7月9日にいよいよトランプ関税が発動する。
ベッセント財務長官は手始めに貿易規模が少ない国を100ほど選んで通達を出すとの見通しを示した。トランプ関税の発動はアメリカ合衆国が世界との貿易戦争に勝利し続けている証と説明されている。
この関税によりアメリカは高いインフレにさらされるのではないかと言う懸念がある。確かにそれはそのとおりなのだが、問題はそこでは終わらないかもしれない。実は労働市場にかなり深刻な変化が起きているのだが、多くのアメリカ人はそれに気がついていないようだ。
トランプ政権はおそらくこの変化に対応できないだろう。
CNNによるベッセント財務長官のインタビューを読んでゆこう。極めて傲慢だ。
- 今週中に約100の国に一方的に関税率が通告される。これらの国の中には連絡すらよこさなかった国も含まれている
- 関税は8月1日から発動され、税率は4月2日に逆戻りする(CNNによればベースは10%であり最大70%になる)
- ベッセント財務長官は8月1日を新しい期限にすることに反対し「交渉したい国は今後数日中(72時間位内)にディールを持ってくるように」と呼びかけている。ただしBloombergの補足によると「8月1日の関税はフィックスではない」ことになっており交渉の余地が残されていることを示唆しているようだ。
- トランプ大統領は200のディールが結ばれたと主張しているが実際に詳細が明らかになったのは3カ国
- 貿易赤字のないイギリスは10%
- 中国とは貿易の枠組みで合意があったとされているが内容は明らかになっていない
- ベトナムは対米関税を廃止するがベトナムからの製品には20%課税
- ベッセント財務長官は関税の引き上げによって各国はコストを下げるはずであり、従ってインフレは起きないと主張している
- 実際に5月の卸売物価指数はわずかに上昇したのみだった
- しかしながらウォルマートなどの一部の企業は値上げを宣言している
この記事のタイトルは「各国が交渉に失敗した場合は関税がもとに戻るだろう」となっている。つまり、高い関税は交渉相手国の落ち度だという姿勢が鮮明だ。ベッセント財務長官は日本に対しても「参議院選挙のために思い切ったディールを持ってくることが出来ないのだろう」と語っている。つまり日本が高関税の被害を受けるならばそれは日本の落ち度なのだ。
日本当局はそのつもりで交渉に臨むべきだろう。
ではBloombergはこの状況をどう見ているのだろうか。Bloombergが注目する点は下記の通り。
【焦点】トランプ関税、90日間の猶予終了で発動迫る-迷走の末(Bloomberg)
- トランプ大統領は関税を減税のための新しい収入源と見ており発言が二転三転している
- このため企業の意思決定が難しくなっている
- FRBは利下げ局面にあるという認識は持っているものの関税の影響を見極めるために利下げをためらっている。
- 各国は利下げ局面でありアメリカ合衆国との間の金利差が開く可能性がある
トランプ大統領はおそらく永遠の闘争状態にある。寝る間を惜しんでSNS投稿などを行っており思考を整理する時間はないはずだ。しかしベッセント財務長官はおそらく高い関税がアメリカにインフレを加速させ、不確実性が「アメリカ売り」を助長することはわかっているのではないかと思う。
特に危険なのは各国が金利を引き下げる中でアメリカ合衆国がインフレに見舞われた場合だ。当ブログをご覧の方は「物価高と経済成長は区別されない」という点を学んだことだろう。アメリカ人がインフレに苦しんでもアメリカへの投資が続く可能性があるということになる。FBRは金利引下げに遅れた格好になっており、金利を引き下げられないままの状況に留め置かれる可能性がある。
後に労働セクターについて分析するのだが、おそらくアメリカは高成長セクターと低成長セクターが混在する状況になっており、投資家にとっては魅力的な市場で有り続ける。だが稼ぎの増加が見込めない中間所得者は単に物価高を経験するだけ。金利も高止まりしまさに「生き地獄」のような状況が生まれる。富裕層は減税の恩恵を享受しそのしわ寄せは中間所得者と低所得者に向かう。
あらかじめ混乱は既定路線だが、ベッセント財務長官には決裁権は一切ない。
このため関税は相手国の交渉失敗の結果であり「落ち度は相手国にある」というポジションを作りたいのだろう。彼は彼なりに出口を作ろうとしている。
このまま高い関税が続くのは困る。だがボス(トランプ大統領)に何かを差し出さなければ納得してもらえない。ベッセント財務長官は交渉に応じる国がないことにも焦りをつのらせているものと見られる。72時間以内に交渉に応じなければ高い関税を支払うことになると脅しつつ一方で8月1日までに時間はありますよと仄めかしている。
現在アメリカの株式市場は絶好調。債権の金利でも悪いニュースは出ていない。つまり「解放の日」のような株式市場のショックがあれば「トーンはまた変わるかもしれない」と期待する人がいてもおかしくはない状況。いわゆるTACO理論(トランプはいつも最後に心変わりする)である。投資家にとっては儲かるチャンスなのだ。
第一期のトランプ政権では「我々は勝利し続ける」というフレーズが多用されてきた。しかしながらトランプ政権は外交については何ら成果を上げていない。
またNATOも防衛費の拡大を決めたことになっているのだが実はインフラ整備費用が加算されることになっており2029年に「レビューされる」事になっている。各国のインフラ整備を「国防」に算定できるうえに、トランプ大統領の任期は2025〜2028年までなので任期が切れた後に修正が可能な条項が盛り込まれている。
結果的にトランプ政権は「関税はアメリカ合衆国に取っての勝利である」と声高に主張し続けることになる。
日本はこの「国難」に対峙するのか。
日曜日の政治討論番組(NHKとフジテレビ)を時事通信がまとめている。石破総理は一切妥協しないと宣言しているがかといって打開策が見いだせるわけではない。Bloombergによればベース関税の10%がほぼ既定路線となるなか「自動車関税はゼロを求める」と主張。野田代表は石破総理がトランプ大統領に直談判すべきだと主張したそうだが、やはり政権を担当していない気楽さといい加減さが滲む。
石破総理は日本は最大の対米投資国であり多くの雇用を作り出していると主張するが、アメリカ側はむしろ「アメリカは日本企業に儲けさせてやっている」と考えている。中には、痛い思いをすれば損をするのはアメリカ合衆国だとわかるだろうと考える人もいるだろうが、トランプ政権の支持者たちは「これは長期的に見ればアメリカに取っての勝利であり、今は耐える時期なのだ」と考えるかもしれない。
日本側に失敗があるとすれば赤澤大臣の初期の発言だけだろう。
この交渉を最初から見ていると「アメリカ側の担当者には決裁権がなく、トランプ大統領は関税交渉には興味がない」ことは明白だった。しかし、日本のメディアを見ていると意外と「最初はうまく行っていたと思っていたのに……」という人が多い。赤澤大臣の戦略的無能さが過度な楽観論を振りまき、その落差が今現れていると考えていいのかもしれない。
最後のこのパートまで到達した人がどれくらいいるかはわからないのだが、おそらく関税はそれほど重要な要素ではなくなりつつある。
第一に非文書化移民がいなくなることでアメリカのエッセンシャルワーカー不足が深刻化しつつある。農業・食肉加工業・医療介護などで人手不足が深刻化しそうだ。ただこうした隠れた労働力は労働統計にはでてこない。
第二に現在の好調な労働市場は教育と医療分野の人手不足が原因のようだ。
第三にAIの台頭がある。OpenAIのChatGPTが出てきたときには「可能性がある玩具」と言った様相だったが、実際にどう使いこなすかと言うフェイズに入りつつある。
Axiosが「America has two labor markets now(アメリカには現在2つの労働市場がある)」という記事を書いている。
- アメリカで仕事を持っている人は雇用を維持できるが、仕事を失った人は失業したままの状態である可能性が高い。解雇者数は数十年ぶりの低さだが、失業手当を受けている人の数も増えており仕事を探すのに時間がかかっている
- 雇用増加の85%は教育と医療分野で、ホワイトカラーの仕事には影響がなかった。
Axiosはこの投稿を引用している。要するに労働市場に偏りが見られると指摘している。不調なセクターが好調なセクターによって覆い隠されている。
- 政府関係の雇用が水増しされているという懸念があるがこの指摘が妥当なのかはよくわからない。ただしその比重は85%を占めている。
- 雇用増加が特定の産業に集中しており景気減速期に見られる兆候だ。
AIの台頭により生産性革命が起これば必要な人員は減ってゆく。今AIを使っている人はおそらく次の点に気がついているだろう。
- 資料を集めたり整理したりするという雑務はおそらくAIに置き換えられてしまう。
- 中級以下のプログラムはAIに容易に置き換えられてしまう。
実際にAxiosは5月に「ホワイトカラーの血みどろの惨劇」というタイトルの記事をリリースしている。
アメリカの保守派の中にはAIを規制すべきだと言う意見があるそうだが「今規制すれば中国との競争に負けてしまう」という危機感から規制の議論が余り進んでいないそうである。
今はAI利用の過渡期にあり「実際にAIをどう活用し生き残るか」というフェイズにある。日本でこの状況を実感している人はまだまだ少ないのではないかという気がする。
この事情はアメリカも同じようである。Axiosの指摘によると多くのアメリカ人も「手遅れになるまで」何が起きているのか気が付かないだろうというのだ。
アメリカ合衆国は大きな労働市場の転換を最初に経験する可能性が高いということになるが、トランプ大統領が推進する「勝利」に夢中になっておりその変化に気がついていないということになる。