TBSの報道特集が「政治系切り抜き動画」を特集していた。メディアと政治について研究する藤代裕之教授に「アテンション・エコノミーに民主主義が飲み込まれてしまう」と危機感を語らせており、強い違和感を感じた。
おそらく切り抜き動画は民主主義崩壊の結果であって原因ではないだろう。さらにアテンションエコノミーに圧力を加えることがアテンションエコノミーを増長させることに気がついてない点にももう少し危機感を持ったほうが良さそうだ。アメリカ合衆国ではすでに強いバックラッシュ(揺り戻し)が起きている。
報道特集のプレゼンテーションの内容
報道特集は切り抜き動画について取り扱っている。現在政治系切り抜き動画チャンネルは800ほどある。短い時間で情報が得られると言う人もいれば、信頼はしないが面白ければつい見てしまうと言う人もいる。
最近ではサイト売買を仲介する業者も出ている。かつて嫌韓ブームがあり実際にチャンネルを売った人もいるそうだ。切り抜き動画はビジネスになる。
藤代裕之教授は切り抜きはアテンション・エコノミーを重視しており必ずしも真実が語られるわけではないと指摘。収益化の禁止のような規制も検討すべきとしている。制度設計を急がなければ民主主義がアテンション・エコノミーに飲み込まれてしまうという。
最後にキャスターたちは軽い気持ちで悪政が広がればその報いを受けるのは有権者だと指摘。一人は死者まで出ていると付け加えていた。
テレビの極端な権利意識と極端な被害者意識
このプレゼンテーションに感じる最初の違和感はテレビ局が考える民主主義という正義についてだ。そもそもこれが支持されていないのではないかと感じる。
TBSは強いプロとしての自意識があり「正しい情報」を伝える事ができる独占的な資格があると感じている。ただしテレビの向こうにいる視聴者たちの潜在的な不満や現在地には極めて無関心だ。一方、これほどまでにSNSが発達している中で視聴者との日々の交流を通じてニーズ・現状・気持ちを汲み取る努力は全く行っていない。
さらに記者クラブ制度を通じて情報を独占しときには政府・政党広報の役割を果たしてきた点についての言及も、その優位性がSNSによって崩されているという焦りへの自己言及もない。
ただ、これらの問題はすでに些末なものになりつつある。テレビのレガシーメディア化はおそらく既定路線だろう。
問題はさらに悪化しつつある
報道特集は斎藤元彦知事の問題は引き合いに出しつつも特定のトレンドや政党名には触れていない。参議院選挙に影響を与えるからだろう。実際にはアムネスティが「参議院選挙では右傾化や排外主義の萌芽が見られる」と懸念している。
排外主義は先進国一般に見られる傾向
この右傾化や排外主義の萌芽はアメリカ合衆国やヨーロッパの国に広く見られる現象であり「単なる特定の政治家の問題行動」と捉えるべきではないだろう。これまで既存政党やメディアから放置されていた人々が権利主張を始めている。しかし彼らは十分な言語化能力を持たないため、その矛先が「自分たちより弱いもの」に向かうのだ。SNSは言語化能力を持たない彼らにとっては福音になっている。
火のないところに煙は立たない
実際に共同通信の記事から政党名・個人名を書かずにどんな見出しがあったのかを列記してみよう。いかに切り抜きと言ってもないものを生み出すことは出来ない。
- ある政党党首は「高齢女性は子どもを産めない」と主張、後に適齢期の女性に子どもを産める環境を提供したいというと趣旨だったと説明した。
- ある政党党首はXXX党は移民政策推進ですよと訴えた。このあとこの政党の支持者とXXX党(どちらも熱心な支持者がいることで知られる)の間で批判合戦が起きている。
- ある政党党首は派手な出で立ちで街頭に立ち「人種差別します」と宣言した。
- また別の党首は「外国人は日本のルールを無視する」と発言した。
そもそも切り抜きの動機は被害者意識と一体感であって経済的動機ではないのではないか?
仮に切り抜きの動機が経済だけならば、報道特集の報道内容にも一定の合理性があるだろう。しかし、仮にそうでなければ単なる印象操作だ。お金儲けはいけないことですねといいながら全体に間違ったイメージを当てはめている。
藤代裕之教授の前提を今一度思い出してみよう。それは「お金儲けの第三者が発言を面白おかしく切り取る」というものだった。しかし実際には政党(中には政党要件を満たしたところもある)が排外主義的な主張を始めている。
では支持者たちは「お金儲け」でなければこのような主張は拡散しないのだろうか。ある政党とXXX党の支持者たちはお金儲けのためにSNSバトルを繰り広げているのか。
第一に、こうした「排外主義的な」人々は自分たちはエスタブリッシュメントやリベラルから敵視されていると訴えることがある。地上波放送の側には「自分たちはオワコン」になりかねないと言う危機感があるのだろうが、被害者意識を持っている人達から見れば立派な既得権益である。
こうした忘れ去られた人々の被害者意識に火をつけ、仮想的な帰属意識をもたせることに成功すれば、おそらく無償でも情報を拡散する人たちが出てくるはずだ。
では彼らはなぜ排外主義を支援するのか。
まず彼らは自分たちは阻害されているのではないかと考える。だが、この時点では事実と心情は区別されない。ところが、それが抑え込まれることではじめて「目覚めて」しまう。抑え込まれているのだから実体があると考えるようになるのだ。
トランプ政権台頭の功労者はおそらくバイデン大統領である。4年にわたり前任者トランプ大統領の主張を否定し続け「彼ら」を育てた。
被害者意識を持っているのはテレビ局も同じ
最後に「SNSは危険だ」「規制すべきだ」という考え方がなぜ危険なのかについて触れたい。SNSは危険だと考えると危険性にばかり目が向く。この過程で「一体自分たちの何が浸透していないのか?」を学習することができなくなる。
「目覚めた人」ほど自分たちの主張が理解されて当たり前と考えるが……
いわゆるリベラルと言われる人たちは「自分たちの主張は理解されて当たり前だ」と考える。これを理解できないのは相手が理解する能力を持たないか、十分に浸透させるだけの物量に達していないからだと考える傾向があるのではないか。
実際に対話をしてみると日本人の政治理解には独特のクセがあるとわかる。例えば、おそらく日本人は天賦人権のような絶対的人権を理解していない。
権利は相対的なものであると考える傾向がある。おそらく日本が敗戦で天賦人権を受け入れているからだろう。本音では違和感も感じるがひとまず強いものの論理に合わせておこうと考えてしまうのだ。
例えばある政党は「高齢女性は子どもを産めない」と発言し後に「適齢女性に適切な保護を与えるべきだった」と釈明している。
この発言では「高齢女性について悪く言うのは感じ悪いね」という点までは大体の人が気がつくようだ。しかし、政治家が勝手に国民の価値を規定することは良くないとまでは思わないようだ。むしろ権威に同調してしまう傾向もある。
また静岡県のある市の市長が学歴詐称をした問題も「学歴詐称はよくない」という点にまでは合意が得られる。ところが、今後この市長が推進する政策には有権者の支持が得られないだろうと考える人は実はそれほど多くない。この問題は意外と深刻だ。主権者である住民が支持しない政策に正当性がないと考える人は実はそれほど多くない可能性がある。
この市長を巡っては市役所に「苦情」の電話が殺到している。市民たち(あるいは市民ですらないかもしれないが)は「お上」に苦情を言えば、あとは「お上」が適切に処理してくれると考える傾向がある。住民の間に主権者意識が余り育っていないということがわかる。彼らは単に倫理的でない行為に不快感を持っていてそれを排除しようとしているだけなのだ。
だがこうした知見は日々のSNSでの交流を通じてしか発見できない。
すでにオンライン環境は変化しつつある
テクニカル(技術的な問題)もある。
この報道特集のプレゼンテーションにはSNSはよくわからないから危険なのだという前提がある。ところが実際にはすでに検索エンジンからAIへのシフトが起きている。
検索エンジンはクリックされず「AIのまとめ」が代わりに表示されてしまう。このためサイトに対する流入が減っておりデジタルマーケターたちは対応に追われている。すでに、「スキーマを利用したサイトの構造化」によってAIエンジンに参照しやすくする具体的なソリューションが出ているが、AI各社ともに対応を公表していないためAIOは手探りといった状況である。
このAIOの文脈で言えば、SNSはマルチチャンネル化の一つの手段と位置づけられている。ファンを獲得し「検索に頼らない情報提供」が求められコミュニティの重要性が増しているのだが、このコミュニティが健全なものに育つ保障はない。とはいえ一度出来てしまった環境をユーザーから取り上げることも出来ない。
さらに言えば常にユーザーを扇情的に煽り立てる手法は作り手と受け手を疲弊させる。ユーザーを飽きさせないように次々と「ネタ」を供給し続ける必要がある。
都議会で議席を獲得できなかった政党を離脱した候補者は「古参」たちの注文があまりにもうるさすぎたと言っている。リベラル系政党も内輪化してゆく傾向がある。コミュニティが重要になるなか、扇情型の政治運動もまた飽きられつつあるのではないかと思う。
つまり今この時点で「SNSは危険ですね」と言っている人たちはその先の実践機会も奪われ、絶望的な周回遅れになってしまう危険性が極めて高いのである。
総論すると今回の報道特集のプレゼンテーションが危険なのはその考え方ではない。主体的な行動が伴っていないことが問題なのである。
ただしTBSはBloombergと協力した新しいチャネルも立ち上げている。まだまだ試行錯誤状態のようだがコミュニティの醸成実験も行われているようだ。
その意味では日本のSNS民主主義は一度大きな危機を迎えた後にパラダイムシフトを起こすのかもしれない。つまり今の「民主主義の危機」はそのために必要な過程であると考えることもできる。