8,900人と考え議論する、変化する国際情勢とあいも変わらずの日本の行方

今回の党首討論を読むにあたって気になったことがあった。そもそも国民がこの議論を読めているのか。そこでQuoraのスペースで質問してみた。小さな政治スペースではあるがフォロワーが8900人を超えたところだ。

結果的には受験勉強中心の日本の教育の限界が露呈されたと思う。ただこの中にごく一部「議論が自分で組み立てられる人」がいる。大きな二極化が進んでいると言えるだろう。

今回、事前にテキストとして準備したのは玉木雄一郎代表のXでの投稿である。何を書いているのかわかりますか?と言う内容。何人かが回答を試みたが、おそらくほとんどの人が読めていなかった。

読めないだろうなと言うのは予想していたため「どう読めないか」が気になった。だが、意外なことに1人だけ読んだうえで議論を拡張した人がいた。人数が増えてくるとやはり侮れない人が出てくるものだと感心した。

指摘は次のようなものだった。

この議論は収支が所与であると言う前提を置いているがそもそもこれがミスリーディングだ。

その通りだろう。

石破総理は2040年までに所得を1.5倍にすると言う目標を置いている。しかし具体策については今から考えるという。蕎麦屋の出前状態でおそらく蕎麦は作っていないのだろうとわかる。そもそも蕎麦が打てる店なのかにも疑問がある。

ではなぜこんな目標が必要なのか。

キヤノンマーケティングジャパンが指摘するのは2030年問題2040年問題である。政府が少子高齢化対策に失敗したため、今後2040年にかけて労働力不足が深刻化する。キャノンマーケティグは政治団体ではないので「現実的に対処しましょう」と顧客に訴えている。

そう言えば党首討論では2040年にかけて起こる人口動態の変化には全く触れられていなかったなと気がつくであろう。

政府が少子高齢化問題を解決できないと仮定するとこの前提でも社会保障が維持できると言う前提を作らなければならない。だから、この実現できるかどうかわからない怪しげな前提を「政策目標」として掲げようとしている。

ただしそもそも前提となるテキストが読めない人にそれ以降の構造問題を説いても全く意味がない。一部の優秀な例外を覗いて多くの人々は「テキストが読めない」状態でそもそも解のない問題を解こうとしている。

ではいったいなぜこんなことになるのか。

数学の事業ではまず方程式を習いその後で反復的に練習問題を解くことになる。日本の受験勉強ではこれを反復練習する。このためどの方程式を当てはめれば問題が解けるのかを示されないとそもそも問題が解けないという人が量産されてしまうのだ。

つまりそもそも何を解くべきなのかを組み立てられない人を量産してしまうのである。

では日本の教育カリキュラムはこのような人しか育てないのか。実はそうではない。

中には「自習」を通じて新しい知識を身につけられる人もいる。眼の前のテキストを読んだうえで「どんな式を当てはめればいいのか」を自分で考え、調べることができる人がいる。こういう人は次第に自分で議論を拡張することができるようになり、やがては問題を解くためのツールを自分で探せるようになる。

玉木雄一郎氏はピンポイントで石破総理を怒らせることには成功した。しかし、実際には社会保障収支の長期的悪化という問題に触れることを避け続けている。政権を取れる見込みがないからこそ果敢に石破総理を怒らせることができるのだとも言えるだろう。

問題は政治家やマスコミが目の前の問題を認識できているかである。

おそらく認識できていない人も大勢いるのではないか。すると「解決可能な問題」だけを解こうとする人たちが大量に出てくる。

例えば「コメの値段をどう下げるのか」という問題を作りそれさえ解ければ政治課題はすべて解決されたと誤認してしまうのである。

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