参議院選挙の日程が7月20日に決まりそうだ。ネットでは「連休の中日に選挙を設定し投票率を下げようとしているのだろう」という指摘があり「色々と見つけるものだなあ」と感心した。読売新聞によると1952年以降初めてなのだそうだ。できるだけ無党派層を排除して組織選挙で逃げを打ちたいのだろう。
石破総理はもはやまともな戦略で参議院選挙を勝つことは難しい。こうした手に頼って一日でも長く総理の椅子にしがみつきたいのかもしれない。日本の総理大臣は恥ずかしい仕事だ。
立派なオトナは「万難を排してでも政治に参加すべきだ」と若者に説教すべきなのだろう。しかし与野党ともに将来ビジョンを示すことができずバラマキに終始する姿を見るととてもそんな気になれない。
本来政治情報の目的が有権者に投票のための有益な情報を届けることだとすると合格の評価はもらえない状態だ。与野党ともに行き詰まった状況にありこの2つからよりダメでない方を選べ程度の情報提供しか出来ないからだ。
その参議院選挙の日程が7月20日に決まりそうだ。
直後からネットでは「連休中日に設定された」という投稿が飛び交っていた。発信源はつるの剛士さんの投稿のようである。日刊スポーツが拾って記事にしている。「いろいろなことを見抜く人がいるものだなあ」と感心した。
つるのさんは立派なオトナ代表として「必ず選挙にゆこう」と言っている。同じような主張ができればさぞかし爽快だろうなとは思う。
しかし現実を見るととても他人に選挙を勧めるような気分になれない。与党はおそらく統治政党としての賞味期限切れを迎えている。ところが立憲民主党もバラマキ合戦を繰り広げるのみで代替ビジョンをしめすことができていない。国民民主党に至っては候補者選定が泥沼化しており玉木個人商店から抜け出せていないのが現状。
こうなったら政治ブログとしての体裁とメンツを守るために
なぜこんな体たらくなのだろうかと考え込んでしまう
とかっこよく思考停止に持ち込みたいところ。
だが、行き詰まりの理由もよくわかっている。日本の政治は海外での稼ぎを国内に分配するための装置として機能してきた。ところが分配のための基盤は徐々に崩れつつある。分配の原資がない状態なので「誰を切り捨てて誰を助けるか」ということにしかならない。
政治には
- 国民に現状を受け入れさせる
- 新しい分配の原資を作り出す
という2つの選択肢しかないのだが日本の政党はこのどちらもできていない。
少し考えを進めれば「もうこのままでは立ち行かない」ことは明白なのだが、それでも有権者は眼の前の現実を受け止めることを拒否しており、政治言論は現状認識を改めない人たちを説得できていない。これまでのような未来がこれからも続くだろうという偽りの現状認識にしがみついている。
そしてこうした状況を作り出した責任は難しい意思決定を避けていた有権者の側にもある。そんな中で「新しい世代の人達はきちんと有権者としての責任をはたすべきだ」と主張するのは難しい。自分たちもその責任を果たしてこなかったからである。
自分たちがなにもしなかったという事実を棚に上げて他人に何かを強要できる大胆な人もいるのだろうが、さすがにそこまで厚かましい気分にはなれない。