トランプ大統領がカナダとの関税交渉を打ち切った。先日までは「妥結は近い」としていただけに大きな変化と言えるがマーケットは即座に反応しなかった。トランプ大統領の発言をスルーしたのだ。
現在のアメリカ合衆国の経済は絶好調で株価も歴史的な高値をつけている。これを裏切る経済指標が出た時点で大混乱しかねないことを意味している。トランプ大統領が状況を抑えようとしてもマーケットは大統領を信頼しないだろう。
ただ、こうした不安定な状況変化は世間一般には余り知られていない。つまり、投資家にとっては「仕込み」のチャンスなのかもしれない。
トランプ大統領がカナダとの関税交渉を打ち切った。表向きの理由はカナダのデジタル税だ。BBCによれば最初の支払期限が迫っているそうだが税自体が昨日今日急浮上したわけではない。
ハメネイ師がアメリカとイスラエル対して強硬な発言を行ったため、トランプ大統領は融和姿勢を転換しつつある。イランに対する攻撃は成功し核兵器開発能力は完全に失われたとしているが、核兵器開発を目指すならば追加の空爆も辞さないとした。ところがこれでは平和の使者としてのイメージが損なわれると考えたようだ。ガザ停戦が近いと根拠を示さずに発言している。
なぜこのようにトランプ大統領の発言は二転三転するのだろうか。
背景にある事情はかなり複雑で深刻だ。
当ブログをお読みの方の中には「このブログは反米なのだろう」と考える人がいるかも知れない。日本はアメリカ依存を脱却すべきだと言う基本トーンを維持しているためである。
アメリカ合衆国はもともとイギリス国王から逃れてきた人たちの共同体として成立した。王ヨーロッパから逃れてきた人たちの子どもはアメリカ市民になれるという出生地主義が採用されている。また王権に対抗するためには強い連邦制度と大統領が必要だった。
この出生地主義が最初に揺れたのはアフリカ系の奴隷の処遇問題だった。建国時には憲法秩序には組み入れられていなかったが南北戦争を経て一定の方針が示され、1960年代の激しい公民権闘争の末に黒人奴隷は市民権を獲得した。
アメリカ合衆国はヨーロッパのような植民地主義を取らなかった。
広い国土に安価な労働力を導入できたからである。植民地主義はやがて治安維持負担の増大を招いたため第二次世界大戦で放棄されている。
植民地主義と奴隷制度(とそれに続く「二級市民としての黒人」)が破綻すると、次に期待されたのは中南米からの移民だった。アメリカ合衆国は安い労働力として中南米からのヒスパニック移民に期待を寄せる。
ところが彼らはアメリカ社会に同化せずにアメリカ合衆国の一部を中南米化させてしまう。特にバイデン政権は急速に中南米からの移民を導入した。入国手続が間に合わずこの過程で多くの「文書化されていない移民」が生まれている。彼らは奴隷ではないが市民としての権利も保証されていない中途半端な存在である。
彼らはアメリカ社会には同化していないがアメリカ経済の一部になっている。既存の憲法秩序ではヒスパニック問題が整理できない。そこで最高裁判所は「連邦裁判所には行政監督権限はない」と宣言し問題から逃げてしまった。もちろんトランプ政権側も指針を示すことは出来ていない。
さらにアメリカ合衆国は中流階層の転落と言う問題にも直面している。ITなどは中国系やインド系の市民や移民が幅を利かせておりエッセンシャルワーカーとしてはヒスパニックに依存している。アメリカ合衆国を取り戻せと言っている層の人達はその間に取り残された階層といえる。
こうした問題はアメリカだけでなくドイツでも起きている。ドイツはロシアからのやすいエネルギーと東欧やトルコからの安い労働力に依存してきた。ウクライナの戦争でエネルギー政策が破綻し経済が傾くと急激に増えた移民に対する悪感情が増幅している。これらの一連のシフトはメルケル首相時代に導入されたためその遺産処理が問題になっているようだ。Bloombergによれば現在5人に1人が中間層からの転落の可能性があるという。
憲法秩序で救えなくなった国を議会がまとめることはできるだろうか。答えはおそらくノーである。ドイツの国会はまとまらず「大連立」でしのいだがアメリカ合衆国の議会もかなりひどい分裂状態にある。共和党と民主党が対立しているのではない。それぞれの党内がまとまっていないのだ。
現在、一括の予算案の審議が行われているが、議会共和党の中に様々な意見があり容易にまとまりそうにない。共和党諸州や地域の間にも意見の隔たりがあるようだ。
しかしまとまらないのは共和党だけではない。上院民主党のある議員が「民主党は太陽のない太陽系」とリーダーシップのなさを嘆いた。
ニューヨーク市は民主党が担いだ市長が汚職まみれになり苦し紛れにトランプ大統領側に寝返っている。
アダムス市長が抜けた後の民主党はまとまらなかった。セックス・スキャンダルで退任した州知事経験者のクオモ氏が予選を勝ち抜くものと見られていたが、結果的に勝ち抜いたのはウガンダ系インド人でイスラム教徒のマムダニ氏という人物だった。アメリカでは嫌われることが多い社会主義的な色彩の強い人物で「様々な無償化」を公約として掲げているようだ。トランプ大統領は「狂った共産主義者」とよび、民主党全体が左傾化・反ユダヤ主義化していると言う印象をつけたい。時事通信は「地元の経済界にパニックが広がっている」と書いているがこれは必ずしも大げさな表現ではないかもしれない。
アメリカはもはや憲法秩序で国をまとめることも出来ず、予算を巡っては議会の中でコンセンサスが得られない。
ではそんな状態でどうやって国をまとめればいいのか。
ありとあらゆる不確実性を絶叫し続け破綻をごまかすしかない。いわば「ジャグリング」のように国を運営するしかないのだ。トランプ大統領はおしゃべりをしながら次のピンを投げ続けておりジャグラーとしての才能はそれなりのもののようである。
一連のアメリカのニュースは混乱して見えるのだが順番がある。
まず議会がまとまらないため7月4日の包括予算案の成立に暗雲が立ち込めている。トランプ大統領は失敗を恐れ7月4日までに法案がまとまらないかもしれないと仄めかしその後でやっぱり7月4日でなければならないと右往左往している。
予算案が可決すると大幅な財政悪化が見込まれている。連邦政府は減税も提案しているため税に代わる収入が必要になる。それが関税だ。ところが関税を導入してしまうとトランプ関税インフレが加速する。
このため議会が一括法案を可決するまで関税の全容が示せない。ベッセント財務長官は「関税の締め切りは9月になるかもしれない」とゴールを移動させているがトランプ大統領との間で口裏合わせができていないため発言が食い違っている。
この一連の記事のなかに中国の話が出てくる。対話は終わった事になっているのだが詳細は明らかになっていない。中国に対して高い関税を課すとトランプ関税インフレが加速する。とはいえ中国製品を締め出すのだと宣言しているため全容が示せなくなっているのだろう。
ただし関税の全容がわからないと利下げができない。関税によりインフレが加速する可能性があるからだ。FRB議長に利下げさせたいトランプ大統領は辞任を仄めかしていたが、この辞任要求が金融市場を動揺させると言うところまでは学習したようだ。このため盛んに後継者について何やらつぶやき続けている。
このように状況が混乱しているためマーケットもトランプ大統領のSNSでの情報発信に反応しなくなってきている。ただし、不確実性は高まり続けているため市場を動揺させるような数値が出た時点でマーケットが大混乱する可能性はそれなりに高まっている。中にはこうした動揺を期待している投資家もそれなりにいるようで「今は仕込み時だ」と考えているようだ。
さて、ここまで考えてくると、関税問題に理屈はなくアメリカの国内事情であると気がつくだろう。現在渡米中の赤澤経済再生担当大臣はベッセント財務長官に会えなかったようで「滞在の延期」を考えているそうだ。国内事情から見てベッセント財務長官とまともな話ができるとは思えないが、それでも野党から「国難に際して石破政権は何もしていない」と言われることを嫌っているのだろう。
実際には関税が国難なのではない。
アメリカ合衆国の経済が「ジャグリング状態」に陥りもはや一貫した戦略性を示すことが出来ない中で、経済や安全保障でアメリカに依存し続けているというのが国難なのである。
先日ご紹介したように日本では自民党と立憲民主党が「国難」を理由に大連立を組むのではないかと言う観測がある。仮に自民党と立憲民主党が現状維持を目指して大連立を組むとすればそれこそが国難なのだと結論づけることができる。