中年の危機

ユングは、40歳前後に多くの人が社会的な目標というものが人格の縮小という犠牲を払うことによってのみ達成される、という本質的な事実を見逃してしまう」ことがある可能性を指摘する。これをそのままにしておくと、50歳前後に狂気となってしまう時期が訪れることがある、という。
この「人格」という言葉は注意深く捉える必要がある。これは必ずしも社会的に立派な人ということを意味しない。人は社会生活を円滑に行なうためにある種の仮面を身につけている。それはペルソナと呼ばれる。外面(そとづら)と呼んでも良い。このペルソナがその人そのものと同一であればよいのだが、たいていの場合そうはいかない。中年期に入ると人格のずれが顕著になる。ずれに気がつかないまま過ごすと、取り返しのつかないことになる可能性があるだろう。
ユングは、多くの治療体験に自らの体験を加えてこの結論に達する。38歳の時に自らの信じる道を行くために、フロイトと決別した。同時にアカデミズムとも遠ざかり、引きこもりの期間に多くのものを失うことになる。この引きこもりが心理学の「ユング派」の源流になった。
本の中に45歳のビジネスマンの事例が出てくる。彼は立派な業績を残して引退した。しかし隠居生活に入った時から精神的な苦痛を感じだした。やがてビジネスの世界に戻るのだが、仕事への情熱は戻ってこなかった。精神病の治療というと元の状態に戻ることを意味しそうなものだが、この人の場合はそうではなかった。それでは、一体それは何なのか。

それは、意識が異常な段階にまで高揚し、そのため無意識から大きく離れすぎてしまった場合にのみ有効である。[中略] このような発展の道を歩むのは、人生の半ば(普通は35歳から40歳くらいの間)より前ではほとんど意味がない。もし、あまりに早く踏み出したとすると、決定的な害を被ることもある。

ユングはこの高揚を過大成長と名付け意識の新しい水準であると結論づけた。別の箇所では治療が終わり「創造的可能性」を発展させるとも記述する。創造性を扱った人は多くいるのだが、崩壊や危機に見える状態が創造の萌芽だと考えるひとはそう多くないかもしれない。
新しい水準の向かう先が「個性化」である。

個性化という用語を、それによって人が心理学的な意味での「個人」になる過程、すなわち単独で、それ以上には分割し得ない統一体、あるいは全体になる過程を意味するために使用する。

ここで、この言葉を鵜呑みにすることを避けると次のような疑問が浮かんでくる。

  • そもそも、人は生きる意思や目標を自明のものとして持っているのだろうか。
  • 果たして、人間は一律に個性化を目指すべきなのか。社会的に適応している状態の方が幸せなのではないか。
  • それはあらゆる対価を払っても価値のある目標なのだろうか。

まだ若い状態から「生きる意味がわからない」と言っている人たちがいる以上、これらの疑問は注意深く取り扱われるべきだろう。また、ペルソナと折り合いをつけながら、だましだまし死を迎えるという生き方もあるはずである。(それが、テレビの前で「昔は良かった。今の若い奴らは…」という姿勢であったとしても、だ。)ただ、やむにやまれず、個性化の過程に向かう人もいるはずだ。それには「治療」や「原状回復」以上の何かがある。
この個性化の過程は「夜の航海」とも例えられる。指標になるものがなく、どれくらいかかるか、どこに向かうかもわからないからだ。それは喜ばしいものではなく、ひどい時には精神的な危機として表出する場合も多い。人が生まれるときに生命の危険があるのと同じように、苦しみの多い「生まれ直し」であるともいえるだろう。
この「夜の航海」が、社会全体にとってどう有益なのかはわからないのだが、人によってはこの道を通らざるを得ない。「やむにやまれぬ」という言葉で言いたかったのは、そういうことである。

パウル・クレー 絶望がつくる芸術


人の略歴を探りながら20分くらいで画集を見るのは、なんというか冒涜に近いような気もする。引き続きパウル・クレーについて考える。音楽か絵画かという選択肢から絵画を選び、育児をしながら主夫として創作活動を続けた画家だ。チュニジアに旅行したあたりが転機になった。色彩感覚に目覚めて、以降さまざまなスタイルを模索した。
絵画は抽象的だ。感覚的に書くというよりは理屈の上に成り立つ創作を行なっていたようだ。絵画の中にしばしば記号的な要素が見られる。毎日日記を書きつつ理論構築を行ない、バウハウスで教えたりもした。『創造的信条』という論文の中で「芸術とは目に見えるものを再現する事ではなく、見えるようにする事」と語る。しかし単なる理論家ではなく、「神秘家」としての側面もかいま見せ、これを統合することが大きなテーマの一つだったのだという。このあたりはユングにも似ている。
しかし、ナチスはバウハウスの閉鎖を強要して前衛的芸術を「退廃芸術」として禁止した。Wikipediaの『退廃芸術展』によれば、ナチスは退廃芸術を「脳の皮質」の異常ではないのかと主張した。わからないものをはすべて「悪」だと決めつけ、退廃芸術家を公開処刑したのである。
クレーはナチスの支配下にあったドイツを捨ててスイスに渡る。しかし、スイスでも半ば狂人扱いされた上、病を得てそのまま亡くなってしまう。このスイス時代に多作の時期がある。テクニック的には衰えたとされるのだが、いろいろな不自由のなかで、その作風は純化されたようにも見える。
とりあえず、大抵の絶望には「いつかはよくなる」という希望があるものだ。しかし、この人の晩年にはそれがなかった。しかし創作意欲は衰えなかったし、新しい境地を生み出す事もできた。人間はある一定の年齢になるとそれ以上進歩できないというのは嘘だ。絶望がすべての終わりでないと考えると勇気づけられる。しかし、クレーにも焦燥感がなかったわけではないようだ。別段、達観の中から生まれた芸術でもない、というのを感じて何だかほっとする。
彼が教えてくれる教訓はただ一つ。できることをやり続けること。ただそれだけだ。

ワグナーのヒトラー

ヒトラーと芸術について調べようと思ったのは、日曜美術館でクレーを見たからだ。ヒトラーによって前衛芸術は否定され、前衛認定されたクレーはスイスに亡命した。本の内容は、ワーグナーが作った宗教(バイロイト教と呼ばれる)をヒトラーが執行したというという主張だった。
この本を「ニュルンベルグのマイスタージンガー」のCDを聞きながら読んだ。

ワーグナー

この本に出てくるワーグナーは単なるダメ人間だ。いろいろな権力に近づくが、権力者を破壊しようとも試みる。そして、ドレスデン蜂起が露見すると「私は単なる傍観者だった」といいだす。女性にだらしなく、常に自分を大きく見せようとするのだが、財産管理能力は全くない。
オペラ関係の本を見てみると、ワーグナーは「バイロイトに立派な劇場を作りドイツオペラを理論的にまとめあげた」と書いてあるのだが、Wikipediaにはまた別の記述がある。父親と死別しユダヤ人の義父に育てられたという。『ワーグナーのヒトラー』では控えめに「両親の援助をあまり受ける事なく」という書き方をされている。ユダヤ人を敵視する論文まで書いているのだが、その態度は一貫していない。結局、フランスで否定されて泣きながら帰ってくる。
ワーグナーにはファンも多い。壮大な何かを作り上げた偉人だ。例えば、小泉純一郎さんもバイロイト詣でをしているワグネリアンだそうだ。「バイロイト」は確かに宗教なのだ。
「ニュルンベルグのマイスタージンガー」は、マイスターの称号を拒否しようとする主人公に「マイスターたちが、ドイツ芸術を守っている」と訴えて聴衆の支持を受ける場面で終わる。ドイツという概念は自明のものではなく、誰かが守ってゆかなければならない。だからこそ崇高なものだ。自明の概念を必死に守る必要はない。「ドイツ性」は自明ではないからこそ大切なのである。
普通の人たちはこれを文字通りにしか受け取らないだろう。
しかし、ドイツの運命をあやうい自らの自己とダイレクトに重ね合わせると、その意味合いはまったく違ったものになる。こうして受け取られた物語はどこか歪んでいる。本来、国がばらばらなことは、誰か明確な敵のせいではないはずだが、自己の危機に悩む人は、くだらない存在としての他者が存在しなければ、その崇高性が証明できないと考える。ユダヤ人という敵の存在があるからこそ「バイロイト教」が成立する。

ヒトラー

ヒトラーは父親から虐待を受けていたが、13歳で死別。「明るく、メデューサのように冷たい目をした母」とも18歳で死別する。ウィーンで画家にはなれないと否定されるが、見たものをそのまま写し取る能力があったそうである。友達の証言によると若い時分に「リエンツィ 最後の護民官」を聞いてから、これまで全く見たことがなかった革命的なことについての伝達が「堰を切ったように」開始されたという。
「イメージをそのまま形にすることができる能力」は重要なモチーフになっている。音楽的な興奮などを言葉にしないで再現できる力が、彼のスピーチ能力と結びつけられているのだ。「バイロイト教」は教典を持っているし、歌劇も台詞付きの(つまり意味のある)音楽だ。何かうまく行かないことが、国の運命や「敵」であるところのユダヤ人と結びついたとき、その確信は希望に見えたかもしれない。

考察スル

どうやら人間には、自分が着想した事には疑問を持つが、人から聞いたことは信じてしまうという困った習性があるようだ。自信満々な他人を通して受け入れられたビジョンは、めちゃくちゃな形を作る。
少年Aがコラージュしていたようなことが、ヒトラーにも起こっていたのではないかと考えるとおもしろい。自己肯定感のない人を空洞のある丸太だとすると、その空洞に何かが満ちたときに、爆発が起こる。芸術になることもあれば、一人か二人の殺人だったり、壮大な人殺しの発展する場合もある。いったい、何が結果を分けるのだろうか。
これを迫害された側のクレーと比較すると、別の性格が見えてくる。「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」という絶望も、彼から絵を取り上げることはできなかった。しかしそれは「誰かこの世に存在していない人たち」には支持されているだろうという確信と一体だ。この人は何を目的に絵を書いていたのだろうか。壮大な体系をまとめあげようという姿勢と、内面を見つめ、ありのままに見てゆこうという姿勢の違いは何科。どちらかの芸術が優れていて、どちらかは偽物なのだろうか。
やむにやまれぬという意味ではどちらも同じくらい切羽詰まったものだろう。希望も絶望も、それ自体が問題なのではないのかもしれない。どこからそれらが生まれ、どこに行くのかということの方が違いを生み出しているようでもある。

バモイドオキ神

「神様」が成立する過程を調べてみたくなった。最初はゾロアスター教でも調べようかと思ったのだが、バモイドオキ神を見ることにした。完全にプライベートな一神教の神様だからだ。
そこで、子どもの変調に「まったく気づいていなかった」と主張している父と母の手記を読んだ。
父親は、過干渉な父親に育てられた。だから、子どもにはいろいろなことを強制しなかった。息子には、勉強ができないなら高校に行く必要は無いが団体の規律がしっかりした自衛隊に入隊するか新聞配達でも始めればいいという。自分は父性を示さないが、誰かに代行して欲しいということだ。本来、父性には、善し悪しの規範を示す・子どもの存在を肯定する・期待をかけて課題を与えてるなど、いくつかの役割があるだろう。
また、妻は白黒付けたがる人だと、仄めかすように言っている。
このような背景を見ると、父親はやさしい鷹揚な人なのだとも思える。ただし、彼は突発的に怒りだすことがあったようだ。一度はこれが原因で少年は発作に近いような症状を見せ、医者に連れてゆかれる。
一方、母親は7歳で父親を亡くした。外で好きな事をするような人だったということだ。
共感や関心は母性の機能だが、彼女には欠落していたようだ。足が痛いと泣いた子どもを医者に連れて行ったところ「もっと構ってやるように」と言われたが、よくあることだと思った、と書いている。
母親は、事件発覚後「両親に会いたくない」といわれ「そんなはずはない」と考えた。社会に出るときにも「本当にあなたがやったの」と聞いているように、事件を否定しつづけた。実際には母親はかなり厳しい躾をしていたようだ。
この少年が書いた作文「まかいの大ま王」によると、どうやらよい母親と、悪い母親が存在していたように見える。

そんな家庭の中で、母方の祖母の存在は大きかった。父親は息子の供述を読んで「どうして祖母の話ばかり出てくるのかわからない」と書いているが、祖母が実質的な母親の役割をしていたようだ。祖母が亡くなり、死を実感したところから、「奇行」がはじまることになる。それは死への執着とそれに伴う性的な興奮だった。
草薙厚子の取材するところによると、矯正の過程では「育て直し」が行われたようだ。教育に混乱があったと認定されたのだろう。父性も母性も人格を安定させる役割を果たしているはずだ。そして、父性も母性も親や保護者から受け継ぎ伝えて行くものだ。この家庭にはどこかに欠落があり、「育て直し」が必要とされたのだろう。
ただ、これだけでは神は作られない。

混乱を混乱したまま受け取る

こうした混乱に満ちた世界で、条件付きでしか自分を肯定されなかった人がたどり着いたのが、バモイドオキという神様だった。「これはキチガイの戯言(ざれごと)で、宗教ではない」と考える人がいるかもしれない。確かに、彼の混乱した行為を正当化するために少年が自ら作り出したようにも見える。しかしバモイドオキは善悪を越えた存在で、彼に生きてゆくための使命を与えた。
一般的にこれは一種の切り貼りだと考えられているようだ。有田芳生の2005年の記事はオウムと結びつけている。少年と犯罪の中で小田晋は「コラージュ的織り交ぜ」を見ている。『懲役13年』という文章があり、これがいろいろな書物からの影響を受けているからだ。もちろんこの中にオウムの影響が入っていた可能性は否定できない。少年はバモイドオキ神のマークを「ハーケンクロイツ」だと説明している。しかしユングのシンボル学では4は安定の数字でもあり、統合の象徴のようにも取り扱われる。
少年は直感像素質者だったそうだ。
確かに入ってくる情報と解釈がめちゃくちゃになっていた可能性がある。しかし「めちゃくちゃさ」は宗教と狂気を分ける基準にはならない。キリストも狂人だと見なされ十字架にかけられたのだ。ユダヤ教にも先行の宗教があり、完全なオリジナルではない。
だから、バモイドオキが宗教になりえなかったのは、教義が作られた仮定が狂っているからではない。単に、教義が他人と共有されなかったからだろう。「酒鬼薔薇」という彼が作った人格が創造した教義を誰かが再解釈すれば、作った本人の意思とは関係なく宗教として成立する可能性は否定できない。教祖誕生である。
かつては「人知を越えたところにも何かがあるかもしれないな」というのりしろのようなものがあり、「妄想」の領域も扱うことができた。中には「意味」というフィルターを通さずに、混乱に満ちた現実をダイレクトに直視してしまう人たちがいる。ただし、多くの人は単に混乱を再生産するだけで、これが人に伝わるのにはまた別の要素が必要になるのだろう。
書き直し(2012.3.24, 2013.7.28)

<子ども>のための哲学

ということで、<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネスを読んだ。永井均さんは「哲学をする」と、「哲学を鑑賞する」ということを分けて考えているようだ。そして「人の考えていることは分からない」という考えを明確に持っている。金沢真大事件に触発されて読んだのだが、別の意味で意義深かった。この本の言わんとしているところは単純で、自分の問題について考えざるを得ないという衝動を持った場合には、とことん考えてみようという主張だ。
彼が主張する哲学の秘訣は「自分自身がほんとうに納得できるまで、決して手放さないこと」ただそれだけだ。これは哲学だけではなく、いろいろな答えのない問いに当てはまるように思える。一文のトクにもならないことを考えざるを得ないと実感している人たちには心強い応援になるかもしれない。
この本よりも興味深かったのは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の小泉義之さんの困惑だった。形勢はあきらかに小泉さんに不利だ。というのも、永井さんは「考えによってはいいとも悪いとも言える」という結論と分離した立場にいるのだが、小泉さんは最初から「殺人はいけないことで、そうしないと大変なことになってしまう」と考えている。
この考えが彼らのポジションに現れる。

  • 永井さんは「つまり私は、人を殺してはならないという社会規範を一般的には破壊することによってのみ、その社会規範を自らに受け入れることができる。」と主張する。
  • 小泉さんは「他人が洒落た回答をしなかったら、他者が応答することすらできなかったら、あなたはどうするつもりか」と反論する。

とりあえず「洒落た」といっているあたりに、そこはかとない劣等感すら感じてしまう。そして「どうするつもりか」と感情的な反論をしてしまうのである。
もちろん、私は人に殺されたいとは思っていないし、今の所人を殺したいと考える予定もないので、社会は殺人を容認しない方がいいと思っている。永井さんの数式にも似たロジックを読んでみたが、よく分からなかった。
今日読んだ別の本に「ヤノマミ族」があるのだが、前にも書いた通り、ヤノマミ社会には報復としての殺人が存在する。殺された場合もそうなのだが、漠然とした不安(病気や事故で人が死ぬと、呪われたと考えるのだ)から報復合戦に発展する場合がある。殺人が容認された社会は実際に存在するのだ。つまり、我々の社会は殺人の連鎖に陥る危険を現実の問題として抱えている。これを認識した上で、それでも殺人はよくない(ないしは嫌だ)ということを互いに納得させつづけなればならない。
皮肉なことに「人を殺してはいけない」という点に固執すると、逆にここから先に進めなくなってしまうわけだ。小泉さんはこの論点に近すぎて、却って結論から遠ざかってしまっているように思える。