アメリカと中東の問題に夢中になっているうちに、東南アジアで国境紛争が起きていたと言うニュースをすっかり見逃していた。今後大規模衝突に発展したときに「何があったのか」と思わずにすむように予習だけしておくことにする。予習なのでChatGPTに聞いた内容(つまり正確性が担保できない)が含まれることをあらかじめお伝えしておきたい。
タイはフランスに領土を奪われた。このときに分水嶺を境界にすることにしたがプレア・ビヒア寺院周辺の帰属を巡り意見が対立した。今でもカンボジアとの間の国境問題が解決していないそうだ。その象徴になっているのが世界遺産になった仏教寺院である。2008年にカンボジアがプレア・ビヒア寺院を世界遺産に登録しようとしたところ、国境紛争が再燃し死者が出る騒ぎになっている。
タクシン・シナワット首相が軍のクーデターにより政権を追われるとカンボジアのフン・セン氏がタクシン氏を迎え入れた。シナワット家はもともと中国からタイのチェンマイに移住して成功した新興勢力。王家から「強い行い=シナワット」という名誉ある姓を賜り土着したとされている。あくまでもChatGPTによるとだが、この出自によりバンコクの貴族階級との間に軋轢があるそうだ。つまり古くからいる公家集団と新興勢力という対立があるわけだ。
フン・セン氏も「ポピュリスト」的な要素がありタクシン氏をカンボジアに受け入れてタイとの対立を背景に国内の人気を維持しようとしたようである。このためシナワット家とフン家は近しい関係にある。
タイは新しく不人気な王様と軍部が結びつき既得権を守ろうとしているが国内的な人気はない。王家を打倒する狙いがあるとする前進党が躍進すると党首のピタ・リムジャロエンラット氏の議員資格を剥奪した。代わりに軍はこれまで仇敵だったタクシン氏の娘(ペートンタン・シナワット氏)を首相として擁立し地方の抱き込みを模索した。
ところがそもそもタクシン氏は軍部に追われているのだからシナワット家と軍の関係はあまり良くなかった。
2025年5月に国境問題が再燃し、タイとカンボジアの国境は全面閉鎖されている。そこでペートンタン・シナワット氏がフンセン氏と直接電話をし、その私的会話が流出した。フン・セン氏をおじさんと呼び軍幹部を揶揄する内容だったそうだ。
タイ軍は「ペートンタン首相はタイ軍よりもカンボジアとの関係を優先するのだ」と立腹する。しかし、それよりも大きかったのは民衆の反発だった。
もともとシナワット家が支持されるのは彼らが地方で成功した名家だったから。
シナワット家はタイの中心部に進出し中央のタイ語を話すようだが、地方では北タイ語やイーサーン語を交えながら話すこともあるようだ。タイ東北部の人たちは難しい政治状況はわからないが「地元の名士」としてシナワット家に期待し続けていた。
ガーディアンの記事には「タクシン氏の政策は新自由主義的だが東北部の人たちは気にもとめない」という趣旨のことが書かれている。実はそのシナワット家の人達がカンボジアと結びついてたということになれば彼らは裏切られたと感じるのではないだろうか。
にも関わらず実際には敵対するカンボジアのフン・セン氏と仲が良かった。これに立腹したタイの民衆はデモを起こし、ペートンタン首相の支持率は9%にまで急落しているそうである。
なぜ今になって国境紛争が首相退任撃に発展するのかと言う事情はよくわからない。なんとなくペートンタン首相が対応を間違えたのではないかと思うのだが、そもそも首相は軍を指揮しておらずどうやら軍は勝手に問題を起こしているようである。さらに軍と政府の関係は一枚岩ではなく「既得権維持のためのかりそめの共存関係」にしかないようだ。
日本にいると理解できないことが多いが、とにかくタイとカンボジアの間の関係は悪化しており、タイでは内政混乱も起きつつある。