東京都議会選挙では自民党・公明党が伸び悩み、4人を擁立した参政党が3議席を獲得し躍進した。新潮は参政党が保守層の新しい受け皿になりつつあると分析している。
このエントリーでは現役世代にとってどのような投票行動がおトクなのかを考える。どのような投票行動が「正しい」のかは考えない。あくまでも「おトク」を考える。
新潮が「保守系スローガンだけではない 「参政党」が既存政党の“脅威”に変貌した理由 オーガニック、格差是正で“左”にもウイングを広げ」と言う記事を書いている。都議会議員選挙で擁立した4人のうち3人が当選したことを受けたものだ。
- 参政党は「日本を舐めるな」「日本人ファースト」を訴えて2020年に作られた政党。東京都議会議員選挙で4人中3人を当選させ注目が集まっている
- ただその勝因の分析は進んでいない
- 自民党が保守層を取りこぼすなか、参政党が保守層の受け皿になった可能性がある
- また一時ブームに乗った国民民主党が候補者問題で失速する中で国民民主党も取り込んだ可能性がある
- 参政党はインパクトが強い保守政策をSNSを駆使した手法で訴えている
- 参政党の政策は次の通り
- 政策の一部にワクチン懐疑やオーガニックなどを含んでいる
- 消費税減税や社会保障抑制などを訴える
- 奨学金や子育て給付なども提唱する
一読すると「保守とは一体何なのか?」と疑問感じるが、実は従来の自民党の支持者の姿勢とあまり変わらない。保守政党はきちんとしたちゃんとした政党であり、左派政党は「文句ばかり言っている人たちのきちんとしてない政党」くらいのニュアンスなのだろう。
高齢者と現役世代は「限られた原資」を取り合う競合関係にありもはや利害が一致しない。参政党は現役世代に思い切りフォーカスをあてることでこれまで政治に関心がなかった人たちを取り込もうとしている。ただ、これだけでは不十分だ。支持者たちが他の人に支持を勧められるようにしてやる必要がある。だから、ちゃんとしてみえないといけない。例えばテレビ討論に出られるのも「参政党がちゃんとした政党」だからだ。
なんかいい加減だなあと思うかもしれない。だがそもそも大人たちの政治感覚もかなりいい加減なものだ。
そもそもなぜ参政党はここまで注目されるようになったのか。それは都議会議員選挙で注目されたからである。
東京都知事選挙を思い出すと石丸旋風の記憶がある。石丸伸二氏の言っていることは中高年や高齢者には今ひとつピンとこないのだが、なぜか得票が多かった。だから自民党と立憲民主党(蓮舫氏は石丸氏に勝てなかった)が慌てたのだ。
衆議院選挙ではSNSに乗った国民民主党が躍進しこれも自民党を慌てさせたし、維新も大阪で議席を独占し自民党を慌てさせた。兵庫県知事選挙では斎藤元彦氏が再戦されたがこのときも立花孝志氏が応援に入り大人たちは慌てた。
共通点はなにか。現役世代のほんの一部が選挙に行って「なんとなく得体のしれない人たち」に投票しそれが票に結びつくと大人たちは慌てるのである。実はたったそれだけのことなのだ。
では、政党はその後どうなったか。
維新は大阪で既得権益化した。そもそも万博はときの権力者である自民党と結びついた関西への利益誘導活動だったため関東圏では「なぜ大阪の不始末に税金がつかわれるのか」と考える人が多いようだが、大阪では「勝ち」に慣れた地方議員たちが話が分かる人たちを候補者に押し上げようとする。するとよそ者の排除が始まる。梅村みずほ氏は参議院選挙に再挑戦できなくなった。すると梅村氏は他の政党を探し「参政党の精神は自分に100%合致する」と主張するようになっている。
国民民主党も新しい人達から押し上げられたことを忘れてしまい従来のセレブ路線に戻っている。玉木雄一郎氏は自身が大蔵官僚出身で留学経験もあるため本来はブランド志向が強い。このため山尾志桜里のような「筋の良い」経歴の人を選ぼうとした。現在、「私は100社落ちた」という就職氷河期の申し子を辞任する伊藤たかえさんやプロレス好きとして知られる榛葉賀津也氏が新しい代表候補に浮上しているようだ。つまり、エスタブリッシュメントと「雑草」の争いが起きている。
玉木雄一郎氏の発言にはかなりブレがあるが日々のニュースに流されているとなかなか気がつけないかもしれない。いずれにせよ政策で国民民主党を選ぶのはやめておいたほうが良さそうだ。その日のお天気と同じくらいの速さで政策が変わる。
と考えると、これまで顧みられてこなかった現役世代が注目を集めるためには
- 選挙に出かけて
- SNSで情報発信しつつ
- 不確実性を高める選択をし続ける
のが最適戦略ということになる。支持政党を決めてはいけないのだ。
このためのキーになるのがSNSでの情報発信だ。自分の名前を使って情報を発信するのだから「きちんとして見える」事が重要。れいわ新選組はここで失敗している。リベラル左派は日本ではきちんとして見られず保守こそがきちんとしていると見られる。
その意味では保守とはファッションのようなものであってそれを深堀りしても意味のある知見は得られない。
例えば日本保守党と言う政党はおそらくこれ以上支持を伸ばさないだろう。現役世代を優先してほしいがわがままだと言われたくない人たちが「ちゃんとした=保守の」政党を選んでいる。保守がイデオロギーとして選択されているわけではないのである。
その時々の有権者が「ちゃんとしている」と思っているものが「保守」なのであって、保守そのものに意味があるわけではない。一部の保守論客は「そんなものは保守ではない」というだろうし彼らには理論的支柱がある。だが、それは一般の感覚ではないのかもしれない。
では当ブログとしてはこうした投票を行動は正しいと考えているのだろうか。答えは残念ながらノーである。部分最適化が進めば進むほど全体最適からは程遠くなる。
ヨーロッパでは社会に不満を持った人たちが不確実性を高める投票行動を選択し極右・極左の台頭につながっている。政治は不安定になり決められるものも決められなくなる。アメリカ合衆国の場合は共和党が極右的な候補(トランプ氏)に乗っ取られてしまった。トランプ大統領はアメリカの経済に極めて深刻な不確実性を与えている。
「ちゃんとしている」ことが重要なので、選挙で勝つとますます支持者が増える。今回参政党がテレビに出られるちゃんとした政党になれたのは衆議院選で議席を獲得していたからである。この中から成功した「ガチの」政党が出てくると最終的に自分たちこそが社会の主流派だと主張するようになることになるだろう。
ただし大人たちの側はすでに曖昧戦略に転じつつある。世論調査によると少数与党状態を望む人が増えている。つまり大人たちは勝者が出ると自分たちに不利な改革が進むと感じ始めており、社会全体の最適化を拒み始めているのだ。