線はE的な態度だ。周りの人が面白いと考えたことが面白いという価値観だ。これがなりたつのは、日本のお笑いが即物的で刹那的だからだと思う。また集団内の秩序が乱れるのを嫌う傾向が強いので、全体の空気を読んで違和感がない会話を選択する人が人気ものになることができるということなのかもしれない。さらに教育機関と言っても、企業の論理が入る以上は大量に効率よく人材を輩出しなければならないのだから「マーケットに合わせて」といいたくなる気持ちも分かる。

この文章にはマイケル・ジャクソンの例が出てくる。マイケル・ジャクソンは幼少期に周りの大人達から「期待されるべきマイケル像」みたいなものを押し付けられたのだと言われている。子役にはそういうところがある。本来この人がIかEかは分からないのだが、人に期待されるままに自分を演じていると、自分が何者なのか分からなくなってくるかもしれない。ネバーランドを作ってコドモと遊んでいたところからコドモとしての自己像を持ち続けたのかもしれないし、最後には肌を白くして、整形を繰り返した。そこまで深刻にならなくても「受けるお笑い」ばかりを追求するあまり、自分が一体何をしたかったのか分からなくなる人も出てくるだろう。
最近、アンディ・ カウフマンを題材にしたマン・オン・ザ・ムーンを見た。この人は典型的な「内向型」のようだ。幼い頃から一人芝居が好きで(つまり、人が見ているから面白いことを言うわけではないのだ)、そのギャグは独りよがりだった。テレビが壊れたような映像演出をして「この番組は放送しない」とABCに言われたり、テレビでおなじみのギャグを期待する観客に対して、延々と華麗なるギャツビーを読み、客が誰もいなくなるまで語ったりした。確かにこうしたギャグはテレビには向かないかもしれない。しかし当時のアメリカにはショー・パブや自前講演の機会があり、カウフマンは最後まで自分が面白いと思うことを貫き通した。というより、そういうやり方しかできなかったのかもしれない。最後には肺がんに冒され35歳で亡くなってしまうが、あのまま生き続けたらどのような喜劇人になったのだろうか。

内向性でも(自分のやりたい事を貫き通しても、と言い換えてよい)後世に名前を残す芸人になることはできる。人はときにものごとには正解があり、それに沿わないことはよくないことなのだという強固な信じ込みを持ちやすい。また、世の中に余裕がなくなると、こうした「難しい人たち」を排除してしまおうという動きが出てくることもある。確かに自分の傾向を知った上で、変わってゆこうと思うことは大切だ。自分の特質を活かした活躍の場所を見つけるのもまた重要なことなのである。つまり多様性が重要なのである。

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だらしない人ほどうまくゆく

MBTIシリーズの中で「J」と「P」という要素が出て来たのをご記憶の方も多いかもしれない。現実の規範を重んじるのがJで、外部要因を受容できるのがPだ。事務処理に向いているのはJだが、発明家や企画者にはPの方がいい。いいかえればコントロール可能な部分をきちんと管理できるのがJで、コントロール不可能な部分と向き合ってゆけるのがPということになる。
ご紹介する本はだらしない人ほどうまくいくという本だ。
まず、きちんとするには経費(コスト)がかかる。机の上にある散乱したものを片付ける時間もコストだし、きちんとしたスーツも高くつく。さらにきちんとすることに意識が向くと、だんだんある一定の経路に従ってしか物事が考えられなくなる。
そもそも人間の脳はそのようにできている。常識とか慣れということもできるし、発想の観点では「思い込み」と呼ばれる。すると大胆な発想が生まれにくくなる。また、不意の事件に対応できなくなる。これは柔軟性を奪うばかりではない。時にはこうした不意の事件から大きな儲け口が生まれたりもする。こうしただらしない人たちの机は散らかっており、大抵こういう人たちは「生産性が低い」と見なされる。しかし、たとえばこのランダムな状態から「ふとした思いつき」が生まれることもあるわけだ。
また、ちゃんとしていることに生き甲斐を覚える人がでてくると厄介だ。管理職とは書類の様式が整っているかをチェックする人のことだと思っている人がいる。こういう人は書類をチェックするのに忙しく、話を隣の部署に通していなかったりすることがある。ちゃんとしていることが好きな人は、できる(つまりコントロール可能である)ことをついつい追いかけてしまうので、コントロールできない事は後回しにしてしまうのだ。このような人たちがたくさん集ったのが「市役所」や「県庁」といったお役所だろう。この本には「ちゃんとした人がたくさん集って、結果的にだらしなくなってしまう」組織のことが書いてある。
ちゃんとしていない人を支える技術も出て来ている。今でもウェブ・デザイナー向けの雑誌を読むと「IA(インフォメーション・アーキテクチャ)をきっちり構築しましょう」という記事が出ている。しかし、この考え方は崩壊してしまったと考えてもいいと思う。それはGoogleが登場したからだ。Googleは情報をスキャンし、ユーザーは思いついたときに好きなキーワードでサイトにアクセスする。そこには構造的な決まり事はない。つまり記憶できる情報の量が増えて、アクセス性が増すと、構造は無意味になってしまうのである。
さて、日本がこれだけ硬直化しているのは、コントロール不可能な要因が急速に変化しているのに、コントロール可能なところばかりを議論しているからだろう。またJALの例で分かるように「ちゃんとするコスト」が高くなりすぎて、支えきれなくなってきている企業も多いのではないかと思われる。おまけに、目立った起業はなく新しい雇用も創出されそうにない。
こうした時には「戦略」は立てられない。代わりにできることは周囲の状況に耳を澄ませて、いろいろな人の意見を聞きながら、場当たり的にでもいいから何かを試してみることだろう。付け加えて、もし何か突発的な機会があったら「それは予定していたことではないから」と排除するのではなく「面白そうだ」と検討してみてもいいかもしれない。必ずしも立派な事業戦略を立てれば、企業が立ち直るとは限らないのである。

ESTP, ESTJ

ESTP


何が来ても慌てない人。機械いじりとスポーツが好き。長い説明は苦手で保守的。いちおう、手許の資料を訳してみたのだが、よく分からない。こういう人、周りにいますか?あまり、リーダーとしては使えないタイプのように思える。だけど、機械のメンテナンスとか日々の作業はこなせそうな感じにも見える。もしTP型を指向するなら直感でばりばりと判断すべきなのだろうけど、この人はどうやらSなので、現実的なディテールを好むみたいだ。でも、ちょっとよく分からない。
どうやら短期集中型らしい。確かに、すべての人が「大きな絵」ばかり描きたがり、戦略作りばかりしていたのでは現場は破綻しそうだ。しかし、だからといってちいさなシゴトをやりかけて放り出されてばかりいると困る。現実的になるのであれば、PよりもJに徹した方がいいように思える。

ESTJ


実際的、現実的、役に立ちそうにないことには興味を持たないが、応用は得意。整理整頓を好み、他人のことを考えることができたら、よいアドミニストレーターになれるような能力を持っている。資料にはプロジェクト・マネージャー向きという走り書きがある。こういう人は具体的に想像ができる。
ネット上の資料を見ると、これを裏返したことが書いてある。すなわち仕切り屋。鍋奉行みたいな感じ。
これで、Eは終わり。どうやら大きな絵を描く戦略家・重役タイプの人から、現場のことを細かく面倒見る人まで様々なバリエーションがあることが分かった。手許の資料は右にESTPがあり、左にENTPがあるのだが、どうも「現場監督」から「戦略家」まで順番に並んでいるような印象を受けた。また、それぞれの能力にはコンパチビリティがあるようにも思える。
もう一つの洞察は、自分がどういう資質を持っているのかを知っておくのは大切なのではないだろうかということだ。日本ではMBTIはあまり知られていないので、就職対策としては役に立たない。しかしながら、例えば、長期的なビジョンを立てることが得意ではないのに戦略コンサルタントになりたいと考えても、あまりよい結果は生まないだろう。

一方、他の資質を知る事によって、自分がなりたいシゴトにはどのような能力が必要なのかを客観的に見る事もできる。例えば、デザイナーのようなシゴトには現実と細部をありのままに観察する能力が必須だと思う。(今は半分しか見ていないのだが、I型の人の方が向いているかもしれない)もし、物事を大枠で捉える人が、どうしてもデザイナーになりたいのであれば、物事を細かく見る訓練をすればよいということになるだろう。
実際にシゴトをして「現場でプロジェクト監督をしながら」「デザインもこなし」「企画書を書く」というような人がいたとして、自分は何で一流を目指すべきかということを考える場合にはこうした人物のフレームワークを研究したり、人に聞いてみてもいいかもしれない。(チームメンバーの中にはちゃんと観察している人がいるはずだ。)

ESFP, ESJF

昨日までのグループはENだった。外向的直感型だ。これがESに変わるとどうなるだろうか。物事をフレームワークではなく、細かなディテールに満ちた存在として捉える人たちだ。

ESFP

楽しいことが好き。スポーツが好き。みんなでわいわいするのが好き。手許にある資料を見るとそんな人物像が浮かんでくる。周りを察知して何が起こっているのかを事細かに感じる事ができるのが利点なのだろう。理論は苦手なはずで、具体的に見せてほしいと思っているかもしれない。大きな絵を描くというより、現場のマネージャーとしては良さそうに思える。
これを読んでいて思い出したのは、ピーターの法則だ。人は出世すると、いずれ「無能レベル」に至るというやつだ。しかし実際には直感型で大きな絵を書く人たちが現場でくすぶっていることもあるだろうし、現場の細かいマネージメントが好きで現実的な解決策を作るのが得意な人が、経営幹部になってしまうこともあるだろう。コンセプトしかないパワーポイントを見せられて「で、具体的にはどうなの」と聞く人がいる。具体例があるんだったら企画書なんかだしとらんちゅーの、と心の中で笑いながら愛想笑いをするということになりかねない。

ESFJ

さて、これがJになるとどうだろうか。5年前に受けたテストではESFJと診断された。
さらに現実的なタイプだが、ここではSとFのバランスが取れているように思える。人の気持ちが分かるので、カウンセラーやコンサルタントなどに向いていると言われる。何か相談があってそれを持ってゆくと、親身になって具体的に答えてくれそうなタイプだ。また、調和を重んじるので現場も和やかになるだろう。なぜか「褒められるとうれしい」と書いてある。どうしてだろうか。人々の暮らしに直結した具体的な事柄を好み、抽象的な概念にはあまり興味がないのだそうだ。

個人的な経験から言えることは、こうした特性は先天的なものというよりは、後天的に獲得できるものではないかということだ。ユング派の説によると、劣等機能は躾けられない馬のようなものだそうだ。だから感情型の人が思考を模倣することは「周りから見ると明らかに変なリクツなのだが、本人は大まじめ」というような結果を招きかねない。しかし、いったん獲得してしまうといくつかの役割をこなす事ができるようになる。例えば、現場にも目配りしながら、大きな絵も描けるといった具合だ。
逆に、人生の転換点を迎えずに、一つのキャラで押し通してしまうと「人の気持ちが分からず、応用の利かない」人になりかねない。終身雇用下のサラリーマンは会社に入ると挫折無く一生を過ごすことが多く、一つのキャラのまま60歳まで過ごす人も多いのではないだろうか。組織の外でシゴトをしている人はそういう訳には行かないだろう。
また、MBTIはスケールなので、どちらかといえば外向的という人も、極端に外向的という人もいる。
いよいよ明日は外向性の最後の一群をご紹介する。現実的な思考型の人たちとはどういった性格なのだろうか。

ENFP, ENFJ

ENFP

昨日のENTPは「考える」すなわち客観的な理解をもとに行動をする。ENFPは、熱心な活動家ではあるが、理解が主観的だ。それは、考える代わりに感じるからだ。外向的で飽きっぽく主観で考える。つまり暖かくてよい人ということになる。いつも面白いことを考えているので人気があるかもしれない。
ENTPと同じく、飽きっぽいことは欠点になり得る。別の資料には考えるの苦手なのに考えるから、ひどく理屈っぽくなることがあると書いてある。ユングのタイプ理論による劣等機能というやつだが、ユングの研究者は、感情、感覚、思考、直感を並列に扱うので、劣等機能は1つということになっている。つまり、ENTPであっても思考が苦手でない人はいるのではないかと思われる。
手許の資料では、ENFPはWarm, enthusiastic, high spiritedと書いてある。多分、悪い人ではないだろう。

ENFJ

Pは新しいアイディアを許容するが、これがJに代わるとどうなるだろうか。責任感があって、人に共鳴する人なのだそうだ。どちらかというと他人のニーズの為に行動するので、グループ全体が困らないような解決策を好む傾向がある。社交的で常識人の「よい人」だ。よい人さ具合は、ENFPと変わらないが常識人というところが異なる。
欠点は、主観的であるところだろう。批判や賞賛に大きく反応するということは、外からの評判に弱いということでもある。リーダーシップはあるのだが、その質はTタイプの人たちとは異なる。家族的経営の中ではよいリーダーシップを発揮できるのかもしれないが、大きなチームや競争的な企業のリーダーには向かないかもしれない。
もう一つの特質はEへの理解だろう。Eは外向性という意味なのだが、口語では「明るい、いいやつ」という意味で使われることが多い。しかし心理学での外向性という言葉の使い方はこれとはちょっと異なっている。情報の流れが、外から内へというように使われる。この外向性が現れているのが、このENFJではないかと思われる。
規範の基準が外部にあるので、得てして「自分は本当は何がしたかったのか」が分からなくなってしまう可能性がある。考えるタイプは客観的な情報をもとに状況判断をするのだが、感じるタイプはそこが顕著になりがちだ。すると、1人では何も決められなくなる恐れすらある。こういう人が理屈で理論武装すると、論理はめちゃくちゃなのだが、言っている本人は至極まともな理屈だと考えるだろう。それはこのタイプの人たちが他人の理屈も「感情的に聞いている」からだ。普段は問題が表にでないが、いざ口論となると思考タイプの人は愕然とするかもしれない。感情タイプの人へ「実は理屈が全く伝わっていなかった」ことを突如として知るからだ。
故に、チームのリーダーを決めるときには予めこうした傾向を知っておく必要があるのかもしれない。

ENTP, ENTJ

得意なことをやっていると時間を忘れるという経験をしたことがある人は多いと思う。それでは何が得意なの、と聞かれてもちゃんと答えられないことがある。これを埋めるフレームワークがMBTIだ。日本ではMBTIが権利を持っている。しかし、フレームワーク自体は簡単なので模倣もしやすい。日本MBTI協会はこれを「MBTIもどき」と呼んでいる。もどきの一例がこちら

ユングのタイプ論を基礎にしているのだが、ユングはこれをマトリックスにして人間の類型を作ったりはしなかった。ユングのタイプ論から来ているものは、外向・内向、感覚・直感、指向・感情だ。それに、独自の、規範・柔軟という指向性が加わる。ちなみに私は昔受けたときにはESFJだった。最近Facebookの「もどき」を受け直してみたところ、ENTPという結果が出た。設問の内容の構造が簡単なので「職業的に理想的な人物像」を意識すると結果が変わることがあるらしい。

ENTP


ENTPは、新しいアイディアが好きで、創造力に富むタイプだ。今あるものを改良するより、全く新しいものを追い求めるのが楽しいと考えている。手許にある資料を見ると、知的で問題解決能力に優れ、議論を好むと書いてある。外向性なので「人が何を欲しているのか」を探るのもうまい。

しかし、この傾向には悪い面もある。現実を気にせず、安定感に欠け、次から次へと中途半端に新しい事に挑戦するということだ。しかも、ルーチンワークを嫌うので、退屈すると「もっと新しい事はないかなあ」とどこかに飛び去ってしまう可能性もある。

ENTJ

ENTJは、上記の性格のPをJに変えたもの。ENTPは、まだ世の中に出ていないものに対して関心が向くが「J」の人たちは既存の枠組みを尊重する。議論好きでリーダーシップがあり飽きっぽいという点には違いがない。自分の正しさを議論によって証明しようとする。

この飽きっぽくて現実的な問題にあまり関心を持たないという性質は、Nから来ている。Nは直感型だ。Sの人たちの現実は細かなディテールにあふれている。例えば、誰かに会っても、髪型とかシャツのディテールとかを覚えている。しかしNの人たちの現実は「スケルトン」のようなものだ。だからこそ直感的な判断ができるのだが、この現実感のなさが裏目に出ると、細かい気配りができない人ということになる。
よく「大きなビジョンを語るのはうまいが、細かなところのツメが甘い」政治家を見かけるが、こういう人はENTJだと思っていいのではないか。

この2カテゴリーの人たちは、デザイナーや職人のようなディテールに時間をかけるような職業は向いていない。またパワーポイントの絵を描く事はできるかもしれないが、それを細かい施策に分解するのは苦手だろう。つまり政治家にはなれるかもしれないが、官僚のようなシゴトはできない。

一方、ENTPのいない世界では、デザイナーは完璧を目指していつまでも「何に使うか分からない」作品を作り続けることになるだろうし、プログラマはいつまでもバグを取り続けるだろう。そして官僚も細かな点にこだわり過ぎるあまり、全体最適には目が向かなくなるだろう。

イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材は、実務的なグルーピングだったが、このMBTIもクリエティブなチームを作るのには欠かせない。

また、政治の問題を見る時にもこの性格類型は役に立つだろう。民主党は机上の空論ばかりを振りかざしているように見える。この政党は、理想(マニフェスト)と議論の政党だったのだが、政権を取ったら、対局を失わないように現実的なタッチを与える必要があるわけだ。当たり前なのだが、組織を円滑に動かすためには組み合わせとチームワークが求められるのである。
このシリーズ、気が向けばあと7回つづく。

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